グランド・ファンク・レイルロード
GRAND FUNK RAILROAD
1975年5月22日 GFR日本公演の思い出
※ 本ページに掲載した写真は、予告無く削除されることがあります。
※記事作成:2004年

孤独の叫び〜Inside Looking Out 1969
GRAND FUNK
in JAPAN 1975
※ アルバム’Caugut in the Act’より転載
May 1975 in Japan
【GFR CONCERT SCHEDULE】
1975年5月16日 グランド・ファンク来日(The second visit to Japan)
5月18日 名古屋市公会堂(Nagoya )
5月19日 京都会館第1ホール(Kyoto)
5月21日 大阪厚生年金ホール(Osaka)
5月22日 日本武道館(Tokyo)
5月23日 日本武道館(Tokyo)
1975年5月22日(木)の日本武道館公演のチケット。保存状態が大変悪い…。
友人と二人で、学校をこっそり早めに抜け出して観に行った。
1975年5月 日本公演でのマーク
※ Music Life誌より
1970年代後半、「銀座ナウ」というテレビ番組に
清水健太郎による「男のバイブル」というコーナーがあったと思うが、
そのBGMにグランドファンクの「ジュヌヴィエーヴ」が使われていたはずだ。
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この時期のグランド・ファンクはアメリカン・ロック・アーティストとしての地位も確立し、サウンドもハード・ポップ路線に移行していたが、初期のラフなサウンド、ライブ・パフォーマンスもGFR(グランド・ファンク・レイルロード)の魅力であり、中・後期のハード・ポップなサウンド、ライブ・パフォーマンスもまたGFRの魅力である。2004年11月1日、かつてGFRのマネージャーだったテリー・ナイトが、娘を守ろうとして刺殺される事件が起きている。 |
ギブソンL-5Sは値段が高くて…
グレコLSG1200を90年に購入。
(GRECO LSG-1200)
GRAND FUNK RAILROAD
(アルバム「We’re An American Band」ジャケットより)
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★以下3枚の写真は「音楽専科」だったか、70年代末(’78か’79かな)発行の音楽雑誌からの切り抜きです。 |
EARLY 70’s Mark Farner(GFR) on Stage
70年代初期のマーク・ファーナー
使用ギターは「メッセンジャー(MESSENGER)」

GRAND FUNK RAILROAD(GFR)は1970年代前半に世界中の多くの若者の共感と支持を得たアメリカン・ハードロックの元祖とも言えるバンド。
1971年の初来日の際、観客の異常なまでの熱狂と興奮の中、激しい雷雨に見舞われた東京後楽園球場での嵐の中の野外ライブの様子は、当時の若者文化を象徴するの社会事象の一つとして大いに話題になった。
ブリティッシュ・ロック全盛の1970年代初頭、アメリカの大地の匂いを漂わせたストレートで荒削りな、そして凄まじい大音量で演じられたロック・パフォーマンスは若者の魂を激しく揺さぶり、GFRは間違いなく時代を象徴するグループの一つになった。
腰近くまで長く伸ばした金髪を振り乱し上半身裸でギターを弾きながら絶唱するマーク・ファーナーの存在もまた、多くの若者を魅了した。

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GRAND FUNK RAILROAD
in JAPAN 1971
K
※こちらの公演(小学5年生当時)は観に行っていません
■1971年7月17日 東京後楽園球場
聴衆4万人
ガードマン400人
騒乱に備え機動隊が待機
会場に入れなかったファンの一部が暴れだし
投石
放火
鉄柵を破壊し乱入
嵐の中
全身を雨に濡らし
マークと同じように
上半身裸になって
髪を振り乱し
歌い
叫び
踊る
爆音とも爆風とも
区別つかない震える空間の中で
グランド・ファンク・レイルロードと
一体となった夜
男も
女も
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■1971年7月17日 東京後楽園球場(KORAKUEN STADIUM,TOKYO, JULY 17,1971)
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マーク・ファーナーの直筆サイン
「YOUNG GUITAR誌」1990年5月号の読者プレゼント(1名)当選品。
同年2月、ソロコンサートのために来日した際のもの。
「To Young Guitar,Lord Bless! Mark Farner」とある。
マークの指紋つき。


