総願偈 (そうがんげ)


  衆生無誓願度  しゅじょうむへんせいがんど

  煩悩無辺誓願断  ぼんのうむへんせいがんだん

  法門無尽誓願知  ほうもんむじんせいがんち

  無上菩提誓願証  むじょうぼだいせいがんしょう

  自他法界同利益  じたほうかいどうりやく

  共生極楽成佛道  ぐしょうごくらくじょうぶつどう



 [ 読み下し文 ]

   衆生(しゅじょう)は無辺なれども誓って度せんことを願う

   煩悩は無辺なれども誓って断ぜんことを願う

   法門は無尽なれども誓って知らんことを願う

   菩提は無上なれども誓って証せんことを願う

   自他法界利益を同じうし

   共に極楽に生じて仏道を(じょう)ぜん





 [ 訳 ]

   人々は数えきれないほどたくさんいますが、すべての人を必ず悟りに導くことを誓います。

   煩悩は限りなく生じてきますが、必ず苦しみ・悩みを断じることを誓います。

   仏様の教えは数限りなくありますが、必ず学び、知り尽くすことを誓います。

   仏様の悟りはこの上もありませんが、必ず体得することを誓います。

   私も他の人々も同じように利益を受けて

   皆共々に極楽浄土に往生して、悟りの道を成就することを目指しましょう。
   


                                                 
  説明

 日常勤行式の締めくくりである流通分の最初は「総願偈」です。ここで仏道修行の目的を再確認します。

 仏道修行を行う際、修行者は誓願(せいがん)をたてます。誓願とは、仏道修行を行う上での“願いであり誓い”であり、
修行者は、その誓願を成就するために修行に励み、修行が完成したときにその誓願も成就して仏となれます。

 その誓願は、仏道修行者に共通の“総願(そうがん)”と、仏道修行者ごとの意志にによって個別にたてられる“別願(べつがん)”の2つに分けられます。
この日常勤行式の解説の中にも度々登場しました阿弥陀仏の四十八願は、“別願”の1つです。それに対して“総願”は仏道修行者皆に共通するもので、「四弘誓願(しぐせいがん)」と呼ばれています。それがこの総願偈の最初の4句です。

 1つ目は、“衆生(しゅじょう)は無辺なれども誓って度せんことを願う”です。
「衆生」とは、人々のことです。「無辺」とは、数えきれないほどたくさん、限りないというような意味です。そして「度」とは、「渡」と同じような意味で、人々を迷いの世界から悟りの世界へ渡す、というようなことを表しています。
ですのでこの一句は「人々は数えきれないほどたくさんいますが、必ず悟りの世界に導く事を誓います」という誓いです。

 2つ目は“煩悩は無辺なれども誓って断ぜんことを願う”です。
これは、このまま「煩悩は限りないけれど、必ず断ち切ることを誓います」という誓いです。

 3つ目は“法門は無尽なれども誓って知らんことを願う”です。
「法門」とは仏教の教えのことです。
ですので、「仏の教えは数限りなく多いけれど、必ず知り尽くすことを誓います。」というお誓いです。

 4つ目は“菩提は無上なれども誓って証せんことを願う”です。
「無上菩提」とは、仏の悟りの境地を言い表す言葉です。そして「証」とは、「(悟りの境地を)実現すること、体得すること」です。
ですのでこの句は「み仏の悟りはこの上もないけれど、必ず体得することを誓います」という誓いです。

 
 しかし、この4つの誓いは、悟りを開いて仏になるためのものですので、私たちが極楽世界に往生して、修行をしていく中で目標とすべきものです。
ですので、私たちはまず極楽浄土に往生することが大切となります。そのことが最後の2句の内容です。
“自他法界利益を同じうし 共に極楽に生じて仏道を(じょう)ぜん”
「法界」とは、「(縁のあるなしにかかわらず、)皆平等に」という意味です。
「自分も他人も平等に、同じように(お念仏の)利益を受けて、共に極楽に往生し、悟りの道を成就することを目指します」という意味です。


まず、お念仏を唱えることによって極楽浄土に往生し、そこで悟りを目指します!という決意を持って、この偈文をお唱え致しましょう。