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『育児と介護の両立を考える会』
〜育児と介護の体験記〜

こみはママさん(No.64)の体験記

(メンバー参加希望メールに書いて頂いたご体験と、掲示板の自己紹介で書いて頂いたご体験を
掲載させて頂きました<こみはママさん了解済み>)

ニックネーム:こみはママ
住居地域:愛知県
年代:30歳代
要介護者:○義祖母 95歳 痴呆症(痴呆歴約15年)要介護5 デイケア週3回 火木日
       ○義母 68歳 慢性関節リウマチ(リウマチ歴49年 
        その間4人の子供を育てる)要介護4
        訪問入浴介助サービス週3回 訪問リハビリ週1回 
介護形態:同居(私たち家族は寝る時のみ離れの自宅 同じ敷地内)
家族構成:義祖母、義父、義母、夫、子供3人、私の8人家族

子供は長男 小学2年。長女年中。次女2歳。長男は日常生活にはまったく影響はないものの、口唇口蓋裂があるため、今後手術の予定も入るはず(2、3年後には最低でも1度しないといけない)。

義祖母は基本的に自宅介護。
義父が旅行など3、4日外泊する時に約1週間(年に1,2回)と長男の手術時(生後4ヶ月と1歳4ヶ月、5歳11ヶ月時)に約2週間のショートステイ(特別養護老人ホーム)利用。
長女妊娠中の1998年11月、転倒し右大腿骨頸部骨折、約3週間の入院。
89歳だった為、手術中に何か起こるかも知れないが、このまま何もしなければ寝たきりです、と医師から言われ手術。無事成功し、それからはベットでの就寝となる。

私の長女出産時(1999年)、母屋改築時(2001年)、次女出産時(2002年)にそれぞれ老健に3〜4ヶ月入所。長女出産時、私は産後里帰り。二女出産時は、実家の母に約1ヶ月こちらに泊まってもらいました。
2000年8月からデイサービス利用開始、週1回。2001年11月から週3回。2002年11月からデイサービスからデイケアへ変更し週3回通っています。義祖母は入所やショートステイから帰るたびに足をパンパンにむくませ、歩けなくなって帰ってきていました。家に戻ってからは、少しずつ歩かせて、歩く距離を回復させていました。
今年1月のショートステイ利用時に食事中に何度もむせを起こし窒息しそうになり、途中で帰宅させられたので、今後はできるだけショートステイを避けようかと、思案中。今年1月以降、自分で立つことはできません。介護しなければ寝たきり、されるがままに近いです。何とかイスに一人で座れる間はデイケアに行けると思っています。

義母は二年前、階段から落ち、歩行不可になり、その年の(2001年)秋、母屋の改築工事。
昨年(2003年)1月と6月に片膝ずつ人工関節の手術を受け、現在は日中トイレまでは歩行可能となり、転倒前程度の歩行レベルにもどっている。入浴だけは無理なため入浴用リフト(レンタル)を利用して、ヘルパーさんに週3回来てもらって入浴。入浴介助も初めは私が行っていたが、二女の妊娠後半に大きくなったお腹では、お風呂の中で介助のために動きにくくなり、ヘルパーさんに介助をお願いする事になりました。初めは二女が1歳頃からは、また私が介助しようと思っていましたが、現在二女2歳ですがそのままヘルパーさんにお願いしています。

転倒前は入浴も一人でなんとかでき、トイレも自立。昼間は自営業を義父と二人で立ち上げているため店頭で、店番と電話番、経理を一人でやりくり。現在も経理の仕事は一人でやりくり。
リウマチのため全身の関節の状態が微かづつ進行、今後も介助は増えていくと予想されるが、本人はなんでもなるべく他人を頼らないように、自分でする為には何を工夫したら自分一人でできるのかを常に考えている人。
自営業を義父と二人で立ち上げ、現在も経理の仕事をやりくり。夫も家業をついでいる。私も事務の手伝いと子供が寝てからの事務仕事を月3日ほど。

義祖母の介護については、義母は相談相手でもあり、子育てでも子供たちへの声掛けなど、動けないながらも、協力的で相談相手の義母です。

結婚前は看護師でした。自営業のため、それを手伝うことを条件に結婚したので、結婚後は看護師はしてません。

以上のような状況です。

結婚生活9年と少々、書けばいろいろありますが、あまりまとめて書いてみたことがなく、そのうちまとめておくのもいいかな、とこれを書きながら感じました。そういえば義父の弟妹(義祖母の子供)は現在、義父含め4人健在で、毎年1回は墓参で出会うので、急に義祖母が痴呆が進んだと思われるのも困るし、現状を知らせたくて、5年前から月1回家族新聞を作り、義祖母の様子や近況などをお知らせしています。


以下、初めてのメイン掲示板への書き込みです。

私は痴呆の祖母と、リウマチの義母がいると知った上での結婚でした。介護があるのは覚悟の上でしたが、もともと楽天的で、問題は起こってから対処法は考える性質でのらりくらりと、9年経っています。
私が気楽に介護していられるのは、家族が協力的だからでしょうか。義父も自分の母親はこんな人ではなかったと、結婚当初はよく言っていて、介助しないとできないことがあるということが納得できず、ほとんど協力してもらえなかった時期もありました。顔で笑って介護しながら「私は家政婦ではない。介護して当たり前と思われるのは嫌だ」と思ったこともありました。
ただ我が家は、夫がいつも私に感謝してくれて、子供が生まれてからは介護中の子守りにもある程度協力的であったので、何とかやってこられたのかと思います。

9年の間に子供は3人になり、義父も子供が増える度に介護に協力的になり、祖母の状態も理解し、今では家族中で介護をしている感じがします。
子供たちは生まれた時から、痴呆の大きいばあちゃんと体の痛い小さいばあちゃんが居ることを当たり前に思っていると思います。それによって我慢していることもあるのかも知れないけど、我が家では生活の途中で私が介護をしていることはいつものことなので、年が上がってくると理解してくれているようです。今、介護中に駄々をこねるのは20日に2歳になる二女だけです。昨年くらいから祖母は日曜日もデイケアに出かけてくれるので、また少し余裕も増えました。


〜私の基本的な考え方〜
できる限りのことはさせていただく、
でも無理は絶対しない。義祖母の状態を一人だけで把握せず、家族で共有する。
ちょっとはがんばるけど、ずっとはがんばらないのです。
家事の苦手な私を、家族は責めないので、私もできる範囲でやるべき事をしています。
2004/07/01(Thu)
2004.07.07掲載)


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