ポテトチップ×チョコレート 〜百万回の「好き」よりも〜

ポテトチップ×チョコレート

〜百万回の「好き」よりも〜



 バレンタイン。
それは、大好きなあの人へ贈り物に想いという彩りを添えてお届けする日。
まず、誰に贈るのか。何を贈るのか。それは、どんなシチュエーションで行うのか。
乙女たちの中では当日を迎える前から、すでにバレンタイン・イベントは始まっている。
もちろん、すでに贈る相手を決めていて、
常日頃から自分の想いを言葉や行動で伝えている者にとっても、この日はやっぱり特別な日。

 たとえば、その名を耳にするだけでつい心をくすぐられてしまったりだとか、
その語が聞こえてくるたびに、それこそ魔法でもかけられたかのように思わずどきりとしてしまう。
『2月14日』は、そんな理屈では計れない不思議な力を持っている。

 ここにも、バレンタインデイを迎え、期待で大きく胸を膨らませた少女が一人。
彼女の名は、二条乃梨子。
日本人形のような愛らしさと、強い意志に輝く瞳を持ったおかっぱ頭の女の子だった。





 右から左へと流れる車の列を前に、乃梨子は焦れったさを覚えていた。
往々にして望まない出来事は間の悪い時にやってきてしまう、そういうものなのかもしれない。
確か、マーフィーとかいう人がそんなことを定義していたような気がする。

 手元の時計に目を落とすと、時刻は正午を大きく過ぎて、たった今50分を回ったところだった。
1時の待ち合わせ、その10分前に到着のつもりが、
さっきから信号待ちの連続で何度も足止めを食らい、
十分あるはずだった時間的余裕はすっかり使い果たされていた。
そんな中、またも赤信号のせいで動きを封じられてしまっては、焦れてしまうのも無理はない。

 と、信号が青へと変わり、
途端に乃梨子は燃えるような眼差しで見すえていた前方へ、周りの誰よりも先に歩を進めた。
前へ前へ、人の密度がなるべく薄い所へと足を動かし続ける。
その姿を上方、鳥の視点で見たならば、
かなりの密度の人ごみをすいすいと抜ける黒髪の少女が目についたことだろう。

 残す最後の信号機をクリアしたところで、乃梨子はようやくスピードを緩めた。
ここまで来れば、あとは目的地までこれといった障害はない。
再度時計を見てみると、約束の時間まであと5分。
けれど、あとは陸橋を超えるだけ、これなら時間に遅れることはない。

 しかし、そう思って安堵の吐息を漏らしたのもつかの間、
待ち合わせ場所にたむろする大勢の中に約束の相手を発見し、乃梨子は我知らず駆け足になっていた。
時間には間に合っていてもこれ以上待たせたくはなかったし、
何より一秒でも早く側に行きたい、そんな想いが彼女をそうさせるのだ。

 乃梨子が急ぎ向かう先に待つのは、
ふわふわの巻き髪の、白のコートを着た少女。
その姿を視界の端に収めながら、
乃梨子はタイミングよくひと気のない陸橋を、一段飛ばしに階段を上り、通路を往く。

 手にしたバスケットを可能な限り揺らさないよう、
気をつけながら階段を下りたところで乃梨子は軽く息をついて。
程なく巻き髪の少女、志摩子がこちらに向かう妹に気づいてにこりと優しい笑みをみせる。

「志摩子さん、お待たせ」

 それを受けて、乃梨子は弾む足取りに負けないくらい弾んだ声で、大きく手を振った。



「ごめん、遅くなっちゃって」
「遅くと言っても、まだ時間になっていないわ」

 ふふと目を弓にする姉に、そうなんだけどね、と乃梨子は微かに苦笑した。
親しき仲にも礼儀あり。
待たせてしまったことは事実だから、そこはちゃんと言っておきたかったのだ。

 けれど。

「大丈夫、私も今着いたところだから」
「そう?」

 そうやって言ってもらえると、嬉しいもので。
言葉通りそれが本当だったらやっぱりよかったと思うし、
よしんばこれが優しい嘘だとしてもその好意はありがたいものだから、つい頬だって緩んでしまう。

 その時、すれ違った誰かと軽く接触して、乃梨子は思い出したように言った。

「じゃ、とりあえず移動しようか」
「そうね」

 ここはのんびりと立ち話をするには人が多すぎるし、
誰もが待ち合わせに使う場所ということもあって、
スペースを空けてあげるのは次に来る人にとってもきっと都合がいい。

「あ」
「どうかしたの?」

 ぱちぱちと瞬きをする姉に、乃梨子は笑った。

「いや、志摩子さんが手ぶらだということは。お姉さまに、ちゃんと渡せたんだね。贈り物」
「ええ。家にいらしたから、お渡しすることができたわ」

 志摩子がお姉さま、つまり佐藤聖の元にバレンタインの贈り物をしたことを乃梨子は知っている。
今日の午前中に行くからと、待ち合わせの時間を1時にしたのだ。
破天荒な性格としか思えないあの人だけど、それは彼女を構成する一面でしかないのだろう。
そして、微笑む姉の顔を見ていると乃梨子は素直によかったと思う。
大好きな人にとって嬉しいことは、自分にとっても嬉しいのである。

「よかったね」
「ええ」

 実際、姉の笑顔は幸せそうに見えたから、
乃梨子は心の中でもう一度、よかったね、と繰り返すのだった。



「そうだ、志摩子さんお昼はまだだよね?」
「ええ、まだ食べていないわ」

 言われて空腹に気づいたのか、志摩子はそっと腹に手を当てながら妹に答えた。

「そういえば、1時を回っているのだったわ。道理で」
「だよね。私もぺこぺこ」

 言って、乃梨子が照れたようにえへへと笑う。

「それなら、近くで見つけたほうがいいかしら」
「うん、それなんだけど」

 店を探そうと周囲を見渡しかけた姉に、乃梨子はおずおずと声をかけた。

「実は、お昼ご飯を作ってきたの。サンドイッチなんだけど、食べてくれる?」

 手にしたバスケットを僅かに持ち上げて示す妹の、
思ってもみないプレゼントに志摩子はまず微かに目を見開き、それから目と口元を弓にする。

「もちろん、喜んでいただくわ」
「うん」

 乃梨子は、嬉しさで満面を笑みにした。
薔薇の館でこんな顔をしていたら、きっと誰かに何か言われていることだろう。
頬が緩みきってるよ、だとか。溶けてしまいそうだね、だとか。

 と。

「それはよいのだけれど」

 そこで言葉を途切れさせた姉が考えていることを、乃梨子はすぐに察した。
食べるのはいいとして、問題はどこでそれを食べるか、ということである。

「言いたいことはわかるよ。座る場所を探さなきゃ、でしょ」
「ええ」
「とはいえ、いくら今日が暖かいからって、外で食べるのはさすがに厳しいよね」

 小さくうなずく姉に、乃梨子は空いた手でぽんと胸を叩いた。言う。

「とっておきのお店があるの」
「とっておきの?」
「うん。寒い思いをせずに済んで、このサンドイッチを食べても怒られないお店」

 僅かに驚きの表情をみせた姉の腕を取って、乃梨子は白い歯を覗かせた。




「結構いい雰囲気でしょう?」
「本当」

 時間が時間なだけに店内は混み合っていたものの、
乃梨子の言う通りそこはシックな雰囲気の店だった。
床や壁の木目や華美ではないものの鮮やかな色合いもさることながら、
自己主張が過ぎないように観葉植物の鉢が幾つか配置されている。
梁やテーブル、椅子に至るまで一定の統一感を覚えつつも、
決して画一的ではない店内の様子に志摩子がしばし、目を見張る。

「最初、菫子さんに教えてもらったお店なんだけど、
ここは飲み物さえ買っておけばあとは何を持ち込んでもOKなの」

 オーナーの方針らしいのだが、このシステムのおかげで客入りは常に上々だった。
店の出す料理の味が良いことから、普通に注文を入れる客も少なくないために、
開店以来ずっと続けられているとのことである。

 それはさておき、まずは席を確保しなくてはならない。
テーブルに呼びつけてもいいが、基本はカウンターで注文を入れるようになっているからだ。
そして、窓際に差し掛かったところで乃梨子ははたと足を止めた。

「ここにしよっか」
「ええ」

 ちょうど前の客が席を立ったおかげで空いた二人分の席に、陣取ることにする。

「飲み物は何がいいかしら」
「紅茶がいいかな、サンドイッチにも合うし」
「そうね。少し待っていて」

 席を立つ姉に財布を渡そうとした乃梨子の手は、そっと止められた。
それを不思議に思うより先に、姉の言葉が聞こえてくる。

「これくらいはご馳走させて」
「うん、ありがとう」

 優しい姉の微笑みに、乃梨子はにっこりと応えた。
遠慮をしようかとも思ったが、ここは好意に甘えることにする。
自分が逆の立場なら、せめてこれくらいは、と同じことをするに決まっているからだ。
それに、待っている間にすぐ食べられるよう用意をすることもできる。


「すごい」

 程なく二人分の飲み物を手に戻ってきた志摩子は、
幾種類ものサンドイッチが詰まったバスケットを目にして思わず感嘆の声を上げた。
カツサンド、チーズサンド、トマトサンド、ハムサンド。
スライスしたゆで卵をマヨネーズで和えて作った卵サンドに、つけ合わせにと添えられたピクルス。
ちなみに、カツサンドはレタスもはさむことでしゃきしゃきとした食感を持たせている。
もちろんパンにはちゃんとバターを塗ってあるし、どれもかけられるだけの手間はかけてある。

「すごいわ、乃梨子。あなた一人でこれを作ったの?」
「うん。菫子さんにアドバイスはもらったけれど、一人で作ったよ。
美味しくなりますように、って願いを込めながら、ね」

「では、いただきます」

 姉の目がサンドイッチへと移るのを見て、乃梨子は知らず生唾を飲んでいた。
一つ一つに想いを込めて作った自分の作品に視線を落とし、それが手に取られるのをじっと見入る。
味見はしたものの、実際に姉の口へと入るまではやはり不安があった。

 志摩子が手に取ったのは、卵サンド。二条家オリジナルの、ちょっとした自信作。
はたしてその反応は、いかに。

「……」

 妹の視線を受けながら、志摩子はその一切れを味わい、それから華の笑みをみせた。

「とても美味しいわ」

 お世辞ではなく本心で言ったのは、すぐに乃梨子に伝わった。
まずはほー、っと安堵の吐息を漏らし、よかったと、文字通りに胸を撫で下ろす。

「じゃ、私もいただきます」

 そして乃梨子は元気よく両手を合わせた。
安心した途端、自分がひどく空腹であったことを思い出したのである。




 サンドイッチはかなりの量があったものの、そこは若い二人のこと、残らず綺麗に平らげていた。
分量的には志摩子と乃梨子で1対2くらいの割合だったが、それは単に食べる量の違いによるもの。
やがて二人は満ち足りた想いで食後の紅茶に取り掛かり、他愛もない話に興じ始めた。

「でね、祐巳さまったら真顔で『乃梨子ちゃん、隠し事が顔に出ない秘訣ってある?』って」

 新聞部主催のバレンタインイベント、
祐巳の隠した紅のカードは彼女が座るそのすぐ下にあった。
隠し場所としては意表を突いていてよかったように思うのだが、
ポーカーフェイスの苦手な祐巳は本番前に、乃梨子へそんな問いかけをしていたのである。

「でも、祐巳さんは最後までよく頑張っていたわ。祥子さまをすぐ目の前にしていながら」
「そうだね。さすがに最後はばれちゃったみたいだけど」

 その時のことを思い出したのか忍び笑いをして、乃梨子は不意に表情を硬くした。

「あの、あのね。志摩子さん」
「どうしたの、乃梨子」

 妹の急な変化に内心驚きつつも、志摩子は穏やかに続きを促すことにする。
何か、悩みごとでもあるのだろうか。

「渡したいものがもう一つあるの」
「渡したいもの?」

 こくりとうなずいて、乃梨子は自分の右手側に置かれたバスケットへと手を伸ばした。

「この間、菫子さんが旅行に行った帰りに買ってきてくれたんだけど、
二人ともすっかりはまっちゃって、あっという間になくなっちゃったの」

 突然の話題が意味するところをつかみかねて、それでも志摩子は妹の言葉に耳を傾ける。

「でね、この味は是非志摩子さんにも食べてもらいたいと思って作ってきたんだ」

 そこで、志摩子はようやく気がついた。
乃梨子が何を言わんとしているのかを。その表情の、意味を。

「最初は市販の物にしようと思っていたんだけどね。
菫子さんの指導を受けたから、なんとか形にはなったかな」

 ぎこちなく笑って、乃梨子は勢いを伴って腕を差し出した。

「今日はほら、バレンタインだから。どうぞ受け取って下さい」

 そこには、可愛らしくラッピングされた手のひら大の小箱が一つ。

「もちろん」

 想いを添えて差し出されたそれを手にとって、志摩子が目を細くする。

「ありがたく頂くわ、乃梨子」
「うん」

 赤らむ頬を隠そうとせず、乃梨子は飛びきりの笑顔で応えた。




「志摩子さん、知ってるかな。ポテトチップチョコレート」

 妹の発言に、志摩子は思わず息を飲んでいた。
まさかその名を耳にするとは。

「ポテチョコ……?」
「そう、ポテチョコ」

 姉からと、妹からと。
同じ日に、それぞれから同じ物をもらう、そんな偶然があるなんて。

「最初ね、ポテトチップにチョコレートがうまくつかなくて。って、志摩子さん?」

 急に姉が笑い出したことに、乃梨子がきょとんとした顔でその名を呼ぶ。

「ごめんなさい、続けて」
「うん。それで、鍋に入れたチョコに漬けるやり方だとね……」

 身振り手振りを交えて話す妹を、志摩子はたまらなく愛しさを覚えていた。
彼女は惜しげもなく、あふれる想いを向けてくれる。
大好き、と。百万遍口にするよりも多くの“好き”を伝えてくれている。

 そのことは実にありがたく、そして幸せなことだと志摩子は思った。
今ここにある幸せを、かみ締めながら。志摩子は深く、感謝した。




fin.




あとがき

 はじめましての方、はじめまして。またお会いできた皆さま、ごきげんよう。
今、頭の中をよぎる言葉は。『駆け込み乗車はお止めください』という駅構内でのアナウンス。
どうしてか、と言われれば。それは、この企画の期限が……。
 さて、今回は乃梨子と志摩子のお話です。
ところで唐突な疑問なのですが、これってジャンル、ラブになるのでしょうか?
その昔、友人と二人話をしていた時に生まれた造語、
「ほのラブ(=ほのぼのラブorほのかにラブ)」に該当するのでしょうか。
こんな定義付けをしている方がいらっしゃるかどうかはわかりませんが、
一度皆さんの意見を聞いてみたいところです。
 それはさておき、志摩子と乃梨子はラブの似合う姉妹だと思っています。
原作でも、あの初々しい感じが未だに残っている辺りがなんとも好きです。
 最後に、このような素晴らしい企画に参加できたことを嬉しく思います。
主催者である柚田さんに、また、お読みくださいました全ての方々に厚く御礼申し上げます。

 それでは、再び皆さまとお会いできることを祈りながら。ごきげんよう。

7.2.14 鈴原





[執筆:鈴原  suzuran novels...




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