(8月4日収録)
猛暑の7月が終わり、やっと今年の夏が過ぎて秋が来てくれると思っても、さにあらず。
これから暑さ本番の8月を迎えます。
皆様どうぞ、この暑さに負けないように体力を増強して、お過ごしいただきたいと思います。
さて、この8月はお盆月でありまして、お寺では日頃とは違う忙しい日を迎えることになりますが、
この“お盆”というのは、外国の方々には理解しがたいものであるようです。
盆バカンスという言葉を使って
“日本人は不思議だ。暑い中を交通渋滞をものともせず、大きな荷物を下げて家族総出で
実に変わった民俗である。”と言うのでありますが、
故郷には皆が求める“魅力”があるから、そのような苦労をものともせず、日本人は故郷に帰るのでありましょう。
では、その故郷にある魅力とは何かというと、その一つが“お盆”ではないかと存じます。
“お盆”とは何か。
お釈迦様当時の言葉に『ウランバーナ』という言葉があります。
これは『
さかさま吊りにされたら苦しいですよ。上から吊るされておるんですから、血が全部下へ下がってしまって
“もう、死ぬよりも苦しい!”という苦しみが、倒懸という苦しみであります。
この『ウランバーナ』という言葉を漢字に直すと『盂蘭盆』という言葉になって、ここで初めて
私たちが使うお盆の“盆”という字がでてくるのであります。
そして、これには少しお釈迦様が関係しておられます。
お釈迦様の十大弟子の中のお一人である目連尊者さん、この方はお釈迦様の元で修行に励まれ、
何でも物を見通せる“神通力”という能力を体得されたお方でありました。
そしてその神通力を使って一番最初に目連さんは、亡くなられたお母さんが今どういう境遇にいなさるか、
それを見てみられたのです。
するとお母さんは、極楽に生まれてなさるどころか、餓鬼道という世界に落ちてしまわれておったのです。
この、餓鬼道とは、物が欲しくて仕方ないのに、それが手に入らないので、
“欲しい、欲しい”と苦しまなければならない世界であります。
お母さんはその世界に入ってしまっており、のど(首)は鶴のように細く、おなかはぶくっと膨れているのに
体はガリガリに痩せているという、あさましい姿に
なっていなさったのです。
それを見た目連さんは泣きながら、「おかあさんこれを食べて下さい」と、
神通力でお母さんの前にごはんを持って行きました。
お母さんがそれを鷲掴みにして口に入れようとすると、
そのごはんはボオーっと炎になって燃えてしまうのです。
ごはんも、おかずも、果物も何もかも、
目の前に食べ物がありながらそれを口に入れることができない世界、それが餓鬼道でありました。 (絵:餓鬼の世界)
目連は悲しかった。なんとかしてお母さんを救いたいと思いましたが、自分の体得した神通力でもそれはできません。
そこで、お釈迦様に相談をしたのです。
「お釈迦様、お母さんが餓鬼道に落ちいってくるしんでおります。なんとか救う道をお教えください。」
そうお願いすると、お釈迦様がおっしゃいました。
「目連よ、そなたが母親を救いたいという気持ちはよくわかるが、これは無理である。一人のお坊さんがいかに力を尽くしても、
お母さんを餓鬼道から救うことはできない。お前のお母さんは、お前にとっては優しくて立派なお母さんでいらしたけれども、
お前が可愛いがためにお前以外の子供に対しては邪険に扱われた。その報いとして、今餓鬼道におちいってなさるのだ。
しかし、お母さんを救う道が一つだけある。それは7月15日の
色々な山海の珍味を多くのお坊さん達にお供養しなさい。そうするとそのお坊さん達がお喜び下さった功徳によって、
お母さんは餓鬼道から救われることができるだろう。」
そう、お釈迦様は教えて下さいました。
当時のお坊さん達は7月15日までの90日間は道場や洞窟にこもって修行をなさり、この7月の15日を契機にして
また全国各地を回って教化の旅をしていきなさる、その境になる日がこの“
[※尚、お盆の期間は日本各地で旧暦(陰暦)の7月と新暦(陽暦)の8月、又は13日〜15日の所や16日までの所など、地域によって様々です。]
それを聞いた目連さんは「それは結構なことだ。お坊さん達も喜ばれるし、お母さんも救われていく。」そう言ってさっそく準備をし、
7月15日を迎えてお坊さん達にお供養をしました。そうすると嬉しいことに、お母さんはお坊さんたちの喜びの力によって
餓鬼道を逃れ、幸せな極楽の世界に生まれ変わって行きなさったのであります。
それを神通力で見ていた目連さんは非常にうれしかった。そして手を振り足を上げ,お母さんが救われたことを喜んで
小躍りを致しました。それが、今日まで伝わりまして、盆踊りの起源になっているのであります。
このようにして、目連さんのお母さんは助かったのでありますが、そのことにちなんで今日、日本のあちらこちらで盆踊りも行われますし、
僧自恣の日に自分を生んでくれた父母や先祖の霊などのために、衆僧に対して様々な供養をしたことからことから始まった
年に一度ではありますが、ご先祖方もなつかしい故郷に帰って来られます。
せっかくご先祖様が帰って来られるのですから、おいしいものを食べていただこうと御馳走を作り、
果物も召し上がっていただこうとお供するのです。
我が家では、8月13日にまずお迎え日を焚き、お迎え団子を作り、ご先祖様をお迎えします。
そして、15日の夕方にお帰りになるまで、一日三食色々なものを作ってお供えさせて頂きます。
ご先祖をお祀りするその台のことを
キュウリで作った馬などをお祀りしますが、それらも後に残った私たちの気持ちを表しています。
きゅうりの馬には“どうぞ、極楽からこちらの世界に帰って来られるときは、馬に乗って急いで帰ってきて下さい。”
なすの牛には“極楽へお帰りのときには、牛車に乗ってゆっくりとお帰り下さい”という思いが込められています。
お寺の方では、お盆の間にお参りにうかがってご先祖方にご挨拶を申し上げます。
これを棚経と申しますが、この時には普段あまり申さない変わったお経をお唱え致します。
『のーまく さらばー たたぎゃたー ばろーきてい おん さんばら さんばら うん』
これを
お釈迦様当時の言葉をそのまま申したもので、
“どうぞお口に合うように、お気に召すようにお召し上がりください”
という思いを込めてお唱えするのであります。
このようにして、あちこちのおうちでご先祖様をお祀りなさるのですが、
それを全体的に取り上げたのが京都における大文字焼きであろうと思います。
いずれにしても、日本人が“心のふるさと”とするところの故郷、
そこはご先祖様が久しぶりに帰って来られる場所であり、懐かしく、大事な親兄弟がいる場所であります。
どうぞ心を込めて故郷にお帰りなさり、また元気になってそれぞれの場所へ戻り、お仕事に励んでいただく、
そういう活力を頂く行事、それがお盆ではないかと存じます。
まだまだ暑さが続きますが、どうぞ体を大事になさってゆっくりとお盆の行事を味わって頂きたいと存じます。
合 掌