介護保険パネルディスカッション
「もしも突然介護が必要になったら」
平成14年3月16日(土)


<介護保険利用者の家族として、パネラーで参加しました。これは、その時に私が話した原稿です。
一部伏字のところがあるのは、自治体や街の名前です。リンクをたどればすぐにわかってしまいますが(笑)。>

 実はこのパネラーのお話を頂いた時、「突然介護が必要になってどのように乗りきったか話して欲しい」と言われたのですが、私は即答で「乗りきっていないです」とお答えしました。正に現在どのように乗りきっていくか考え、実行している真っ最中なのです。ですから、結論の出ていないことも話の中にいろいろと出てくることと思いますし、間違った認識のこともあるかもしれませんのでその点はご容赦ください。

 まず、我が家の現在の家族構成と状況を簡単にお話します。まず、34歳の私本人。45歳のサラリーマンの夫。先日2歳になったばかり、やんちゃ盛りの娘。昨年10月末に脳梗塞を発症、重度の失語症と認知機能障害の要介護5の72歳の父、父は現在老人保健施設にリハビリの為、入所中です。そして骨折などにより手足の自由がききにくく、アルツハイマー病で自宅介護をしている要介護2の72歳の母の5人です。

 我が家は3階建てで、もともと2・3階に私と私の両親と住んでおりましたが、私が結婚を機に、倉庫として貸していた1階を住宅にリフォーム、私と夫で住むという簡単な2世帯住宅に改造をしました。両親と私達家族は、ほとんど生活は別で、お互いに特別に用がない限りは干渉しないという暮らしをしていました。娘が産まれてからも同様で、1日1時間ぐらいおじいちゃん・おばあちゃんのところに遊びに行く程度でした。それが一昨年12月に母が転倒などにより両腕を骨折、1ヶ月入院したところから、状況が少しずつ変わってきました。

 母が骨折して入院した時、父の提案で1階から2階と2階から3階の階段、トイレに手すりをつけることになりました。この時、私が以前編物の地域教養講座に通っていた時に「自宅に手すりなどをつけると、区から補助金が出る」という話を、一緒に講座に通っていた方から聞いたことがあり、出張所にこの制度のことについて聞きに行きました。その時、この制度を使うには「介護保険」の申請をして要介護度が出ないと使えないということを知りました。これが私と「介護保険」との関わりはじめです。平成12年4月から介護保険制度が始まりましたから、制度が始まって半年以上経ってから関わり始めたことになります。私は先ほどお話しました通り、夫と娘と3人の介護とは全く無縁、興味があるのは育児ばかりの生活を送っていただけに「介護保険?何それ?」という感じでした。とにかく、介護保険の申請をしなければ住宅改修の補助金は下りないので、書類を整え提出、この時は要介護3の判定が出ました。そしてケアマネージャーさんを決め、とりあえず住宅改修の補助金の申請をしました。介護保険には、これ以外にもいろいろなサービスがあるのですが、この時父は元気で、退院後の母のことはすべて面倒を見ると言うので、これ以上のサービスは使わず、ケアマネージャーさんも1度足を運んで頂いたのみでした。その後、父は買物や料理など母に代わっていろいろと頑張ってやっていました。元気とはいえ、やはり高血圧や時々痛風をわずらったりしていたので、1月に1回はかかりつけの病院を受診していました。私は父から、母の日常生活の補助が大変だとか、ボケちゃっていて大変だということは時々聞いていましたが、ただ聞いているだけ、私は両親のことに関して、母の退院後は通院につきあうぐらいで、日常生活では特に何をするということもなく過ごしていました。ボケに関しては話がかみ合わないイライラからなのか、よく父と母は大喧嘩をしていました。

 そして、昨年の10月末の夜、突然父が自宅で倒れ、救急車を呼び救急病院に搬送、診察の結果かなり広範囲の脳梗塞であると翌日診断されました。ここで父はもう以前のように普通の生活は送れない、ましてや母の介護などできないとわかり、どのように父と母の介護をしていくかを考えなくてはいけなくなりました。

 しかし、私は一人っ子。母も一人っ子、父は兄弟はいても末っ子で上の兄弟も亡くなっていたり、高齢であったり、具合が悪かったり、住まいが遠かったりと、とてもお手伝いを御願いできる状況ではありません。また、一番身近な存在の夫はできる限り休暇を取って介護と育児の協力をしてくれていますが、それにも限度があります。

 まず、何をやるのにも小さな子どもが一緒であると、物事が進みません。2歳前後の子ですから、ママと遊びたい・甘えたいのは当然のこと。この子が一緒にいると、病院の面会すら満足に行けません。平日夫が仕事に出ている間はどこかに預けなくては何も事が進まないこともあり、普段からよく利用していた児童家庭支援センターのいっとき保育に制度の日数・時間限度一杯に預け、それでも手と時間が足りず、夫にも仕事をたびたび休んでもらったりして介護と育児をどうにかやっていました。その様子をみかねた児童家庭支援センターの先生から、区内の保育園の「一時保育事業」を紹介してくださいました。保護者が出産や病気、また親族の看病や介護などで、子どもの保育がままならない場合に、1ヶ月間ですが日中保育園で預かってくださるという制度です。私自身、出産前後でこの制度が使えることは小耳に挟んでいましたが、親族の介護などで使えるとは知りませんでした。すぐに手続きをし、11月中旬から**保育園に御世話になりました。この制度、基本は1ヶ月らしいのですが、私からのお願いに加え、児童館・保育園の先生方の御力添えにより、延長に延長を重ね、2月中旬までの3ヶ月預かってもらえることになりました。本当は正式に保育園に入れれば良いのですが、***区も他の自治体と変わらず0〜2歳児の定員はいつも一杯、待機も結構おられるようです。なので緊急枠で期間限定でしか入ることができず、期限の切れた現在、2月中旬から3月末までは、父が倒れた当初と同じく、児童家庭支援センターのいっとき保育で娘を預かってもらっています。いっとき保育には本来は日数と時間の制約がありますが、保育園にも入れない、でも預けなければ介護はできないという切羽詰った我が家の状況を考慮、児童家庭支援センターにはケースバイケースということでできる限りのご協力をして頂いています。児童家庭支援センターの先生も、とにかくまず相談して、一緒に考えて行きましょうという暖かい対応をして頂き、本当に助かりました。介護の大変さを何度も区役所に行って訴えた成果があったのか、幸い少ない募集枠でしたが保育園には4月から正式入所が決定し、あと半月はどうにか頑張ってのりきろうと思っています。


 子どもを預ける場所を確保し、次に思いついたのは「父の介護保険の申請と母の介護の援助について」でした。区役所の介護保険課にそのことを聞きに行くと、まず父の方は現在脳梗塞で病院に入院中だが、いつ介護保険の申請をしたらいいかと聞くと、入院しているときは介護保険は使えないから父の方は退院のめどが立ったら申請してくれという返答でした。母の介護援助に関しては、介護保険で使えるサービスのリーフレットをくれましたが、他に役に立つことをあまり教えて頂けませんでした。のちに、要介護3以上であると入院していても紙オムツの支給補助があるということを母の介護保険の更新の面談で保健所から来た面談員さんから教えて頂き、すぐに申請をしに行きました。でも結局、認定されたのが今年の1月、入院して3ヶ月近く経ってからで、結果的に随分紙オムツ代がかかってしまいました。介護保険で使えるサービスは繰り上げて使用できるものがあるそうで、オムツの件に関しては高齢者福祉課の範疇なのでできなかったのだと思いますが、サービスを使う方としては、正直どこの課でやっていても同じ。介護保険の認定に時間がかかり、必要な時に必要なサービスが使えないことには変わりないのです。それなのに介護認定日は申請した日になっていて府に落ちない。半年の更新なんてすぐに来てしまう、せめて1回目の申請はもっとスピーディーに認定をして欲しいと思います。

 そして母の方。今まで父がすべての面倒を見ていたので、父が倒れて代わりに介護、と言っても状況すらわかりませんでした。食事の支度はできないのでそれは毎食用意しなくてはいけないこと程度はすぐにわかりましたが、どの程度にボケているのかなどはわかりませんでした。しかし、数日接しているうちに、印鑑や鍵をきちんと置いてある場所を説明し、移動させないように言っているのに動かして紛失したり、言っていることをすぐに忘れてしまったり、挙句の果てに物がなくなったのを父が倒れた時に来た救急隊員の人がとったのではないかと言ったり…。これはただごとではないと感じ、今わかる範疇のことからすべてのことの管理を私がすることにしました。正直、こんなにボケの症状がひどいとは思いませんでした。母が動くたびに、私のやることが増えていくという感じでした。そして、このボケに関してどこの病院に行っていいかもわからずこれも父が倒れてから2ヶ月近くが過ぎ、たまたま母親学級で一緒だった近所のママ友達から「保健所で老人精神保健相談というのがあるから行ってみたら?」と教えてもらい早速予約して相談に行きました。そこで簡易テストをしたところ、軽度の痴呆の疑いがあるとのことだったので、専門外来のある病院を紹介してもらい、受診、検査結果、アルツハイマー病であると診断されました。普通であれば、病気と診断されるとがっかりするものですが、私の場合、母の痴呆に振りまわされまくっていたこともあり、アルツハイマー病と診断され、やっとわかってもらえたという気分で、逆にホッとしました。

 話が前後しますが、アルツハイマー病と診断される前に母の介護認定の更新がありました。今、御世話になっているケアマネージャーさんは大変頼りになる方で、小さな相談から難解な相談まで、いろいろとのって頂いています。現在、母の要介護は2ですが、その前の判定では要介護1でした。よく聞く話ではありますが、お年寄りは病院や介護保険の面談員さんの前では、家族が目や耳を疑うような「正常さ」を見せます。お年寄り本人まかせの面談にしてしまうと介護度が低く出てしまう傾向があるように感じます。母の場合も、本格的に介護保険のサービスを使おうと思った時の介護度は「要介護1」でした。その時の認定更新の時に「随分低いなぁ」とは思ったのですが、父が全部面倒を見ているし、サービスも使っていないからいいかと不服の申し立てもしませんでした。でも、実際母の介護が始まり、日々接していると、痴呆の様子などから「本当にこんなに大変なのに要介護1なの?」と強く思うようになってきました。介護保険認定の不服申立ては通知を受け取った翌日より60日間とのことで、もうその時点では不服申立てもできず、次回更新の時にしっかりと現状を伝え、正確な認定をしてもらわなくてはと思いました。しかしながら、
痴呆に関しては、現状の介護保険の認定では、なかなか反映されにくいと聞いています。その相談をケアマネージャーさんにしたところ、「面談では日々の様子は伝えきれないことが多いから、毎日の痴呆による行動その他をメモしておき、それを面談員に渡すといい。」ということを教えて頂きました。それから面談の日まで毎日様子をメモし、面談員さんに渡しました。それと同時に、意見書を書いてもらういきつけの内科医の先生にも同じものを渡し、意見書に反映してもらうようにお願いしました。また、介護保険面談時、同席しながら、明らかに違う回答を本人がしていると気がついたら、それもメモをして帰る間際に渡すと良いとも教えて頂きました。そうしたところ、要介護2と判定が上がって通知が届きました。介護度が上がれば良い、下がれば良い、ということでなく、正しい認定をしてもらうことは大切だと思います。

 
 父が脳梗塞で倒れ、2ヶ月近く過ぎた12月半ばに区内の在宅介護支援センターで介護者教室がありました。これは区の広報で知り申し込みました。とにかく介護なんてわからないことだらけ、「介護」という文字を見つけ、時間が作れればそれに接することで、何かが見えてくるのではないかと思い参加したものです。少し早く到着したので、在宅介護支援センターで紙オムツを見ていたら、そこにおられる相談員さんが声をかけて下さり、少し状況を話し始めたところで、今まで我慢して頑張って過ごしていたのですが、張り詰めていた糸がプツンと切れてしまい、はじめてあったばかりの相談員さんの前で私は泣き出してしまいました。相談員さんは本当に親身になって私の話を聞いてくださりました。介護がわが身にふりかかってきてから、そんなふうに接してくれた人はあまりおらず、役所などどこに行ってもほとんど前進することがなく空回りだった私にとって、この出会いは本当に真っ暗闇から一筋の光が差してきたようなものでした。この相談員さんとの出会いが、我が家の介護がぐるぐると空回りしていたところから1歩踏み出せた大きなきっかけです。介護申請をした時、区役所の介護保険課でまず、在宅介護支援センターに介護の相談員さんがいるという事を教えてくれていたら、2ヶ月近くも自分一人で空回りしなくてすんだのにと、本当に残念でなりません。私にとって、今、在宅介護支援センターはケアマネージャーさんと共になくてはならない存在、大きな支えとなっています。

 現在、母が介護保険で利用しているサービスについてご参考にお話します。まずデイサービスに週に3回行っています。これが軌道に乗り始めたところで、先日初めてショートステイを利用しました。デイサービスもショートステイも初めは行くことにかなり抵抗を示して、説得するだけで疲労困憊してしまうという感じでしたが、行ってみると楽しいようで、また顔見知りの方も増えてきて、今ではデイサービスは生活の楽しみの1つになっているようです。それと3月から週に1日1時間30分、ホームヘルパーさんに来ていただき、お風呂やおトイレ、母の部屋の掃除をしていただくようにしました。私は毎日、父の面会と身の回りの整理、母の世話、2歳の娘の世話、その他家事いろいろをやっていますが、正直全く手が足りず、掃除などはおろそかになっています。ホームヘルパーさんも誰でも良いという訳ではなく、痴呆のある人にでも対応できるホームヘルパーさんをケアマネージャーさんが探してくださり、今のところうまくいっています。また、介護保険外ですが、社会福祉協議会から社会福祉協議会で車椅子を借り、杖の低額頒布を受けました。それと保健所の老人精神保健家族会の集いなどにも参加しています。また、父が現在入所している老人保健施設も、介護保険の認定がおりている人が使う施設です。

 私がこの数ヶ月間、介護をしていて強く思ったことは、とにかくどこへ行っても「言うだけのことは言う」ということです。ダメもとでOK。また、介護を実際している方々と話をすることは、思っている以上に有益なことが多いです。多くの情報も得られますし、介護ストレスの解消にもなります。以前、ある介護相談員さんのコラムを読んだ時「介護に関しては『口は災いの元』ではなく『口は幸いの元』」だと言っておられました。まさにその通りだと思います。話すということはとてもパワーが必要ですし、うまくいかないこともありますが、使ったパワー以上に良い結果につながることもあります。

<最後に>
 一般的に介護は子育てが終わってから関わりが出てくるケースが多いと思いますが、少子高齢化、女性の晩婚化、高齢出産が進む中、我が家のように「子育てと介護」を同時にやらなくてはならないケースも増えてくると考えられます。介護だけでも、また、育児だけでも大変な中、どのようにこれらの折り合いをつけていくか、まだまだ私にとっては大きな課題ですね。


育児と介護の両立を考える会
Care and child-rearing.(育児と介護の両立/個人HP)