●訃報:安藤百福さん 飢えからの解放決意…破産乗り越え

 「食足世平(しょくそくせへい)」。世界中で年間857億食が消費される即席めんを創造した安藤百福(ももふく)さんは、 自身が作ったこの四字熟語を好んだ。直訳すれば、「食が足りて初めて世の中は泰平になる」だが、安藤さんが込めたのは、 「食を通じて世の中の役に立つ」という決意だった。日清食品の企業理念でもあるこの言葉は敗戦後、焦土と化した大阪の街で、 安藤さんが自身に立てた誓いであり、破産という人生の逆境で不死鳥のように蘇るエネルギーでもあった。

 安藤さんは敗戦で、集荷・問屋会社などの事業の大半が灰塵に帰したが、「戦後復興にはまず飢えから解放だ。食からすべての 建設は始まる」と決意、食品事業を起こす。事業は順調だったが、懇願されて理事長に就いた信用組合が倒産し全財産を失なった。 46歳だった。

 「今となっては、あの空白の時間が新事業のために必要だった」と安藤さんは語っていたが、家内労働で細々と営まれていたラ ーメンの大規模工場生産という前代未聞のアイデアは、この時期に醸成された。

 2年後の58年8月25日、世界初の即席めん「チキンラーメン」は1袋35円で売り出された。うどん玉1個6円の時代。 流通関係者の評判は芳しくなかったが、「お湯をかけて2分間」とうたって有名百貨店で実施した試食キャンペーンが女性たち から支持された。「即席めんは主婦の解放に役立った」。

 経営者としての安藤さんが尊んだのは独創性だった。他の追随を許さない独創を支えたのは好奇心と観察眼だ。今や即席めん の代名詞にもなっているカップヌードルは、スーパーの担当者がチキンラーメンを二つ折りに紙コップに入れて試食したのをヒ ントに開発された。

 01年には宇宙食ラーメンの開発に着手。宇宙飛行士、野口聡一さんが05年に搭乗した米国スペースシャトル「ディスカバリー」 に持ち込まれた。「対立する国の人とも、同じ宇宙空間でラーメンを食べられるなんて夢がある」と喜んでいた。

 「商品はあくまでオリジナルでなければ成功しない。他人がやっているからでは決して成功しない」と安藤さんは力説した。

 ◇4日に年頭所感
 安藤さんは前日4日午前に同社の大阪本社で開かれた仕事始めで社員に向けて所感を述べ、その後は新年のあいさつに訪れた 来客者の応対をした。その際、時折せきをする場面があり、風邪気味だったという。同日昼には、役員を交えた昼食会で、おも ちを入れた同社製品のチキンラーメンを食べたという。5日昼過ぎ、体調の不良を訴え、午後3時ごろに大阪府池田市の自宅か ら同市立池田病院に搬送された。
毎日新聞 2007年1月6日 1時12分 (最終更新時間 1月6日 1時33分)より転載

●訃報:安藤百福さん96歳=日清食品創業者会長

 世界初の即席めん「チキンラーメン」の発明者で、日清食品創業者会長の安藤百福(あんどう・ももふく)さんが5日午後6時40分、 急性心筋梗塞(こうそく)のため死去した。96歳だった。社葬の日程は未定。喪主は妻、仁子(まさこ)さん。

 安藤さんは1910年、台湾生まれ。22歳の時にメリヤスを日本から輸入する商社を台北市に起こして成功。33年、日本に移って 大阪に集荷・問屋業の「日東商会」を設立した。

 太平洋戦争後、極端な窮乏、飢餓状態に陥った国内の惨状を見て「食」の事業に転向することを決意。製塩などの事業を起こしたが、 頼まれて理事長に就任した信用組合が破たん。その直後、大阪府池田市の自宅の庭に研究小屋を作り、「お湯があればすぐに食べられる」 即席めんの開発をスタートさせた。

 保存性と簡便性を兼ね備える即席めんの開発は難航した。しかし試行錯誤の末、高熱の油でめんを完全乾燥させる油熱乾燥の手法にた どり着き、58年、48歳の時に世界初の即席めん「チキンラーメン」を発明、発売にこぎ着けた。

 チキンラーメンは、お湯をかけるだけで食べられる「魔法のラーメン」と評判を呼んで大ヒット。同年、社名を日清食品とし、業容を 一気に拡大させた。その後、カップ入り即席めんの商品化に取り組み、71年、数々の独創的アイデアを盛り込んだ「カップヌードル」 を開発。即席めんは、一気に世界中へと市場を広げていった。

 即席めんは今日、世界全体での消費量が年間で857億食を超す世界食、世界産業へと成長している。安藤さんは即席めんの製法を 公開し、業界団体を発足させるなど産業育成にも尽力した。日本生まれの新たな食を、世界共有の食文化に育てた功績は大きい。

 99年には池田市に、即席めん開発の歩みをたどった「インスタントラーメン発明記念館」を開館。即席めんの手作り体験ができ、 人気を集めている。また05年7月には世界初の宇宙食ラーメン「スペース・ラム」を発表。米スペースシャトルに搭載された。
毎日新聞 2007年1月6日 1時02分 (最終更新時間 1月6日 1時47分)より転載