連日、五月晴れで過ごしやすい昨今でありますが、皆様方ご機嫌よくお過ごしの事と存じます。
さて、今月のホームページ法話並びに掲示伝道は、ここにかかげました、少し難しい字のご紹介をしたいと思います。
この文字はまず、
諸悪莫作 しょあくまくさ
衆善奉行 しゅぜんぶぎょう
自浄其意 じじょうごい
是諸仏教 ぜしょぶっきょう と読みます。
この言葉は、お釈迦様がおでましなさるよりも、もっと前の時代においでになった七人の仏様方が共通して、
「仏教とはこういうものだ!」とお説き下さったもので、
ではこの言葉はどのように読むのかと申しますと、
もろもろの悪を作ることなかれ
もろもろの善を行いたてまつれ
その心を
それが仏教である と、このように読みます。
昨日京都で、本年度の浄土宗平和賞の授与式がありました。
今年の受賞者は、愛知県の一ノ宮という所にある観音寺さんの
この観音寺さんの裏には、青木川という川が流れておりますが、今から35年ほど前にこの辺りに大雨が続き、この青木川も増水したようです。
その時、和尚様の息子さんがあやまって青木川に転落してしまいました。警察や村の人との必死の捜索にも関わらず、
とうとう息子さんは見つからなかったそうです。
ところが不思議なことに、ちょうど80日ほど経った日に、和尚さんが青木川の堤防を車で走っておられると、いなくなった息子さんが着ていた
パジャマが川に浮いているのが見えたそうです。和尚様は慌てて車から降りて川に飛び込み、そのパジャマを救い上げると、
その中には息子さんの遺体が入っておったそうです。80日も川に沈んでいたのですから、遺体はあまりにもひどい姿になっておりました。
和尚様は“これは家内には見せられない”と思われ、一人で警察へ届出なさいまして、
次の日には誰にも見せずに自分一人で荼毘に付して(火葬して)、
そしてそれから奥様と遺体を発見した状況などについていろいろ話し合い、二人で泣きながらの毎日を過ごされたようです。
そうするうちに和尚様は気が静まり考えなさいました。
“息子の死を無駄にしてはいけない。この子は本当ならもう何十年も生きて、自分の子孫をこの世の中に続けていくはずであったのに、こうして事
故で亡くなってしまった。しかし、この息子の尊い命を、今後も私達が守って(受け継いで)いかなくてはいけない。”
ということで、何かできることはないかと考えられた所、この大雨で一ノ宮で、なんと9人もの子供が川に転落して亡くなっていたことを知り、
和尚さんは決意なさいました。
“よし、今後はこのようなことがないように、この青木川に柵を作ろう。”
そして、檀家の方々や村の方々に働きかけて、青木川に柵を作る運動を始められ、この後一ノ宮では子供の転落事故がなくなったという成果をあ
げられたそうです。そして、これを知った周辺地域の方々が“自分の町でもこの運動をしよう”ということで、色々な町へと運動が広がり、
各地で川の柵が作られ子供の水死率がそれ以後は19分の1に減ったということであります。
それから和尚様は“”子供を水死から守るのも大切であるけれども、もっと考えると人間の命を無駄に消してしまうのはやはり戦争である”
ということで、その後は戦争反対・命を大切にする運動を始められ、そのような中で周囲の方々からの多くの推薦により、
今回の平和賞の受賞となったのでございます。
この、“命を大切にする”、このために和尚様が実行なさった青木川の柵、この“実行する”ということが仏教には大切なのでございますが、
それを物語る一つのお話がございます。それは中国の白楽天という詩人のお話です。白楽天さんは詩人であり文化人でいらっしゃいますが、
一面公務員でもいらっしゃいました。
当時の中国では転勤があり、白楽天さんは転勤を命ぜられ、新しい土地へ行きなさった。そして、最初に村の人にお聞きになったことは、
『この町に人間の生きる道・人間の進むべき道をお説き下さる方はおいでではないですか?』ということでした。
すると、村人は、
『いらっしゃいます。役所から1キロメートルほど南へ行かれた所においでになる
正しい仏法というものを教えて下さいます。一度お会い下さいませ。』
そう勧められ、白楽天さんは次の日に道林和尚様に会うために出かけていきました。
教えられた道を行きますと、左手に古いお寺があり、そこへ入っていくと、一本の大きな松がそびえており、
その松の股の所に和尚様が腰かけていらっしゃいました。その、道林と思われる老僧に対して、白楽天さんはさっそく尋ねました。
『和尚さま、仏教とはいかん?(仏教とは何を教えようとしているのですか)』
和尚さまはお答えになりました。
『諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教』
もろもろの悪いことをしなさんなよ
善いことをして毎日過ごしなさいよ
そして心がを浄くもてるようにしなさいよ
それがそなたが尋ねられた仏教の神髄である
これを聞いて白楽天さんはカンラカラカラと笑った。
『和尚さま、それぐらいのことは三歳の子供でも知っております。』
そういうと、和尚さまは
『三歳の童子これを知るといえども、八十の翁これを行うことを得ず』
このようにお答えになったと言われております。
三歳の子供がわかっているような簡単なことでも、この世の中で80年も生き、世の中の何もかも、酸いも甘いもわかっているおじいさんに、
果たしてそれができるでしょうか。
仏教というものは、思想や考え方ではありません。
“お釈迦様の教え、法然さまの教えを実行していく”ということにその神髄があります。
法然様は
“南無阿弥陀仏と申せ。申せば阿弥陀様の御教えによって必ず皆極楽へ救われていけるのだから、お念仏を申せよ。”
とお勧め下さっています。
しかし、それを知っただけでは浄土宗の教えにはなりません。それを実行していくことが大事なのです。
そのことを教えたのが、この七佛通誡偈という偈文であります。
お念仏を申して下さるのも結構ですが、皆様方どうぞこれから毎日お仏壇の前にお座りなさって、阿弥陀様のお姿を拝みながら、
南無阿弥陀仏と申してください。それを実行することが大事です。
今日は10遍、明日は20遍だんだん数を増やしてみましょう。
そのようにお念仏を申すことが、“仏教を実行していく”ということでございます。
お念仏を申しながらお幸せになって下さることを、心から念じております。
合 掌