御忌(ぎょき)法話







                                      
                                  2014.3.12収録

 

 南無阿弥陀仏

皆様こんにちは、久しぶりにお目にかかることになりましたが、今日は浄土宗の最大のお勤めである『御忌(ぎょき)』についてお話を申し上げようと思います。

 先日は3月11日でございまして、東日本大震災から丸三年経ちました。各地で慰霊祭が行われ、今朝は天皇陛下が述べられた追悼のお言葉が新聞に載っておりました。私も、亡くなられた方々、行方不明のお方、そして、避難生活を続けておられる方々等、まだご苦労が続いておられる方々に、心からお見舞いなりお悔やみを申し上げたいと存じます。

 さて、そのような大災害も起きましたけれども、日本という国は非常に四季のはっきりした珍しい国であります。
そこで、日本では昔から四季に色を配した言葉があります。
春は春…新緑の青色
夏は夏…燦々と輝く太陽の朱(赤)色
秋は秋…収穫後の白色
冬は玄冬…雪雲の玄(黒)色
と申します。そのように季節の移り変わりに対し色を当て、それぞれの(おもむ)きを楽しませていただくのが日本民族の伝統というものでございましょう。


 さて、私が日頃おります百万遍知恩寺の中庭には、大きな梅の木がございますが、今、その木がたくさんの白い花を咲かせております。私はその花を見る時に

 寒梅の 笑みを含んで 春を待つ

という歌を思い出すのでございます。
この白い花が咲きますと、もうしばらくで桜の花の咲く春がやってくる、その先駆けとして“寒”の苦しみに耐えて白い梅の花が咲くのでございますが、この梅の花が咲く頃になりますと本山におきましては4月の『御忌(ぎょき)会』と申す大法要の準備が本格的に行われるのであります。本山では、一年間に色々な行事がありますが、その中で最も厳粛で大掛かりで力を入れるのがこの御忌会であります。

 この御忌会とは、浄土宗の開祖であります法然上人のご命日の法要であります。法然上人と申しますと、皆様が一番ご存じなのは法然上人が後の者達のために残してくださったご遺言である『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』を思い出していただけると思いますが、その最後に“建暦二年正月二十三日 大師在御判”とあります。法然上人はこの1月23日にご遺言であるこの『一枚起請文』をおしたためなさいまして、その2日後の1月25日に亡くなっていかれたのであります。ですので、1月25日が祥月命日でありますが、京都はこの時期寒うございます。そのため、4月に春を迎えていい気候の時期にお勤めさせていただくようになったのでございます。その御忌会がそろそろ近づいてまいりますので、今日はそのお話を申し上げてみたいと存じます。

 浄土宗では、他の宗派に誇るもの、誇りに思う事がございまして、これを『三勅(さんちょく)』と呼んでおります。
これは何かと申しますと、まず一つ目は今申しました御忌会でございます。“御忌”というのは本来天皇様のご命日の事を指すのでありますが、法然上人に限り一般人ではありますが、ご命日のお勤めのことを御忌と呼ぶことを天皇様から許された。それが浄土宗の誇りの一つでございます。

 二つ目は法然上人のお伝記(誕生から80歳で亡くなるまでの一生を書き記したもの)が、国家事業として編さんされたということです。日本には昔から名僧がたくさんいらっしゃいましたが、そのお伝記が国家事業として編纂されたという方はそう多くはございません。それがなされたということは、法然上人がそれほどご立派だったということ、それが、浄土宗の第二の誇りでございます。

 三つ目は、法然上人のお名前でございます。法然上人のお名前は円光東漸慧成弘覚慈教明照和順法爾大師(えんこうとうぜんえじょうこうがくじきょうめいしょうわじゅんほうにだいし)というお名前でございます。この長い長いお名前は何かと申しますと、大師号(だいしごう)と申しまして、それぞれの下に“大師”と申す尊称(お褒めの言葉)が付くのであります。この大師号とは立派なお坊様は誰にでもつけていいものなのではなく、天皇様から頂戴するものでありまして、一昨年の800年の大御忌の時に“法爾大師”という大師号を頂戴されました。これはすなわち国家表彰をうけなさったようなものです。法然様は800年の間に8回もそのお名前をもらっていなさるのです。それほどご立派な方だということであります。


 その法然上人が建暦2年1月25日に80歳で亡くなり、そのご命日のことを御忌と申し、そういう立派なお方であるからということで、我々は浄土宗の総力をあげてそのお勤めをさせていただくのであります。4月23・24・25日の三日間お勤めしますが、その時には全国から選ばれたお寺の和尚様が一日ずつ法主に代わってお導師を務めてくださり、そして最終日の25日には法主がお導師をお努めして、御忌が終わるのであります。
いずれにしても檀家の方々もたくさんご参詣なさり、全国から多くのお寺様方も本山においでくださって盛大にお勤めし、百万遍知恩寺では寺宝お呼ばれる大念珠も一緒に回させていただき、そしてお念仏を申させていただくのでありますけれども、そのお導師を務める和尚さまは日頃慣れないことをなさるので、1年も前からお作法のお稽古に励んでくださいます。そして、準備を十分に致しましてこの法要を務めていく。その法要の準備が、今から本格的に始まってまいります。

 しかし、その御忌も大事であり、ありがたいことでありますが、何より大事なことは、法然上人がこの南無阿弥陀仏の信仰を我々に残していって下さったということであります。

 法然上人は、大きなお寺を建てないと往生できない、たくさんいいことをしないと極楽には生まれられない、ということを申されたのではないのであります。
いつでも、誰でも、どこででも、お念仏を申せば必ず阿弥陀様のご慈悲によって極楽へ連れて行っていただけるのである。だからお念仏を申しなさいよ。お念仏とは阿弥陀様のお名前を呼ぶことですよ。これならどんな年のいった人でも若者でも、富める者でも貧しい者でも、知恵のある者もない者も、誰でもどこででも申して幸せにならせてもらえ、仏様のお国に生まれさせてもらえる。だからお念仏を申すのだ。
という教えを我々に下さり、それから今日まで800年経ちましたが、今年も御忌が勤められるのであります。

 『なにわめや 京をさぶがる 御忌詣で』 という歌があります。
京都は底冷えのする土地でございます。和尚様が御忌のお導師をなさるので、私たちも参らせてもらいましょう、と檀家の方々も本山へお参りなさいましたが、あまりの京都の寒さに震えあがって、“なんと京都は寒い所やな”と言っているお歌でございます。
和尚様のお勤め下さる御忌法要はありがたいけれど、それにしても京都は寒い。とびっくりするのがまた御忌でもありましょう。

 どうぞ皆様もこの機にお念仏を申していただき、お幸せに暮らしていただきたく存じております。

                                                            合 掌



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