あけましておめでとうございます。平成25年はもう少しむこうへ行ってしまって、新しい平成26年を迎えました。
皆様方にとってこの平成26年がすばらしい年になりますように、心より念じております。
さて、私は昨年の年末、本山の方で一年間にお寺へ納骨なさった方のお供養がありました。
その時に回ってまいりました書類を見て驚きました。亡くなった方々の戒名や俗名、そして年齢が書いてあったのですが、
その年齢がなんとご高齢の方が多い事か。日本は本当に高齢化社会なのだなぁ…と存じました。
もちろん中には30代で亡くなった方や、小さい子供さんもいらっしゃいましたが、平均致しまして納骨者の中の
8割が80歳以上という書類を見て、本当に結構な事だと感じました。それだけ高齢化するということは、
医療がそれだけ発達し、栄養がいきとどき、また社会保障がいきとどいている、その結果であると感じました。
けれども、その次に感じたことは、いかに高齢まで生きても、晩年を寝てばっかりで、寝たきりになってしまったのでは
長生きしがいがございません。やはり、生かさしてもらっておる間は、元気とはいかなくても年相応に活動ができるような
晩年でありたいなぁと思ったしだいでございました。
今日はお正月でございますので、法界寺の檀家さんの中でご高齢であって、しかも最後までお元気で
皆に大切にされていなさった一人のおばあちゃん田中ムメさんのお話を申し上げようと思います。
このムメさんのお住まいは梅田のすぐ横の中津でございまして、ここで生活をなさっておりました。
中津という所は、そう空気のいい、緑の多い所ではございません。街中でございまして、空気も悪いところでございますが、
そこでも99歳まで長生きをなさったのでございます。なかなか朗らかな方で、いつもニコニコとしておられ、
親戚の中でも皆に大事にされ、晩年をお過ごしになりました。このおばあちゃんの生まれは、奈良県の吉野でございまして、
幼いころに山の中を走り回った思い出を私にもよく話してくださいました。
このおばあちゃんが90歳を迎えられる時に、大阪市から長寿のご褒美を頂戴なさいました。
そのご褒美は表彰状と記念品の赤のお座布団で、真ん中に大きな字で“寿”と書いてあり、おばあちゃんは私がお参りに行くと、
いつもそのお座布団の上に座って待っていて下さいました。
おばあちゃんがそのご褒美を頂戴なさった後、親戚の方々がおばあちゃんに
「我々の中で市から表彰を受けるなんて、おばあちゃんが初めてでいらっしゃるから、
今の気持ちを何でもいいから書いておくれ。それを家の宝にしたい。」と頼まれました。
おばあちゃんは、「長生きさせてもらって恥をかくのは上手だけれど、字を書くほどしんどいことはない。だから堪忍して。」
とご辞退なさいましたけれど、皆から説得され、ついに色紙に四文字の字をお書きなさり、お寺も記念に一枚頂戴いたしました。
その色紙には『百事大吉』と書いてありました。
“百事”というのは“世の中のすべての事”という意味です。毎日の日常の出来事もこの中に入ります。
“大吉”というのは“よろこびの種”ということです。世の中のすべてのことは、実はみんな喜びの種だと、
そう思いながら私は生きてきて、そして今、市からお祝いの品を頂戴するまでになった。あぁ、うれしいな、
と喜びながら生きないかん。そういう風に考えたら、世の中のすべての事は喜びの種ばかりである。
そういう考え方が、おばあちゃんの一生であったようでございました。しかし考えてみると、ご主人を先に亡くされ、
また長男さんは戦死をなさっておられる、そのような状況でおばあちゃんが“百事大吉”と喜ばれたとは考えられません。
やはり、息子さんやご主人を亡くされた時には、寂しく、辛い毎日をお過ごしなさったと存じますが、
今になって考えると、その事があって今私は仏様に手を合わすような心を持つことができた。
今から考えると、それも自分を仏道へ導いてくれる出来事であったのかもしれない。やはり、百事は大吉なんだ、
というお考えでございましょう。しかしながら、このようにすべての事を喜ぶのは、そう簡単ではありません。
やはりそのためには、“人生はおかげさまである”“おかげさま”ということをしっかり頂戴しなければ
“百事大吉”という大変な心境にはなりえないと思います。
この、人生をおかげさまと頂くのを実践なさったお方、それが有名な作家の吉川英治先生でございました。
先生は『宮本武蔵』などの色々な作品をお書きになった方であり、昭和35年に文化人として最高のご褒美である
文化勲章を受賞されました。その次の年に受賞を記念した講演会が中之島で行われたので、私も拝聴させていただきました。
1500〜2000人入るでしょうか、大きな公会堂のホールは満員でした。
そこで吉川英治先生は坦々と作品をお書きになった時のご心境についてお話し下さいましたが、
その中でこうお話になりました。
「実はみなさん、この私が今日こうして文化勲章というご褒美を頂戴できましたのは、実は家内、吉川ふみこのおかげです。
今まで自分の力で自分の作品を書いていると思っていましたが、私も努力は致しましたが、その努力の背後には、
家内の力が大きく働いていた。よく考えてみると、私は家内によって生かされておったのです。
我、生きるにあらず。生かされて生きている吉川英治でございました。」
と、奥さんのおかげを強調なさったのでございます。この時聴衆は万雷の拍手でこのお話に共鳴を致しました。
やがてその先生の“おかげさま”と受け取られた人生の道がますます深まっていき、
あの不朽の名言だと言われています『自分以外は皆師匠』という言葉につながっていくのであります。
この、すべてを“おかげさま”といただける気持ち、これがあってこそ
初めて田中ムメさんのような“百事大吉”という心境にならしてもらえる。
みなさん、世の中で一番大事なことは、すべてをおかげさまである、百事大吉である、といただくことであります。
どうぞ、皆さんがお迎え下さった平成26年が、そういう年になります事を念じております。