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人間は失敗するから成功する。 失敗することによって間違ったこと、よくなかったことを知り、それを改善することでその後の成功につながるのだ。 おそらく大多数の人間は成功だけして生きることはできないし、だから人間は失敗とある程度仲良くやれるようにならなきゃいけないのだろう。失敗からの素早い立ち直り方を知っているということだって、それもまた、成功を引き寄せる能力に違いない。 そんなこと表す言葉もある。「失敗は成功の母」。 ただ、私は思うのだ。失敗と成功の関係をそんな風に直列に並べるのはちょっと違うんじゃないかって。 失敗と成功は、確かに多少上下の関係もあるべきだとは思う。何しろ普通、人間は失敗して成功するのだから。 だけど、それは親子のような関係じゃなくて、もう少し並列に並べる感じにした方がいい。だってそれは、お互いに深く関連し合いながらも、どちらか一方が存在しないともう片方も存在しないという関係じゃないんだから。失敗しなくても成功するときはある。失敗のあとにまた失敗することもある。 だから、失敗と成功は親子よりも姉妹のような関係だと考えた方がいい。つまりそれを表す言葉はこうするべきだ。「失敗は成功のお姉さま」と。 ……いや、やっぱり変えない方がいいかな。だってこれじゃ、妹の方が成功みたいだし。 まあ、いいや。とにもかくにも、これは私のそんな多くの失敗と成功のお話。 唐突だけれど私はここ数日問題を抱えて困っていた。ちなみに季節は立春を過ぎたから、いわゆる「暦の上ではもう春」というやつだ。ただ、まだまだしっかり寒いのだけれど。 私にはお姉さまがいる。同じ部活の1学年先輩で現在2年生。つまり自動的に私は1年生だということがわかると思うのだけれど、普通ごく一般的な高校生は立春だとか雨水だとか気にして生きていないように、私にとっても2月のカレンダーの中で最重要の日は2月14日だった。 回りくどい言い方をしても仕方ない。つまり私は、バレンタインにお姉さまにあげるチョコのことで、ここ数日悩んでいたのだ。 何しろ初めてのバレンタイン。これまでの人生において、お父さんにあげるチョコ以外に誰かにチョコを贈ったことなんてない私は、もちろん「義理」とか「本命」とか、そういう区別とも無縁だった。それが今年はお姉さまにあげなきゃいけない。しかもそれは間違いなく「本命」で、最悪の場合でも「本命」級のものでなければならない。だから考えあぐねることにもなっていたというわけ。 こんな風に言うと、まるで私が嫌々バレンタインに臨もうとしているように聞こえるかもしれないから一応補足をしておこうかな? 私はお姉さまにチョコをあげるということを嫌だなんて、これっぽっちも思ってなどいなかった。むしろ逆に、それは楽しみで仕方ないと言ってもいいくらい。 中等部時代はチョコの持ち込みが禁止されていたバレンタインに、高等部に上がった今年は堂々と学校にチョコを持ってくることができる。その上、友達同士で贈り合うなんて、楽しいのか寂しいのかわからないようなことをするのではなく、たった1人のお姉さまにチョコを渡せるのだ。これに燃えないわけがない。 ただ、それだけ意気込むということは、自分で自分のハードルを上げているようなものでもある。とびっきりすごいチョコレートでお姉さまを驚かせて、喜ばせたい。そう思うと、そして、そう思うからこそアイデアが浮かばなくて、私は悩んでいたのだ。 何しろお姉さまと私の所属する部はアイデアが物を言う部。ありきたりなチョコなんて許されない。 ……いや、これも実際は私にとってのハードルだというだけで、本当は仮に私が手作りじゃなくて市販のチョコを渡したとしても、お姉さまは喜んでくれるということもわかっている。お姉さまはそういう人だ。だけど、それじゃ妹として私の立つ瀬がない。だって私は、「発明部部長」という肩書きを持つお姉さまの妹なんだから。 まあ、でも、立場云々は究極的に言えばどうでもいいことだ。問題は極めてシンプル。 妹である私は、お姉さまをバレンタインに喜ばせたい。ただこれだけ。 さて、多少は「発明部」についても語ることにしようか。そこにはお姉さまの馴れ初めもあることだし。 発明部は、リリアン女学園高等部に存在する数ある部活動のうちの1つで、どうしてそんな部活があるのかと首をかしげる人も多い部。現在においてその部員である私自身だって、入学したての頃その存在を知ったときには、もちろんそんな多数の人と同じ側にいた。 運動が得意なわけでもないし、だからって帰宅部というのもつまらない。面白ければ入ってみるのもいいかな? なんて、あまり積極的でも真面目でもない理由で私はその活動をのぞきに行って、そしてつかまった。 「うちの部、変な人多いけど大丈夫?」 ドアをノックして、中からドアが開いて、その瞬間そのドアを開けた人に言われた言葉がこれだ。私はあ然とした。 「あ、はい」 だから、そのとき私は冷静じゃなくて、こんな風に考えもしないで答えてしまったわけである。「ごきげんよう」も「いや、あなたがまず変です」も、そんな言葉はだいぶあとになって、言えばよかったと思い付いた。 「じゃあ、入部ね」 「あ、はい」 肯定というか承諾というか、その意思表示をしてしまった私にももちろん責任はあるけれど、混乱に乗じてあっさりちゃっかり何も知らない1年生を入部させるなんて、よく考えたらかなり詐欺っぽい。 実際入ってみれば、最初に聞かれたとおり発明部には変な人が多かった。「マリア様に見守られているリリアン女学園の生徒でありながら」と、この言葉を頭に付けて次からする数人の部員の紹介を聞いてほしい。 例1。三度の飯より半田付けが大好き。 例2。化学反応のあとに沈殿物ができていく様にうっとりするのが至福の時間。 例3。将来の夢は青色発光ダイオード級の発明をすることで、もちろん訴訟になれば200億の発明の対価を認めてもらうし、それを8億ちょっとで和解なんてするわけがない。 といった具合だ。しかもこれは一例である。だから、「発明」という言葉にせいぜい「主婦の暮らしに役立つ発明品」といった、生活の知恵レベルの発想しか持っていなかった私なんかには、その空間や人々は良い言い方をすれば「新鮮」で、悪い言い方をしてしまうと「異様」だったのだ。 だから、そこに私を引っ張り込んだ張本人とはいえ、最初に尋ねてくれたり、その中ではかなり普通の人だったその人と私はどこか必然的に仲良くなった。それがお姉さまである。ただ、私はいつの間にかすっかり忘れてしまっていたのだ。お姉さまがやや詐欺っぽい強引さを持っているということを。 「私、割と変なんだけど、大丈夫?」 ある日の帰り道。尋ねられて、私は答えた。それはごくごくありふれた会話として。 「知ってます。でも、他の人とは比較になりませんし」 「でしょ。わかってくれて嬉しいわ」 そして、「うん」と、何を納得したのかよくわからないけど、1人うなずいたその人に、私はあるものを差し出されて言われた。 「じゃあ、これかけてね」 「へ?」 「あ、ごめん。私がかける方がムードがあるわよね」 「え……あの……」 「動かない。……あと、目を閉じなさい」 「……はい」 そうして、混乱と動揺の中いつもより強い口調で出されたその指示にうっかり従ってしまった私の首には、ロザリオがかけられる運びとなった。つまりその瞬間、その人は私のお姉さまになり、私はその人の妹になっていたのだ。 もちろん、私にとって問題だったのは、ムードがどうとか、そういうことじゃないということは理解してもらえると思う。 そんなわけで、私は半ば悪徳商法に引っかかるような形で発明部に入部させられ、お姉さまの妹になったわけだけれど、じゃあ、それで私が不幸になったかというと、そうじゃないから難しい。 発明部員は確かに変な好みの人揃いだし、お姉さまは疑いの余地がないくらい詐欺師の適性がある。でも、結局みんな「マリア様に見守られているリリアン女学園の生徒」だから、人としての基本的な礼儀とか作法とか、そういうことから外れているわけじゃなかったし、「発明」にしか興味がないわけでもなかった。 ちなみに、部内ではよくみんなが口にするものの、クラスなどではほとんど耳にしない単語を1つ例にするとわかってもらえるかもしれない。それは「盗用」という言葉だ。 『信じられないっ。○○ちゃん、私のアイデア盗用するなんて』 と、こんな風に遣う。 発明部員にとってアイデアは何よりも大事。それをパクるとかパクらないとか、そんな軽い言い方をしてはいけないと説明されるそれは、実際にはどのジュースを買おうか口にしたときなどに言われるもので、もちろん深刻さなんて欠片もない単なる言葉遊び。 つまり、発明を夢見る乙女たちだって発明しか頭にない発明バカだなんてことは全然なくて、基本的には仲良くじゃれ合っている時間がほとんどの活動は、比率にしたら小さくてもちゃんとファッションとか音楽とかお菓子とか、高校生らしい楽しさも含まれているものだった。 個性的な人たちが集まってはいるということはむしろとても刺激的でもある。だから私は、いつの間にかそこで過ごす時間を好きだと言わなきゃ嘘になるくらいにすっかり変わっていて、だから私にとってその場所の代名詞のような存在のお姉さまも、やっぱり日に日にそういう風に思うようになっていたのだ。 そして、秋を過ぎる頃3年生のお姉さま方が引退して、お姉さまは部長になった。お姉さまバカだか妹バカだか、どっちが正しいのかよくわからないけれど、どうして発明に対して熱意を持っていない側から数えた方がいいお姉さまが部長になったのかも、お姉さまがいつもみんなその輪の中心にいて、発明部を楽しい空間にしていたからだと思う。 お姉さまはちょっとくせがあるけど、すごく面白くて、そして優しい。 私はそんなお姉さまの妹として、もっとお姉さまに「私を」妹に選んでよかったと思えるような何かをあげたかった。それは「物」でもいいし、「事」でもいい。「物」を絡めた「事」が2人の思い出になればもっといい。 でもお姉さまはいつも余裕で、クリスマスに手編みのマフラーをプレゼントしたときには、私の首には自分のそれよりずっと上手な手編みのマフラーを巻かれてしまったから、お姉さまがそのときいつもよりもずっと嬉しい顔をしてくれても、どこか素直には喜べなかった。 そうして2学期の最後にそんな思い出を作ってしまった私は、年が明け、部屋に新しいカレンダーをかけると2月のど真ん中にあるその日に狙いを定めることになったのだ。 お姉さまだってバレンタインはもらう側に回るだろう。少なくとも私に対しては。 だから、この機を逃しちゃいけないって。 しかし、思惑通りに運ばないのが人生ということなのだろうか。2月に入って街の景色がバレンタイン色になりはじめても、私にはその、お姉さまが「私を」妹にしてよかったと思ってくれるようなチョコのアイデアは降ってこなかった。 そしていつの間にか2月も10日を過ぎて、最悪普通の手作りチョコでごまかすしかないのかと、密かに、それでいてかなり私が焦りを募らせていたそのとき、ひらめきは唐突にやってきた。それは同じ発明部員であるクラスメートと話していたときのこと。 「別に奇抜なアイデアなんていらないんじゃない? 大事なときこそシンプルで丁寧なものを贈る方が、何かこう、かっこいいと思うよ」 そんな真面目で説得力もありすぎるくらいにあった言葉を私にかけた彼女は、部員紹介のときに3番目に例に挙げた子だ。いつもはそれこそ彼女の方が「奇抜」とか「突飛」と表すようなことばかり口にするのに、なぜかそのときは、まるで私がものすごく浅はかなことを考えているとでも言うように、ぐさりと胸に刺さるようなことを言ってくれた。 「それは……わかるけど」 でも、それじゃお姉さまを驚かせられない。私はお姉さまに驚くくらいに嬉しい気持ちになってもらいたいのであって、だから単に喜んでもらえるだけのチョコなんかじゃ意味がないのだ。驚かせること、それが重要なのに「シンプル」だなんてそんなの完全に正反対。まったく採用できない意見だった。 お姉さまを持たない彼女にはこの気持ちはわからないものなのだろうか? そして、そう思いながらも会話を続けた末のこと、彼女が私の考えを理解して、それに対して呆れるようにつぶやきを漏らした瞬間、ようやく待ち望んでいたそれはやってきたのだ。 「シンプルじゃないなら、逆にもう全部くっつけちゃう? 部長の好きなもの」 私の頭の上に電球の明かりが輝くようにピカッと灯った。 「あっ……!」 それはまさしく瞬間的だった。その「でも、そんなのできないでしょ?」と言いたげな彼女の言葉が耳に入った瞬間、私の頭の中ではニューロンとかシナプスとか、あんまりよく理解できていないけどたぶんそこにあるそういったものがバシバシ情報を伝え合って、結果私の中では「それだっ!」という歓喜の声が叫ばれていた。 「ん? どうかした?」 尋ねる彼女に私は興奮しながら返す。ついでにそのひらめきをくれた感謝と、そのひらめきをもらってしまった申し訳なさも抱きながら。 「そうだよ。そうそう。お姉さまの好きなものをくっつければいいんだ」 そのアイデアは、さすがに青色発光ダイオード(彼女から何度も聞いたのでそのすごさがわかっている)と比べたら負けてしまうとは思う。でも私の場合、世界を変える発明をする必要なんてないのだ。一般性なんて必要ない。だからその意味では、たった1人、お姉さまを驚かせられると確信できるそのアイデアは青色発光ダイオードにも勝っていた。 発明にほとんど興味を持っていない発明部員なのに、こんな感覚を体験してしまっていいのだろうか? そう思いながらも私の顔は相当にやついていたに違いない。もちろんそんな状態はお世辞にも冷静とは呼べないだろう。 「……まあ、何かひらめいたみたいだし、じゃあ、もう大丈夫だね」 「うんっ!」 だから、私にとっては彼女がそのとき苦笑交じりに漏らしたつぶやきなんて、完全に考慮の対象外だった。「でも一応、失敗したときの保険はかけておいた方がいいよ」なんて、このアイデアに失敗なんてあるわけないのに何を言っているんだって。 全部くっつけるというそれは、確かに彼女の想像通り非現実的なアイデアだった。 例えばキーホルダーとブックカバーにチョコレートをまぶしたら、それは単なる嫌がらせであって、プレゼントになんてなるわけがない。あったかいご飯とおみそ汁にチョコレートを合体させるのはそれ自体が難しいし、それにそれはもうバレンタインという枠から相当に外れていると思う。 つまり、別々に贈るということでない限り、チョコとくっつけられるものというのは限られるのだ。それは食品で、かつそれは食事として取るものではない。多数のものと組み合わせるのもなるべく避けた方が無難だろう。 よって、私のアイデアは彼女が言っていたもっともな言葉にもかなう、ある意味極めてシンプルなものでもあるのだった。それはチョコレートとあるお菓子をくっつけるだけ。 私はなんてラッキーなんだろう。その2つがともにお姉さまの大好物だなんて、それはもう喜ばれること請け合いなわけだし、それでいてその2つがくっついているものなんて生まれてこの方見たことも聞いたこともないのだから、驚きという面でも言うことなし。まさに、完全なるアイデアだった。 話を引っ張っても仕方ないからもう発表してしまおう。私がチョコレートにくっつけることを思い付いたのはポテトチップ。つまり、これが『ポテトチップ×チョコレート』の発明の瞬間だったのだ。 大発明だと思った。いや、考え付いたときにはまだそれは形になっていないから、大発見と言う方が正しいだろうか。いや、この場合、新発見と言う方が正しいかもしれない。いずれにしても私の頭の中には、特許権に意匠権に実用新案、やや畑の違う著作権や商標権なんて言葉さえ浮かんだくらいだった。 ただ、私は自分のこのアイデアを独占するつもりもなかった。今年のバレンタインにお姉さまを驚かせられたら、あとは世界でこのお菓子がいくらヒットしようとそれによってお金をもらいたいとは思わない。ただ後世のお菓子の歴史にはちゃんと発明者として私の名前は記してもらわないと困るけど。 とにもかくにも、私は自分のひらめきにちょっと怖くなりながらも、ドキドキワクワクしながら『ポテトチップ×チョコレート』の製作に取り掛かった。 これなら絶対お姉さまをあっと言わせることができるって、そう思うと思わずニタニタしてしまって作業は難航したけれど、バレンタイン前日の夜にはそれは完成した。 じゃあ一応、そんな私の発明品の作り方を記しておくことにしよう。 1。チョコレートとポテトチップを用意する。 2。チョコレートを湯せんする。 3。ポテトチップの片面に、溶けたチョコレートを適量塗り付ける。 4。チョコレートが固まれば完成。 なお、注意としては、ここでのポテトチップは形が揃っていて多少厚みがある方が望ましいから、袋のものを買うのではなく筒のものを選んだ方がよい。 当たり前のことだけれど湯せんするチョコを加熱しすぎちゃいけないし、あまりチョコがべったりなのはよくないから、溶けたチョコに直にポテトチップをつけるのではなく、スプーンなどを使った方がいいだろう。もちろん漬けるのはもっとダメ。あと、チョコは自然に固まるから、冷蔵庫などには入れない。 とにかく。ポテトチップがしけってしまわないように。これが最重要。だって、このお菓子はポテトチップのパリッとした食感が大事なのだ。 『何これ? わっ、すごい。美味しいわ』 明日はそんなお姉さまのびっくりした顔が見れる。夢に落ちる前から夢を見て、そして私は、どちらかと言わなくても安心よりも興奮しながらその夜眠りについた。こんなびっくりチョコレート他の誰も作っていないって、やっぱりニタニタしながら。 そしてバレンタイン当日の放課後。 部活で会うから、そこでもし2人になればそこで渡すし、あるいは他に部員がいるならどこか2人になれるところに連れ出して渡そうと決めていた私は、意気揚々と部室に向かった。スキップするような足取りで、もちろんかばんには「発明品」を忍ばせて。 と、そんな私が部室のドアの真正面に立った瞬間声が聞こえて、私は思わずドアに伸ばそうとしていた手を止めた。 「どんなチョコが嬉しいか? うーん。別にどんなチョコでも嬉しいと思うし、考えたことないわ」 部室の中から聞こえてきたのはお姉さまの声だ。どうやら同じ2年生部員のお姉さまと今日この日にふさわしい会話をしているらしい。できれば何か嬉しいチョコレート像を描いてくれていた方が、その上を行く私のアイデアが際立つというものだけれど、そこはそれ。いずれにしてもお姉さまはこれからびっくりするのだから大した問題じゃない。 とりあえず、一度立ててしまった盗み聞き用の聞き耳を引っ込ませるのもなんだし、話のタイミングのいいところで入ろうと、私はお姉さまたちの話に耳を澄ます。 「そう? でも、何か漠然とでも、こんなのいいなとか、そういう希望くらいあるんじゃないの?」 「うーん、そうは言ってもね。浮かばないものよ? だってあの子が考えて選んだチョコだし、絶対それが一番だもの。どんなチョコでも嬉しいに決まってるわ」 「……はあ、そうですか。えーと……そうですね。ひどいのろけをありがとう」 「のろけって、そういうんじゃないのよ。私は別にのろけてあの子が一番だって言ってるわけじゃないんだし」 「また言ってるじゃない。自覚がないのか知らないけど、それをのろけって言うの。もう結構です。ごちそうさま!」 何だ、これ。私はどっきりにかかっているのだろうか。いつも全然そんな素振りを見せないお姉さまが、私のことそんな風に思ってくれているんだって、私は感激で言葉にならなかった。鼓動を押さえるために胸に当てた手が、かえって鼓動をリアルに感じさせてドキドキが強まる。だから私は、話相手の先輩があんまり呆れて怒るようにその話を切っても、そのドアを開けられずにいたのだった。 そのときだ。 「あ……」 何か思い付いたようにつぶやきを漏らして、そのあとお姉さまは真っ赤になっていたに違いない私の顔色を完全に逆の色にするようなことをとてもさらりと、ただ苦笑い交じりに言った。 「でも、そうね。強いて言うならポテトチップのチョコレートがけは嫌かもしれないわ」 (っ!?) それ以上に絶望的な言葉なんて、この世にないと思った。舞い上がっていた私はその瞬間奈落の底に叩き落されて、叩き付けられて、心は瀕死の重傷を負う。だって、そんな正確無比なピンポイント攻撃ない。たった1つ挙げた嫌なチョコが、私の渡すチョコだなんて。 でも、そんな私の様子なんて中のお姉さまには伝わらないから、そのあとにも私の耳にはさらに追い討ちをかける言葉が続いた。 「ポテトチップのチョコレートがけ? え、何それ?」 「いや、そのままなのよ。私、ポテトチップもチョコレートもどっちも大好きじゃない? だからそういう夢みたいな商品があるって知ったとき、もちろん飛びついたわけよ」 「それで? ……って、もうオチはわかってるようなものだけど」 「うん。まあ、おそらくその想像通りよ。夢みたいな美味しさじゃなかったわね」 「美味しくなかった、と?」 「ちょっと違うかな。美味しかったことは美味しかったの。ただ――」 「ああ、つまり、ポテトチップもチョコレートも、別々に食べるから美味しいってことに気付いたわけ?」 「そうそう。あるいは気付かされたわけ」 ……帰ろう。帰って泣こう。それから普通の手作りチョコを作って、明日謝りながら渡そう。ただ深くそう思った。 私の発明品は単にお姉さまが望まないナンバーワンのチョコだというだけじゃなかった。アイデア自体が二番煎じだったなんて、もう立ち直れない。 たぶん、そのとき私は相当不幸だったはずだ。確かに友人の真理をついた忠告も無視して浮かれていたけれど、だからってお姉さまにバレンタインにチョコを渡せずに帰ることになった子羊は、哀れまれこそすれ、痛めつけられるべき存在じゃなかったはずだ。 それなのに、マリア様はなんて意地悪な性格をしているのだろう。 踵を返した瞬間に、私の道には私を押し返す壁があった。この事態を見越していたのかわからないけれど、ありがたい忠告までくれていたクラスメートがそこにいたのだ。 「どうしたの? 入らないの?」 「わっ……!」 私は思わず声を上げて後ずさる。そして背中が当たった。……部室のドアに。ドンッと小さな音を立てて。すると……。 「はーい」 (うそ……、やだ……) それがちょっと変わったノックの音にでも聞こえたのだろうか。世界は私の最も望まない方向に動いた。 「あら、あなたたちだったの。何してるの? 入りなさいよ」 ドアを開けたのは、よりにもよってお姉さまの方だ。これがお姉さまの話相手をしていた先輩の方だったら、どんなにか私の心に与えられた衝撃は優しかったことだろう。 私はそれまで、お姉さまがそこにいることを嬉しく思えない瞬間なんて想像もできなかった。でも、その瞬間が今まさにここにあって、だから私は、もうただ今すぐ走って逃げ出したかった。だけど、そうすることもできない。 「あ、はい。すみません」 クラスメートの彼女は私の事情や心境をこれっぽっちも考えてくれなかったのだろう。彼女は入るのに邪魔な私の背中をあっさり押した。それによって私は部室の外側から内側に移動した。 カチャリ。 そして、お姉さまの手でドアが閉められると、私はもうどこにも逃げられなくなった。 「ごきげんよう」 「は、はいっ。ごきげんよう」 不自然極まりない声で挨拶をしてしまう。だって私は、動揺を押し隠して平静を装える能力に長けてはいなかったから。 だけど、それにしたってどうして不運と不幸と試練と罰はこんなに仲良しなのだろう。一度その方向に向いた私の運命は、振り向きもせず私をひたすら絶望の淵へと追いやるばかり。 「あ、私ジュース買ってきます」 「ああ、私も行くわ」 「ちょっと先輩。私のアイデア盗用しないでくださいよっ」 「ごめんね。でも、あなただってそうしてほしいんでしょ?」 「それは……そうですけど」 「ね。じゃあ、いいじゃない」 「もお、仕方ないですね。これっきりですよ」 まるで姉妹のように寄り添って、そこにいた2年生1名と1年生1名は姿を消した。「お邪魔虫は退散します」とでも言いたげなその姿から、私は2人の目には私のそんな様子が、『お姉さまにバレンタインのチョコを渡すのに緊張している図』という風に映ったのだと理解する。ただ、もちろんそんなの誤解もいいところだ。もっとよく見てくれなきゃ困る。 気を遣ってくれる気持ちは嬉しい。だけど私は、決してその2人に感謝なんてしようとは思えなかった。それに、そんなことしてる状況でもなかった。 「ねえ、今日バレンタインなんだけど?」 直球ど真ん中。お姉さまの言葉は容赦なく私の急所にクリーンヒットした。 どうしよう、どうしよう。私は容量も小さく、性能も悪い頭をフル回転させて考える。どうにかない知恵だって振り絞って、この場をやり過ごさなきゃいけない。 そして、私の取った選択はこれだ。 「……そうですね。……やっ、そうだったんですか?」 「何、その反応? ねえ、もちろん知ってたわよね?」 「い、いえっ。知らなかったです。そっか、今日バレンタインですよね。私ったらどうして気付かなかったんだろ。ごめんなさい、お姉さま」 まったくもって、ずさんで穴だらけ。っていうか誰が信じるんだそんなの。私は言いながら自分でも「そんなのないない」ってもちろん思っていた。だけど、私はそのとき苦笑なんてまったくしなかったし、むしろ真剣そのものの顔でそのありえない言い訳を押し通そうとしていた。……必死だったのだ。 「今日1日過ごして、今まで気付かないなんてありえないわよね」 「すみません。思い付いたアイデアのことで頭がいっぱいで」 「発明の?」 「はい」 一度嘘をつくと、その嘘を守るためにまた嘘をつかなきゃいけなくなる。それは話にはよく聞くことだし、確かにこれまでの人生でも覚えがないものじゃなかった。ただ、これほどにその意味を強く胸に刻み込む出来事だって過去にはなかった。ましてそのあとに、そしていつか嘘はばれる、ということも含めて体験することになるなんてことは。 「何?」 「え……?」 「だから、どんなアイデアをひらめいたか聞いてるのよ」 「それは……、その……」 一言ごとに私は追い詰められていく。嘘つきが報われる世界なんて、そんな世界は絶対いい世界じゃないだろう。私もそう思う。だからお姉さまはまるで世界の正義の代弁者であるがごとく私のその不正義を暴いて、世界の正義を敵に回した私は嘘を守るための嘘も、それによって守られていた嘘も剥ぎ取られ、もう口からは何も言葉が出なかった。 だけど、そんな風に正義を背負ったお姉さまは、私と姉妹の関係にあるお姉さま。だからなのだろう。嘘つきの才能のない妹を完全に最後までやり込めようとはしなくて。 「あなたのいいところは、嘘をつけないところよね」 まあ、座りなさいよ、と。椅子を引いて私を見つめる。その顔は呆れ顔。 だけどそれは、浅はかで嘘つきの私さえ許してくれるような、いつもよりもずっと優しい表情だった。 それから少し間を置いて、お姉さまは改めて尋ねてきた。 「何か、私にチョコを渡せない理由があるの?」 「はい」 「何?」 「え……?」 「だから、どんな理由があるのか聞いてるのよ」 「それは……、その……」 だけど、せっかくお姉さまから切り出してくれたその話も、さっきとほとんど同じ言葉のやり取りの末、また私が答えに窮するという展開に行き着いてしまった。だって、どんな理由かと尋ねられてその理由が言えるくらいならそんな簡単な話はない。私は言えない理由があるからこそ、嘘だってついたんだから。 作ってきたチョコが、お姉さまが唯一もらいたくないチョコとぴったり一致していたからだなんて、どうしてそんなこと言えるだろう。言えるわけがない。まして、それをお姉さまの目に触れさせることなんて、絶対できない。 「本当は、理由もないとか?」 「違いますっ。理由はあります。でも……、言えません」 「……そう」 ため息のようにつぶやいてお姉さまは息をつく。あくまでそれがため息ではないと主張しているかのように。 どうして私はもっとちゃんと考えていなかったんだろう。思い描いていた「びっくりして、でも嬉しい声」とまったく逆のそれに、私は胸が痛んでいたたまれなかった。そして、そのまま数分。お姉さまは無言になってしまい、必然的にこの場所には言葉がない時間が過ぎた。 私から何か口にすることなんてできなかった。本当は「ごめんなさい」と謝って、例えば「これから帰って作りますから、今日は帰ります」とでも言えれば、この何も解決しない状況を動かすことだってできるだろう。そしてそこに「夜お届けにうかがってもいいですか?」とつなげられたら、きっと私は今ひたすら進んでいる方向への転落にもストップをかけることができるだろうに。 でも、わかっているのにできない。呆れ顔を困り顔に変えて、今は思案顔をしているお姉さまに私はこんな状況であるにもかかわらず釘付けになっていたのだ。どこか怖さを感じながらも瞳はまるで見惚れるようにお姉さまを真っ直ぐに捉えている。それは、どうしてそんな風になってしまうのか、合理的に説明することなんてできない現象だった。 そんな私の視線に気付いたのだろうか。お姉さまは斜め下にずらしていた自分の視線を私に戻すと、さらに私の顔をのぞき込むように、わずかに首を傾げて言った。 「ねえ、1つだけ聞いていい?」 私は背筋をピンと伸ばして答える。 「はい。何でしょうか?」 すると、お姉さまはやや戸惑いを含むような口調で思いがけないことを口にした。いや、それは思いがけないというより、ありえないと言った方がいいだろう。だってそのとおり、私は即座に答えていたのだ。「そんなこと、ありえません!」と。 「まさか、私のこと嫌いになったってわけじゃないわよね?」 お姉さまがそのとき私に投げかけた問いは、天地がひっくり返ってもないと言い切れる、本当にありえないものだった。だから私は改めて強く思うしかなかったのだ。そんなことまで考えさせてしまった私は、なんて最低な妹なんだろうと。 責任は全部私にある。こんな風に話がこじれてしまったことも、話が全然噛み合わないことも。 「それなら、バレンタインのチョコなんて別にいいわ」 私が強く強く主張した「ありえない」という思いに対してお姉さまが返してくれたその言葉は、これ以上ないというくらいに妹である私を思ってくれている証の言葉だった。嫌われていないならチョコなんてどうでもいいと、お姉さまはお姉さまなのに、それほどまでに身勝手な私を立ててくれて。 だけど私は、そんな私の思いとまったくかけ離れた結論に納得するわけにはいかなかったし、お姉さまにもそんなもので納得してほしくなかった。だから、あわてて待ったをかける。 「ちょっ、待ってください、お姉さま」 「何を?」 「私のチョコは受け取ってくださらないんですか?」 「え……、だって、あなたチョコ、私に渡せないんでしょ?」 「それは……、それは、今、無理なだけです。明日なら。いや、今夜にはお渡しします!」 考えていた言葉も勢いで言えた。これで事態は好転すると、私は信じていた。だけど、自分で事態を打開しようと言ったならともかく、それは結局お姉さまに引き出してもらった言葉に過ぎなかったから、だからきっと、そこに私の望む効果は備わってくれてはいなかったのだ。 お姉さまは首を振る。 「全然わからないわ。あなたのこと、こんなにわからないと思ったの初めてよ。ねえ、どういうこと?」 「それは……」 私たちの会話は完全に堂々巡りに陥ってしまっていた。私にはどういうことかの説明をすることはできないし、でもそうしなければお姉さまには何もわからないから、バレンタインに妹がチョコを渡してくれない理由がわからないままで悶々とすることになる。でも私は、やっぱり今さっきお姉さまの会話を盗み聞きして知ったことを言えるわけがない。 いつまで続くのか予想もつかない。私たち姉妹の膠着状態はそれからさらに数分続いた。 そして、結局その状態が打ち破られたのは、やはり私たち内側の2人の力ではなく、外からの力が働いたからだった。 カチャリ。 「戻りました。……って、あれ? まだお取り込み中ですか?」 クラスメートと先輩が、少なくとも今の私たちよりもずっと仲睦まじい様子で笑いながら、帰ってきた。もちろん彼女たちは発明部の部員だから、ノックなんてしないで、スッとこの場に入り込んできたのだ。この場合、入り込んでくれたと言う方が正しいのかもしれないけれど。 「いや、取り込み中っていうか……」 友人のややのんきそうな問いには、お姉さまが答えた。すると友人は状況把握のように、また質問をして。 「えーと、チョコの受け渡しは?」 「……されてないけど」 そうして、事態は動くことになった。 「えっ?」 「なんで?」 帰ってきた2人が同時に驚いて声を上げ、そして、そのあとには私にとって望ましくない言葉がこの場に飛び出したのだ。 「どうして渡してないの、チョコポテチ? あ、正式名称は『ポテトチップ×チョコレート』だっけ? 今日1日中うるさく自慢してたのに」 あ……っ。 気付くのが遅かった。私はそのとき、どこか彼女たちの再登場による状況変化の成り行きを見守ってしまっていたから、この手がその友人の口をふさいだのは、私が頑として守っていた秘密がそこから躊躇なく漏れたあとのことだった。 そして当然、それは私にとって知られたくない人にも伝わってしまうことになり……。 「『ポテトチップ×チョコレート』?」 「違いますっ。お姉さま!」 私はお姉さまの耳に入ってしまったその情報をかき消そうとした。友人を窒息させるくらいの必死さで懸命になかったことにしようとした。でも、友人はそんな私の努力をふいにするような下準備までしてくれていたから、つまり私のその叫びは意味をなさないうるさい声にしかならなかったのだ。 「ねえ、私にも見せてよ。その『ポテトチップ×チョコレート』。今、話してて、すっごく気になっちゃってたんだから」 ああ……。 哀れ、私の手は2本あるけれど、すでに友人の口をふさぐことで手一杯の私はもう1人のその人の口にまでは手が届かなかった。もちろん仮に届いていたとしても、その人は同学年の友人と違って上級生のお姉さまだからそんなことはできなかっただろうけど。 っていうか、何、勝手にベラベラ私のチョコの内容を話してるんだこいつは! 私は口に当てていた手を、鼻まで覆うように動かした。まあ、残念ながら本当に窒息死させるわけにはいかないから、ギブアップの意思表示がされると放してあげたわけなんだけど。ああ、私はなんて優しいんだろう。 それからあとは、さすが鋭いお姉さま。私の期待や希望をしっかり裏切って、全てを看破してくださった。 「つまり、チョコはちゃんと作ってきてるのね?」 「いいえ」 「で、それは自慢できるくらいの自信作だったのね?」 「いいえ」 「でも、それは私に渡せなくなってしまったわけね?」 「いいえ」 「それは、私たちがしていた会話を聞いてしまったからね?」 「いいえ」 「だから今も、かばんにはその『ポテトチップ×チョコレート』がちゃんと入ってる」 「いいえ!」 「出しなさい」 「嫌です」 まあ、これじゃ白状しているのとほとんど一緒と言われればそれまでだ。私は完全に嘘発見器にかけられた格好になっていたわけで、その上すでに私には嘘つきの才能がないことをお姉さまは認識していた。つまり、そこから真実を取り出すことなんて、お姉さまには簡単すぎるくらい簡単だったのだろう。 私ははっきりと嫌だと言った。だけど、それさえ嘘と取られたのだろうか? 私の主張はやっぱり認めてもらえなくて。 かばんを漁られ、友人の手からお姉さまにチョコが渡されるシーンを羽交い絞めされた状態で見る。私の初めてのバレンタインには、そんな思い出が足されることになった。こんなのほとんどトラウマになることが決定されたようなものだと、私は抗議の声をわめきながら思っていた。 確かにお姉さまには渡せないと思っていたとはいえ、私はそれをお姉さまのために作ったのであって、それ以外の何人のためにも作った覚えなんてない。だからもちろん、それを見て笑うのはお姉さまだけに許された権利であって、私を羽交い絞めした人でなしや、可愛らしく照れた顔を作って他人のお姉さまにチョコを渡した人でなしなんかには、そんなことをしていい資格なんてこれっぽっちもないに決まっていた。 だけど、彼女らは人でなしであって、そんな人の道などわきまえてはいなかった。よって、私がお姉さまのためだけに作ったチョコの包みが解かれ、それが姿を現したときにも彼女らは何の遠慮もなくそれをじろじろと見て、あまつさえお姉さまよりも先に苦笑してくれたのだ。 「うーん。何か微妙そう……」 「ああ、わかる気がするわ。確かに、美味しくないわけじゃないけど、別々に食べた方がきっと美味しいって思っちゃう感じ」 何だそれ。食べてもいないのに、どうしてそんなこと言えるんだ。 拘束を解かれた私は憤慨しながらも、そんなこと言って「じゃあ、食べさせて」なんて、そんな方向に話が転がるのだけは断固お断りだったから、ただ投げやりに言葉を投げた。 「はいはい、そうですか。ええ、そうですね」 本当に、私の転落人生はどこまで続くんだろう。私は自分の将来を悲観して、ただ深くため息をつくしかなかった。とりあえず、今、一番言いたい言葉は「もう帰っていいですか?」だ。っていうか、言おう。 「もう帰っていいですか?」 「どうして?」 「『どうして?』って……」 私ってここまで意地悪されなきゃいけないほど悪い子なんだろうか? それとも私のお姉さまが鬼なのだろうか? また返答できない問いを返して私を引き止めたお姉さまは、外野とは違ってなぜか真剣に私のそのエセ発明品を見つめていた。 そして。 「食べていい?」 ついにその段となったとき、私はどこか合点がいったような気がした。これでようやくオチがつくって。たぶんお姉さまも、そのために私を引き止めたのだろう。 確かにお姉さまには渡せないと思っていたとはいえ、私はそれをお姉さまのために作ったのであって、それ以外の何人のためにも作った覚えなんてない。つまりそれは、お姉さまにはそれを見て笑う権利もあれば、もちろんそれを食べる権利もあるということだ。 それに、その『ポテトチップ×チョコレート』が残念ながら今年のバレンタインの私からのチョコということにもなってしまった。食べてもらわないと確かにこのイベントは終わらない。 「どうぞ」 少しだけ投げやりな口調を抑えたのは、もちろんそれがお姉さまに返す言葉だったから。それでもまだ失礼な響きだっただろう私の言葉だけど、きっとお姉さまのことだ。さすがに気を遣って「まずい」とは言わないでくれるに違いない。私の期待は当初の高望み過ぎたものから、いまや極めて現実的なものへと修正されていた。 できれば「個性的な」とか「なかなかない」とか、そういった言葉でその味を表現してほしいものだけど……。 そう思いながら見つめた。お姉さまがそれに手を伸ばし、手に取り、口に運び、味わい、嚥下するまでを。 そしてお姉さまは、固唾をのんで見守っていた私と他2名に笑みを作ってその感想を伝えたのだ。 「美味しいじゃない、これ。うん、美味しいわ」 「は?」 「だから、美味しいって言ってるのよ」 それはきっと、一般的に考えて、バレンタインにお姉さまをチョコをあげた妹にとって、一番嬉しい言葉だったと思う。でも、そのとき私はそんな言葉を期待していたわけじゃまったくなかったから、思わずただ頓狂な反応をするしかなかったのだ。 「はあ」 わずかに強い口調でお姉さまが言ったせいで、私はうっかりそれを信じそうにもなってしまっていた。 「え、そうなの?」 「本当に美味しいんですか?」 まったくなんて空気を読まない人たちだろう。お姉さまがせっかく妹の機嫌を取るために言ってくれたその言葉に、先輩とクラスメートは即座にツッコミを入れるように反応していた。 確かに、私だって思った。そんなまさかって。でも、いいじゃないか。それはお姉さまのお姉さまとしての優しさなんだから、わざわざ事実と異なるからといって訂正を求めなくても。私は冷静になると、それがお姉さまの本当の感想ではないことをちゃんと見抜いていた。 「ええ、美味しいわよ」 お姉さまが答えて、私は「ほらね」と思った。一度嘘をつくと、嘘を守るためにまた嘘を重ねなきゃいけないことになる。ほんのさっきそれを経験済みの私はだから何も言わないのに、2人はそのことを全然わかっていなかった。 そして、わかってないからこんなことまで言うのだ。 「1枚ちょうだい」 「1枚ください」 果たしてそれが聞き入れられると2人は本当に思っていたのだろうか。だってそれはバレンタインに1組の姉妹の間で受け渡しのされたチョコなのだ。たとえどんなにまずくたって、それだけで価値がある。だから他人にあげたりしないものなのに。 「いや」 ごくごく端的に、ちょっと子どもっぽくきっぱりと答えたお姉さまに惚れ惚れした。 どうやら私の不幸への転落は、やっとその進行を止めたか、緩めてくれたらしい。姉妹で同じ考えを共有している。チョコの感想は真実のお姉さまの気持ちじゃなくても、そのことで私は十分嬉しかった。 (ありがとうございます。お姉さま) さて、あとはその決して美味ではない代物をもうお姉さまが口にしなくていいように計らうだけだ。 思った私はちゃんと自分から告げる。 「お姉さま、あとはゆっくりお宅で召し上がってください」 説明しなくてもわかると思うけど、もちろんこの言葉の意味は「捨てるのは私のいないところでお願いします」だ。いやはや、できた妹だと思う。捨てなきゃいけないようなチョコを贈ってしまったという点に目をつむれば。 そして、その含意を感じ取ったのかどうかはわからないけれど、結局は「美味しくないのに妹のために美味しいと言う」なんて、オチとしても弱い幕引きにどこか不満げな2人もちゃんと諦めてくれたみたいで、私はほっと胸をなで下ろした。 今年のバレンタインはあまりいい思い出としては残らないけど、それでもお姉さまが私のことを思ってくれていることがわかったから、トラウマにもならないで済みそうだ。 「それもいいわね。でも、せっかくだからここで食べてくわ」 って、お姉さま? 何でだろう。どうしてこんなにうまく帳尻が合ったのにお姉さまはそんなことを言い出すんだろう。 私が進行させていた計画はお姉さまのその一言ですっかり狂って、またはじめからやり直し。それを理解した瞬間、私はひどく疲れた気がして、思わず本音を漏らしていた。 「あの、お姉さま。別にいいですから。そんなに気を遣っていただかなくて」 「……何、言ってるの? それ、どういう意味?」 「『どういう』って、美味しくないのに、無理に食べなくていいと言っているんです」 また少し投げやりになってしまった。だけど、そんな私の言葉に対してお姉さまが返した反応は、また私の認識とはやっぱりずれたもので、……あるいは、それは私の認識を根底から覆すものだったのだ。 「だから、何、言ってるの? 美味しいからそうするのよ? 決まってるじゃない」 美味しいお菓子を独り占めしてみんなを羨ましがらせたい。果たしてそれは何歳児の発想だろうか? まあ、それをいくつと決めることはできないけど、「児」と付けたくなるくらいだからそれが子どもの発想であることは間違いないだろう。そんなことを目の前で自分のお姉さまがしている光景というのは、ものすごく恥ずかしいことだった。 4人だけだった部室にはそれから次々と部員が集まってきたけれど、そのたびお姉さまの食べているお菓子は注目され、そのたびお姉さまは「あーげない」と答えて部員たちを呆れさせ、あるいは苛立たせた。 ここで問題なのは、そのお菓子が私の『ポテトチップ×チョコレート』だということ。 つまりそのお姉さまの言動は、もう少し適切な言い方をすれば、単に「美味しいお菓子を独り占めしてみんなを羨ましがらせたい」というだけじゃなく、「妹からバレンタインにもらったチョコを見せびらかして自慢したい」という、姉バカだか妹バカだか、いずれにしても本当に恥ずかしい発想によるものだったのだ。 その恥ずかしさを嬉しいと思わなかったと言えば嘘になる。いや、はっきり言おう。嬉しかった。 ただ、私はもう少し慎ましく、密やかな2人だけのバレンタインに憧れていたし、お姉さまのように周囲に白い目と苦笑いをさせて喜ぶような性格でもなかった。よって、私はただその恥ずかしさを抱えて、部室の隅っこで小さくなっているしかなかったのだ。 (それにしても……) わからない。だから私は自分が犯していた根本的で重大極まるミスにも気付かざるを得なかったのだ。だって、私にはそのとき、お姉さまのそれが本気なのか冗談なのか判断できていなかったから。 それがどういうことかと説明すれば、どうかしてると言われるかもしれないし、言われても仕方ないけれど、つまり私は自分が作ったその『ポテトチップ×チョコレート』が結局美味しいのか美味しくないのかわかっていなかった。あんまり自分のアイデアに浮かれていた私は味見という極めて基本的な行動さえ忘れていたのだ。 それは本当はどんな味なのだろう。甘いのかしょっぱいのか、甘くてしょっぱいのか、それとも……。 唯一それを知っているお姉さまが演技とは思えないくらいに美味しそうにそれを食べるから、私にはそれが気になって仕方なかった。お姉さまが前に同じアイデアの商品を食べたときの感想は、ドア越しに聞かせてもらったとおり絶賛とは程遠いものだったはず。じゃあそこから、他の部員たちへの当て付けと妹へのひいき目を引いたら実際どうなんだろうって。 そして、考えてもやっぱりわからなかった私はそれを確かめてみることにした。 「お姉さま、1枚いただきますね」 ごく自然に手を伸ばす。すると、そこにあった包みはヒョイと遠ざけられ、私の指は空振りした。 (え……?) 軽く驚いて遠ざけた張本人であるお姉さまを見やる。と、お姉さまはひどく満足げな顔で私に笑いかけて。 「ダメよ。これは私のだもん。あーげない」 はたから見ていたときにはその光景は恥ずかしくもどこか可愛くて、嬉しくもあったものだけど……。妹とはいえ、私ははっきり思った。私、今、イラッと来ました。お姉さま。 結局、疑問が解けずじまいでその日帰宅することになった私は、その夜、2日続けて同じお菓子を作らなきゃいけない羽目になった。さらに翌日には市販されているポテトチップとチョコレートを組み合わせた商品も探して買い求めた。 でも、それらを味わってみた私の感想はお姉さまの言葉じゃないけれど、美味しくないということはないけど、でもたぶん、ポテトチップとチョコレートは別々に食べた方がいいというもの。 だから私は、ようやくその疑問にも答えを見つけることができて、納得するとわずかに肩を落としたのだ。その日お姉さまが口にした「美味しい」も、概ね当て付けとひいき目で占められていたのだろうって。 ただ、これは付け加えておかなきゃいけないだろう。私のその結論は1か月後には変わることになったということを。 ホワイトデー。その日お姉さまからもらったお返しは『チョコレート×ポテトチップ』というものだった。それは私の贈った『ポテトチップ×チョコレート』になぞらえたものとも言えたけど、私にとってもう少し馴染み深い言葉で表すなら、それこそ完全なる「盗用」だ。 ただ、それは別に言葉遊びの問題だからさして重要じゃない。何より重要なのはその味の感想で、私にとってそれは手放しで言える「美味しかった」だったのだ。 自分で作ったものよりも、お菓子会社が作っているものよりも、ずっとずっとお姉さまが私のために作ってくれた『チョコレート×ポテトチップ』は美味しくて、部室で他の部員たちの視線の中、1人でにやつきながらいただくそれは私を最高の気分にしてくれた。 で、じゃあ、そこから他の部員たちへの当て付けとお姉さまびいきを引いたらどうかって? そんなの知らない。だって私はそれがあんまり美味しかったから、そんなどうでもいいことを検討なんてする気も起きなくて、お姉さまと同じようにその場で全部平らげてしまったのだから。 だから、もしも私に言えることがあるとするなら、それから発明部内で私たち姉妹への扱いがとても厳しくなったということくらい。 理由は、うっかり触るとのろけられて、他の部員の発明意欲が阻害されるからだって。 まったく、失礼しちゃいますよね。お姉さま。 [執筆:結佳理 佳しきを結わふ理] |