Jai Guru De Va, Om




 「アクロス・ザ・ユニバース」は1968年2月中旬に始まるビートルズのインド滞在直前にレコーディングされた作品で、また、ジョン・レノンが松尾芭蕉に影響を受けて作詩されたものとされる。

 あらためて詩を読んでみると、ヨガにおける瞑想中に独特の心理的現象がジョン独自のレトリックによって描写されているよう。「Nothing's gonna change my world」「jai guru de va,om」の部分以外の詩に解釈を求めるのは無意味だろう。

 ヨガ式の瞑想をすれば初歩的な段階でジョンがこの作品で描写した体験と類似した体験をすることが出来ると思う。

Jai Guru De Va, Om 

Jai(ジャイ)…サンスクリット語(古代ヒンドゥー語)で「〜を称える(praise be to 〜)」「〜に感謝を捧げる(give thanks to〜)」。

Guru(グル)
…サンスクリット語で「(ヒンドゥー教の)導師」。英語では「グールー」。

De Va(デーヴァ)
…ビートルズが傾倒していたインドの導師マハリシ・マヘシ・ヨギの導師名が「Dev」である。また、マハリシの師、スワミ・ブラーマナンダ・サラスワティもまた「Dev」と呼ばれている。歌の中では「デイーヴァ」と発音されている。

 ジョンは「アクロス・ザ・ユニバース」の歌詞の中で特定の個人名を使用するのを避け、「a」を付加して「
Deva」とした。
Om(オム)…「オム」はすべての根源にある聖なる音であり、ヒンドゥー教で最も短いマントラ(特定の意味をもち、神聖なバイブレーションを発する呪文)の言葉。常にそれぞれの祈りの前または後に用いられ、「ォオームー…」と長く伸ばして唱える。※ 「ム」は唇を閉じる。
 古来インドでは「a・u・m」の三字からなると解釈され、それぞれ「創造・維持・終滅」を表している。この一語で、全世界が成立し、そして滅びる過程を象徴している。仁王像や狛犬の「阿吽(あうん)」はこの梵字に由来し、同じく「万物の始まりと終り」を示すとされている。

マントラとは

 よって、間投詞「Om」の前にカンマを打って独立語として表記するのが正しく、

Jai Guru De Va,Om.   


とし、「デーヴァ導師を称えます、オームー…」、または「デーヴァ導師に感謝を捧げます、オームー…」
と、ジョンは「超越冥想(TM)」の創始者マハリシを信奉してマントラを唱えていたことになる。

 因みに「Jai Guru Dev」は「TM(超越冥想)」においてマハリシ、あるいはマハリシの師であるGuru Dev(スワミ・ブラーマナンダ・サラスワティ)を称える言葉として関係者の間で現在も使用されている。

※マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー:1917年1月12日〜2008年2月5日

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以下は月刊「The Beatles」誌1993年1月号掲載記事より引用した。「across the universe」「nothing's gonna change my world」のフレーズの意味を探る重要な手がかりがあるのでは?
 五人(レノン、シンシア、ジョージ、パティー、パティーの妹ジェニー)はそれぞれ個室にこもり、ひとりきりで瞑想に入る…ジョンは時々、一日中一人きりで深い瞑想に入ることがあった。

 ジョン:「瞑想とは、どんなにひどい日でも、自分自身にとって、また他人にとっても
自分が価値ある人間になることだ。瞑想を終えると、とにかく何かしなくてはという気持ちに急き立てられるのだ」

 ジョージ:「…
より鋭い思考の段階まで超越して、普段自分が考えていることを特別な言葉や音(=マントラ)で転換させる、というのが瞑想の概念。瞑想中はその言葉や音を心の中で繰り返し唱える。そして瞑想の目的は最終的に純然たる意識の段階に到達することだ。心の中を空白にすること。それによって、過去の体験からは比較できないほどすばらしい経験ができるのだ… ドラッグでは瞑想やヨガのように、自分の内面や自己の本質まで到達することなど不可能だ」

「冥想〜こころを旅する本」内藤景代著(実業之日本社)
「私」とはなにか? 「大切なもの」とはなにか? を発見する旅 ― マインド・トリップ。

チャント・オブ・インディア(ラヴィ・シャンカール)
 インドの聖典「ヴェーダ」をテーマにし、ジョージ・ハリスンのプロデュースによるマントラを題材にした聖歌集。ヒーリング・サウンドとしてもご利用頂けます。

 

ACROSS THE UNIVERSE

溢れ出す言葉は
紙コップの中に際限なく降り注ぐ雨のよう
流れ広がり
この宇宙を超えてくまなく巡る

悲哀の淵 歓喜の波動は
解き放たれた僕の心の中を漂いながら
僕を虜にし 愛撫する

Jai Guru De Va,Om(デーヴァ導師を称えます、Om…)
僕の世界を変えることは出来ない
何ものも
僕の世界は変えられない

屈折した光のイメージが
無数の眼のごとく踊り舞い
絶え間なく僕を誘う
この宇宙を超えたところへと

さまよう僕の思いは
郵便箱の中の落ち着かなげな風のよう
でたらめに転げ回っては
向かってゆこうとする
この宇宙を超えたところへと

Jai Guru De Va,Om(デーヴァ導師を称えます、Om…)
僕の世界を変えることは出来ない
何をもってしても
この僕の世界は変えられない

人々の笑い声
生命の陰影は
僕の解き放たれた心に鳴り響き
僕をそそのかし
僕を招き寄せる

限りなく
そして不滅の愛は
無数の太陽のごとく僕をとりまいて輝き
絶え間なく僕を誘う
この世界を超越したところへと

Jai Guru De Va,Om(デーヴァ導師に感謝を捧げます、Om…)
僕の世界は変えることはできない
何をもってしても
この僕の世界は変えられない

Jai Guru De Va(デーヴァ導師に感謝を捧げます)
Jai Guru De Va(デーヴァ導師に感謝を捧げます)

by JOHN LENNON

※ 内田久美子氏の原訳を参考にしています。


ビートルズのマハリシとの出会いは1967年8月24日、ロンドンで開催されたマハリシの講演時だった。超越瞑想(TM)に強い関心を抱いたビートルズは、その翌日、25日にはウェールズでのマハリシの瞑想修行に参加している。さらに翌1968年2月16日にはジョン、ジョージ夫妻、20日にはポールとジェーン、リンゴ夫妻が共々マハリシのもとで瞑想を行うためにインドでの滞在を開始している。

 レット・イット・ビー版「アクロス・ザ・ユニバース」は1968年2月4日にレコーディングが開始され、アンソロジー版「アクロス・ザ・ユニバース」もその前日、2月3日にレコーディングされているので、「アクロス・ザ・ユニバース」はジョンの
インド滞在中に作曲された作品ではない

◆ ビートルズ・アンソロジーに収録されている「アクロス・ザ・ユニバース」には特徴的な「
変拍子」の部分がまだない。この曲、「アクロス・ザ・ユニバース」は実際にフルコーラス歌ってみるとわかるが、息継ぎする間がわずかなので、恐らくプロのシンガーでも歌っている途中で酸欠気味になり、発声も崩れてくる。変拍子を採り入れたオリジナル・バージョンの「アクロス・ザ・ユニバース」でさえ、かなり苦しい。「酸欠対策」のために変拍子を入れざるを得なかったのだろうが、ジョンの声が後半でだれ気味なのはそのせいもあると思われる。アンソロジー版を聴くとジョンが歌唱に苦闘しているのが特にはっきりとわかる。

 是非ご自身、試しにフルコーラス歌ってみてください。

 ジョン…「曲は抜群なのに演奏にはガッカリしたね。ギターのキーは合っていないし、僕の歌も調子っぱずれなんだ」

 パストマスターズに収められたバード・バージョンの「アクロス・ザ・ユニバース」がピッチを上げてあるのは、ジョンのだれ気味の歌唱をリカバーするためであったとも考えられる。レット・イット・ビー版「アクロス・ザ・ユニバース」は逆にピッチを落としてあるが、これは単にフィル・スペクターのプロデュース上の都合だろう、と想像する。

◆ 「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のブレイク部などで流れるように響く美しくきらびやかで金属的なハープ・サウンドは「
スワルマンダル(ソードマンデル)」を使用してジョージが演奏しているものだが、アンソロジー版「アクロス・ザ・ユニバース」でも恐らくジョージ自身によるスワルマンダルの演奏をふんだんに聴くことが出来る。(ちょっと演奏がぎこちないのでインド人のプロ奏者でないことは多分間違いない)

・「ビートルズの使用した楽器」へ

◆ 「アクロス・ザ・ユニバース」の詩作においてジョンが高い文学性と美を追究している点で、松尾芭蕉の俳諧文学との共通性が認められる。ジョンは独自の感性を信じて、芭蕉のように一つ一つの言葉を大切にし、それを紡いでいくことで美を表現しようとした。

芭蕉の句
  静寂…古池やかはず飛び込む水の音
  幽寂…枯枝(かれえだ)にからすのとまりたるや秋の暮れ
  無常…夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡
  閑寂…閑(しず)かさや岩にしみ入る蝉の声
  無常迅速…やがて死ぬけしきは見えず蝉の声
  調和美…白露(しらつゆ)もこぼさぬ萩(はぎ)のうねりかな
  幻影・・・旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

中学入試によく出る! 俳句・短歌

 ジョン曰く、「(アクロス・ザ・ユニバースの)歌詞は、僕がこれまでに作った中で最高のものの一つだ。メロディーなしで一つの詩としてそのまま独立しているのが僕は好きなんだ」


自作画:ビートルズ

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おまけ

Strawberry Fields Forever

君も連れて行ってあげよう
ストロベリー・フィールズに
現実なんて幻に過ぎないのさ
煩わしいものなんて何一つありはしない
ストロベリー・フィールズは
いつだってそんな場所なんだ

目をつぶっていさえすれば
生きることはたやすい
目を見開いて生きていれば
誤解ばかりしているのだから
出世するのが難しくたって
いずれどうにかなるものだろう
どっちにしたってそんなこと
僕にとってたいしたことじゃない

君も連れて行ってあげよう
ストロベリー・フィールズに
現実なんて幻に過ぎないのさ
煩わしいものなんて何一つありはしない
ストロベリー・フィールズへ行ってみれば
それがわかるから

僕の登った木には
他に誰もいないようだ
つまり
僕の気分の高揚も沈鬱も
君には共鳴出来ないということ
でも
それでいいのさ
悲しむほどのことじゃない

君も連れて行ってあげよう
ストロベリー・フィールズに
現実なんて幻に過ぎないのさ
煩わしいものなんて何一つありはしない
一緒に行こうよ
ストロベリー・フィールズへ

これが僕なんだと
いつも…
いや、時々思うことがある
でも、そう、
それは夢の世界だとわかってはいる…
"そうだ"と肯定していることが
すべて間違っていて…
つまり
自分自身がちぐはぐなんだ

君も連れて行ってあげよう
ストロベリー・フィールズに
現実なんて幻に過ぎないのさ
煩わしいものなんて何一つありはしない
ストロベリー・フィールズよ
ずっといつまでも

ストロベリー・フィールズよ永遠に

 

by JOHN LENNON

※ 内田久美子氏の原訳を参考にしています。

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Mother Nature's son

貧しい田舎の家の生まれ
母なる自然の子よ

大地に腰を下ろし
一日中
みんなに歌を歌って聞かせる


山のせせらぎのそばに腰を下ろし
水の躍動を見つめている
奏でられるかすかな音に耳を傾けて…


僕はこの草原にいつもいるよ

母なる自然の子よ

風に揺れる雛菊が
陽射しのもとで
けだるく歌う


母なる自然の子よ

 

by Paul McCartney

※ 内田久美子氏の原訳を参考にしています。

 

★ ジョン・レノンが使用していたギターや遺品の一部などは現在、埼玉アリーナ内
ジョン・レノン・ミュージアムに保管・展示されています。