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バレンタイン。 聖ウァレンティヌスの命日にして、普段は心に秘めた想いを伝えてもよいとされている日。 人によっては、そう思うことでいつもより多くの勇気を持って告白ができるありがたい日。 また、日頃の感謝をささやかな贈り物に込めて、手渡す日。 たとえそれが通説となったのは菓子メーカーによる仕掛けに因るところが大きかったとしても、 このイベントが周知のものとなっている以上、贈り手たちにとってはどうでもいいことだった。 それは、想いを告げる助けにはなっても、障りになどなろうはずがない。 過去の事実がどうであれ、この国のバレンタインはそういう日なのだから。 実際に何かを贈るかどうかに関係なく、リリアンの乙女たちを盛り上げるに足るこの日。 野暮なことは言いっこなし、想いを寄せる、恋い慕う誰もに幸あれ。 「はぁ」 もうこれで何度目になるだろうか。 ちさとは頬杖をついた姿勢のままため息をついて、 ただ窓の外へと向けていた視線を手前へと引いた。 視線の先、机の上には開封された小箱が一つ。 濃い緑の、片手には余る大きさのそれには、 チョコレートでコーティングされた厚手のポテトチップが数枚収まっている。 すぐ隣には丸められた紙くず、もといベージュを基調とした淡い色使いの包装紙が転がっていた。 綺麗な色だったため捨てずに置いておこうと、 破れたりしないよう慎重に要所を留めていたセロテープをはがしている内に、 途中で嫌になってくしゃくしゃにしてしまった、その成れの果てである。 「うまくできたんだけどな」 少し湿り気を帯びた声でぽつりとつぶやいて、ちさとは弱々しい笑みをみせた。 そうして、空いた右手の人差し指で軽く箱をつついて目を伏せる。 このチョコレート菓子は 父が出張先の北海道で買ってきてくれたみやげ物を参考に作ったもので、 最初は好奇心から一つ口にして、 これが意外に美味しかったためにそうしてみることにしたのだった。 一度目は用意したポテトチップが薄すぎたために、 チョコレートを絡める段階で割れてしまうものが多かったのだが、 この問題はジャガイモを厚手にスライスすることでクリアできたのである。 そんなことがあってから数日後に行われた新聞部主催のバレンタインイベントにおいて、 ちさとは首尾よく黄薔薇のつぼみのカードを発見することができ、半日デート権を手に入れた。 それも、同時にカードを発見した数人とのじゃんけんによる戦いを経て、である。 ちさとは、思ってもみないこの幸運を大いに喜んで、あることに気づいた。 憧れの、大好きな黄薔薇のつぼみ、令さまとのデートは、 3千円という限られた予算の中で過ごさなければならない。 移動手段や食事も込みとなると、どうしても制限がかかることになる。 気軽にお茶を楽しむのにも、それなりにお金はかかってしまうのだ。 そこで思いついたのが、バレンタインというイベントを利用した贈り物だった。 もちろん、大仰なものを用意するつもりなどはなく、 また、ささやかな贈り物であればルールにも触れないのではと考えたのである。 打算などない、ただ喜んでもらいたいという一心で作ったポテトチップのチョコ包みは、 自身でも驚くほど会心の出来だったのである。 ありったけの想いを込めた結果が生んだこの成果を、ちさとは素直に嬉しく思ったのだった。 それなのに。 「バカバカ、私のバカ」 ちさとは目を閉じ机に顔を伏せた。 あとはただ、手渡すだけでよかったというのに、 それだけのことができなかった自分が悔やまれてならない。 でも、一方で思う。仕方がないではないか、と。 令さまが、まさかそんな言葉を口にするだなんて、誰が考えるだろう。 「田沼ちさとです、よろしくお願いします」 「こちらこそよろしく、ちさとちゃん」 デートは、すごく楽しかった。 「あの、 「令、でいいよ。ここはリリアンじゃないんだし」 「はい……!」 令さまは優しく、また、きめ細やかな思いやりを持って接してくれた。 「令さまもお料理なさるんですか?」 「うん、色々と作ったりしてるよ。でも、“も”ということはちさとちゃんも料理を?」 「あ、はい。まだまだ腕前は発展途上ですけれど」 「はは、どんな達人だって最初は初心者だよ」 交わした他愛のないやり取りの一つ一つが新鮮で、触れる全てが喜びの連続だった。 「あの映画、どうだった?」 「はい、すごくよかったです。最後のシーンなんて、感動してましたし」 「そう、よかった」 これまで知ることのできなかった多くの面を、令さまの素顔をいくつも見ることができた。 「実は、前から気になっていた映画だったから」 「そうでしたか」 「うん、こういう話が好きでね」 照れまではいかない、しかしどこかくすぐったそうに言う令さまは、なんとも愛しく思えた。 「似合わない、とか思ってる?」 「いいえ、そんなことないです。ステキです」 気づけば、いつしか肩肘張らずに会話を交わしている自分にちさとは気づいた。 「逆に、これまであまり観る機会のなかったジャンルですから、 私からすればこの新たな発見に感謝しているくらいです」 「そう言ってもらえると嬉しいね、ありがとう」 そして、渡すなら今だと、ちさとが意を決したその時だった。 「あの」 令さま、と続けかけたちさとは瞬時に言葉を失った。 由乃、と。 令さまは小さく、けれどはっきりそう仰ったのだ。 「令さま」 「うん?」 向けられた笑顔があまりに優しくて、 そのためにちさとはこみ上げてきたものを堪えるのに必死だった。 「あの」 自分が我知らずその名を口にしていることに気づいていないことも、 ちさとにとっては大きな衝撃だった。 「喉、渇きませんか?」 その後、幾度か由乃という名を耳にして、それでもちさとは笑顔を崩すことはなかった。 「今日は、どうもありがとうございました」 「こちらこそ、今日はとても楽しかったよ」 別れの言葉を交わし、それから家に着いて、 その時になってようやくちさとは自分が用意した贈り物を渡せずにいたことに気づいたのだった。 「あ……」 ふと、物思いから覚めてちさとは顔を上げてあることに気づいた。 箱の中に整然と並んでいたチョコ菓子の、一部分が妙にへこんでいる。 理由はごく簡単なことだった。割れてしまっているのである。 何かの拍子にそうなってしまったらしい一欠けらを指でつまむと、 ちさとはそのまま口に放り込んだ。 と同時に、机の上にぽたりと小さな水滴が落ちる。 誰に見られているわけでもない、 それでもちさとは今自分の身に起こったことを隠すかのように顔を伏せた。 割れてしまった欠片でも、胸の内で何を思っていても、 自分の作ったチョコ菓子は無情にも美味しく感じられて、それが余計に辛かった。 チョコレートの甘みと独特の苦味に混ざった微かな塩気は、 ポテトにつけた下味のものだったのかどうか、ちさとにはわからなかった。 fin. あとがき 初めましての方、初めまして。すでにお目にかかったことのある皆さま、ごきげんよう。 バレンタイン企画ということで、この度参加させて頂きたく描いてみました。 著名なマリみてSSの執筆者の皆さまばかりですが、どうぞ隅の方にでも置いて下さいませ。 さて、主人公は1年生時の田沼ちさとです。 何故ちさと、と言われてしまいそうですが、最初に思いついたのがこの話だったものでして、 乃梨子や瞳子、1年生たちの話もいいなと思いつつ、 形になるほどはまとまっていないというのも理由の一つではありますね。 ただ、2年連続してバレンタインイベントのカードを手にした覇者ですから、 このイベントにはうってつけの人材と言えなくもないでしょうか。 期限に間に合うかどうかはわからないのですが、他にもネタはいくつかありますので、 なんとか仕上げて提出できればと密かに考えています。 次は、明るいお話にしたいな、とも思っています。 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。ごきげんよう。 7.2.4 鈴原 [執筆:鈴原 suzuran novels...] |