これまでの毎年の年賀状作品を公開します。

初めは水彩画をラボに持ち込み、複写してもらいポストカード化→続いて水彩画を銀塩フイルムで複写して、 ラボにネガを渡してポストカード化→最近は水彩画をスキャナーで画像データにして、 ネットでオンラインラボに送ってポストカード化、と製作方法も時代に応じて変えています。


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富士山の見える丘

 2016年 元旦

横浜市港北区を南北に貫く綱島街道を菊名から南下し、法隆寺が見下ろせるあたりがこのスポット。 この高台の上からは、丘陵の斜面に並ぶ家々、広がる菊名の町が一望でき、遠くには富士山が望めます。 日毎に違う雲の形や夕焼け空の色によって見える風景は様々。最近、散歩に来る回数が増えました。





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菊名神社の祭り

 2015年 元旦

毎年9月の半ば、横浜市港北区にある菊名神社は例大祭でにぎわいます。 神社から菊名駅近くまでには多くの露店が並び、提灯が掲げられ、神輿も町内を巡礼する活気ある一日です。 ゆかたを着た子供たち、カップルや家族が、色とりどりの灯りに照らされた参道を楽しそうに歩いています。





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横浜港大さん橋

 2013年 元旦

夏の余韻が残る初秋のある週末、赤レンガ倉庫に向かって歩いていると、白く輝く大きな客船が見えました。 船首を見ると「ぱしふぃっくびいなす」の文字。横浜港大さん橋には、こうしたクルーズ船が時折停泊しています。 結局、窓を通して見える船内や乗組員、乗客の姿まで見届けないと気がすまなくなり、大さん橋のデッキまで行ってしまうことがたびたびあります。





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横浜・元町ショッピングストリート

 2012年 元旦

みなとみらい線 元町中華街駅の一番南寄りの出口を地上に出ると、JR石川町に向かって、ショッピングストリートがつながっています。 1860年、横浜の開港とともに、街に外国人が移り住むようになり、外国人向けに商売が始まったのが起源。 9月の半ば、歩いてみると、いつになく人が多く、何かと思えば、「チャーミングセール」というバーゲンをやっていたようです。





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横浜・山手の洋菓子店「えの木てい」

 2011年 元旦

横浜・山手町から代官坂上を過ぎ、エリスマン邸の対面にある洋菓子店。 外国人居留地だったこのエリアは、大正から昭和初期にかけて建てられた洋館も多い場所。 外国人墓地ごしにみなとみらいのビル群をはじめとした横浜市街が見渡せる高台に立つ この店は、昭和2年に完成した英国式の洋館。クリスマスイヴの晩のライトアップも美しかったです。





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San Francisco, California

 2010年 元旦

アメリカ西海岸、カリフォルニア州サンフランシスコ。
ずっと前から行きたかったこの街に一人旅してきました。坂の多さと厳しさは噂以上。 加えて、太陽と青空の明るいイメージだったこの街も、意外と気温が低く、夕方からは、 防寒具を持って出かけた方が良い程。しかし、路面電車が急坂を上るうねった丘陵の下で 営まれるゆったりとした市民の暮らしは、撮りたい気持ちを煽り立てられる素敵な街でした。





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青島・小魚山公園

 2009年 元旦

黄海に面した中国のリゾート地、山東省青島市。
ドイツの租借地だったこの街は、今も欧風建築の家や施設が数多く残っています。 夜はこれら建物がオレンジ色の街灯に照らされて、ヨーロッパの街にいるかのごとく。 眺望の良い小魚山公園からはレンガ色の屋根の住宅が眼下に広がります。 青島ビールを飲みながら、のんびりと過ごすにはいいところです。





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Brisbane City

 2008年 元旦

オーストラリア・クイーンズランド州の州都、ブリズベーン。
コンパクトかつ起伏のある街は緑も多く、暮らすには快適そう。 街の外れの中華街では、近海の魚介類を使った中華海鮮料理を食べることもできます。 年末の午後、街の中心に散歩に出かけてみました。 オープンカフェで現地の人達と香水の匂いに紛れて過ごす時間も非日常でいいものです。





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杭州・流行女装街

 2007年 元旦

西湖の畔にある中国・浙江省杭州市。
上海から車で2時間足らずなのに、街は中国独特のギラギラした雰囲気は感じられず穏やかな印象でした。 そんな杭州の街を南北に横切るのが武林路。 この通りは「流行女装街」と呼ばれていますが、別に客層はオカマの男性などではなく、ブティックやレストランなどが建ち並ぶエリアになっています。





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2005.6 Shanghai

 2006年 元旦

ガラス張りの高層ビルが林立し、現地生産のワーゲンサンタナやアウディが数多く走り回る、中国経済の中心、上海。
社会主義国家なのにそれを忘れさせるような風情が漂っていますが、街路に入るとローカル商店や便利店(コンビニ)などがひしめき、庶民の暮らしが窺えます。 しかし、赤いドームが印象的な東方明珠塔。いつ見ても異様な建造物です。





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クアラルンプール

 2005年 元旦

マレーシアの首都、クアラルンプール。
高層ビルの間を新都市交通が駆けめぐる緑多き美しい街ですが、一歩、奥に入ると阿片中毒の中国系の婆さんが何やらわめきながら徘徊していたり、インド系のおやじが営む露店では化粧品に紛れて怪しい媚薬を売っていたりと、戒律厳しいイスラム教主体の国でありながら、多民族国家らしい様々な人種の生活が垣間見える興味深い街です。





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暮色

 2004年 元旦(その2)

2004年 元旦「その1」と同じく、舞台はアデレード。
昼間は街が静まりかえっているイースター祭の間も夕方になるとハインドリーストリート沿いのレストランやパブなどが続々と開き、人々が集まってきます。ライブハウスからはドアが開くたびに大音響が漏れ響き、一時的に街に喧噪が戻ってきました。





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ひまわり

 2004年 元旦(その1)

南オーストラリアのアデレード、日本から15時間を費やして着いた小さな街はちょうどイースター祭の期間中で商店はシャッターを降ろしてひっそり。
この街のショッピングの中心、ランドルモールもまるでゴーストタウンのようです。しかし、そんな中でも街頭スタンドの花屋は営業中。静まりかえった街にひまわりの花々が一点の彩りを添えています。





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チンドン屋 岡崎宣伝社

 2003年 元旦

今度の年賀状のネタは何にしようかと、何気なく図書館で手に取った一冊の写真集を開いた時、身体中に電流が走りました。「なぜ今までチンドン屋を忘れていたのだろう!」と。
思えば、最近、殆ど見かけなくなったチンドン屋ですが、少数ながら各地でまだまだ健在。最近はイベント企画などをしている業者もあるようです。自分自身が率先して登場する事に対しては随分と迷いましたが(ウソ)、各家庭が笑いに包まれ、一家団欒や夫婦生活円満につながれば、これも陰徳を積むことになるのかなと自己満足に浸っています。





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幼稚園児、居酒屋にあらわる

 2002年 元旦

昨年も以前に増して企業収益の悪化、これに伴う雇用不安に見まわれ、おまけに同時多発テロで平穏な社会の終焉を予感した人々も多かったことでしょう。 この現象を資本主義社会の凋落の糸口と見るか、淘汰の後にリコンストラクションがあると見るかは難しいですが、まあ、個人レベルでジタバタしても仕方がありません。こういう時は、幼稚園児のような純真な気持ちに戻り、ビールのジョッキを傾けながら、世の流れをしっかりと見つめたいものです。





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"Gasho" Lady in Singapore

 2001年 元旦

ついに21世紀、デジタルだのITだのという時代だからこそ水彩画みたいなアナログなもので勝負して差別化を図りたいもの。デジタル技術は表現したい人の皆に加勢するものではなく、誰にもできる表現レベルが高まる分、その反動としてアナログなものへの回帰が起こることでしょう。
この辺で講釈はいいとして、常夏のシンガポールをさらに蒸し暑くしているのは、「賀正」の文字にまみれたOLの制服でしょう。なぜ、彼女はこんな服を着ているのかって?そりゃそういう子だからです。世の事象の全てに必ずしも明快な理由なんてありません(笑)。





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クアラルンプール紀行

 2000年 元旦

気持ちを引き締めて迎えた2000年は、水彩画でスタート。
最近、絵に毒気がないと言われますが、ちょっとは分別を期待される年齢だから表向きいい大人を演じているだけで、魂までは売っていません。
テーマは昨年春に旅行したマレーシアの首都クアラルンプール。
世界一高いツインビルのペトロナスタワーなど高層ビルが林立する緑豊かな近代都市ですが、下町では漢字表記の商店が所狭しと立ち並び街中がチャイナタウンという様相がお気に入りです。





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OKAZAKI AIR LINES (PART2)

 1999年 元旦

「OKAZAKI AIR LINES(岡崎国際航空有限公司)」機内誌シリーズ第2弾。
業界の不況を尻目に見栄だけで新規参入した大阪−ニューヨーク線では「岡崎純の軌跡’98」を上映中。ただでさえ面白くないこの映画、これが睡眠薬入りドリンクのサービスとともに繰り返し上映されるのだから乗客は寝る以外ありません。積極的に楽しませるのではなくとことん退屈させて寝かせてしまう、これがこの会社のサービスの真髄です。太平洋上を飛ぶ最新鋭機B747−400の機内は今日も死んだように静まりかえっています。





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シンガポールにて

 1998年 元旦(限定版)

97年年末のシンガポール旅行を題材にわずかな枚数だけ作りました。
日頃のドロドロした岡崎タッチとは違う一面を表現しました。風景は朝起きたばかりのシンガポールパンパシフィクホテルの窓辺です。





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恭喜発財

 1998年 元旦

華僑社会の猥雑なミスコンテストをモチーフにしました。
美女の裸体を隠しているトラ模様の布はトラ年と攻撃的なエロティシズムとをかけ合わせています。





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OKAZAKI AIR LINES

 1997年 元旦

世界一怪しい航空会社「OKAZAKI AIR LINES(岡崎国際航空有限公司)」の機内サービスをモチーフにしました。ウェルカムサービスの赤いバラと自助服務(セルフサービス)のフォートナムメイソンのティーバックのグリーンが退屈な機内にアクセントを添えます。機内オーディオの特集は岡崎純ソロリサイタルです。MD−11では9チャンネル、B747−400では12チャンネルにセットしてお楽しみ下さい。





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Chu Chu Train

 1996年 元旦

アムトラックの窓から顔を出す美女の肩には、ねずみの車掌が日米の国旗を交互にふっては愛嬌を振りまいています。ほんと行為の意味がわかりません(こう言いきってしまうと、ここで話が終わりますね)。
この年は干支のねずみを主役にしたかったのですが、もうひとつ主張がぼけて滑ってしまっています。





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Chinese New Year

 1995年 元旦

Chinese New Yearになると世界中の中華文化圏の商店ではどこでも見受けられる男の子と女の子の飾りをモチーフにしました。
この飾りはあまりに可愛いので旧正月のお祭りの時に神戸・南京町へ行って買ってきたほどで今もわが家のリビングの壁に飾ってあります。
背景は香港の街並みですがChinese New Yearなのでどこの商店も閉まっています。香港へ行く時はちゃんと調べてから行きましょう、さもなければ私のようにドツボにはまります。





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アジアンレストラン

 1994年 元旦

オーストラリアのとある大都市の一角にある日本および韓国レストラン「大和魂」の名物料理は保身湯(犬鍋)。
この料理のため店主はいつも数匹の犬を飼っていたのですが、ちょっと目を離した隙に犬達は食べられてなるものかと一目散に逃げ出しました。
網をもって追いかける店主の足では到底追いつきそうもなさそうです。





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BIRD AIRLINES

 1993年 元旦

トリ年にちなんで作った作品です。
世界各国のトリ達が集まる機内は大にぎわい、パソコンを扱うビジネスマン、旅に出かける女性客、いたずらっ子の姿などが描かれています。





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香港猿物語

 1992年 元旦

老猿夫婦の退職記念旅行は香港。
夫は愛用のカメラ、キネエキザクタを首からかけて街をスナップ。妻は日系デパートを見つけてはショッピングに大忙し。昼食は、チムサーチョイで飲茶です。タクシー使うのはいいけどぼられないように気をつけて。
一時は買物天国で賑わった香港も、中国返還後は観光客の姿がガクンと減ったとのことですが、久々に行ってみたいもの。そういえば金属地肌むき出しの香港の地下鉄の座席、座っていると加減速のたびにツルツルと進行方向に滑るのでご注意ください。





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ひつじまつり

 1991年 元旦

下町の商店街では町の人達がひつじに扮して飲めや歌えやの大騒ぎ。普段は店を女房に任せてパチンコ三昧の金物屋のおやじや、商工会の研修旅行と称してバンコクツアーばかりの肉屋のおやじ(どうやらこのおやじ、商売で扱う肉とは違った肉が好きらしい)もこの日ばかりは町をあげての催しにはっぴ姿で大活躍。行きつけのスナックのママさんも応援にかけつけてくれました。
「まあ、固いことは言わんと、おまえもひつじの格好して俺らと飲んで踊ろうや!」となあなあムードが蔓延した楽しい晩になりそうです。
肩肘張らなくても、高望みさえしなければ人生って案外楽しく生きられるのかもしれません。





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巳年衣装の女

 1989年 元旦

若い女が着ているブラウスは賀正の文字と蛇の絵がプリントされた巳年の柄。しかし、このブラウスを着るとまるで蛇のように執念深くなるというんだから困ったもの。少しでも疑惑を感じさせる行動を察知すると、彼氏の携帯電話の受信記録や車の走行距離を調べたくなったり深夜に突然、彼氏の家を訪問して所持品検査をしたくなるらしい。若い女の半開きの口からは「この2時間の間、100回も電話したのに一体どこ行ってたのよ!」という声が聞こえます。





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Japanese New Year

 1988年 元旦

極東の島国ニッポンでは人々はフジヤマの見える紙の家に住みキモノを着て暮らしています。めがねをかけた出っ歯の主人は毎朝、背広を着てカイシャに行きエコノミックアニマルとなって夜遅くまで働き続けます。
そんなニッポンの姿を世界の人々に知って欲しいという願いを込めて作った作品です。しかし世界の人々に日本の姿が伝わったかは疑問です(そもそも海外なんかに出しないし)。





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勤賀新年

 1987年 元旦

戦争中の「少年倶楽部」の表紙に感化された作品。
昭和10年〜30年代の文化には興味があり、この嗜好は今なお続いています。入社したての頃にばらまいたこの年賀状は物議を醸し出し「君のことを右翼じゃないかって言っている人もいるから気をつけた方がいい」と当時の上司に言わしめた作品です。





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