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”老害”は防げない(サークル活動)(自然周吾)

”老害”は、グループの長が、長くその席にいると、組織が硬直して、動きが鈍り、新しいことに チャレンジする気力が減退し、やがて、滅亡する、という現象を代弁して、年配者を嫌っている 言葉といえる。

その弊害を避ける方法として、現在、多くは定年制(任期制)を設けている。
しかし、問題は、長くその席(『長』)にいたからとか、高年齢者だからとかではない。
本人が、リーダーシップとメンバーシップの意味を理解し、その役割を、上手く演じられるか どうかである。

確かに、年配者は、一見、頭の切替えが鈍くなり、頑固者といわれるが、若者の中にも切替えの 固い人物も居るはずで、年齢差ではなく個人差である。
つまり、ある組織の長は、どこに行っても、常に自分は『長』であると確信して、『長』を演じている。 この人が”老害”者である。
『長』は役割であって、その組織を1歩出たら、通常は、『普通の人』になるのである。

いろいろな組織(サークル)に否応無く組み入れられる現在では、ある時は『長』であり、また、 ある時は『普通の人』にもなる。臨機応変にリーダーシップとメンバーシップを使い分けなければ ならない。
それが、いつでも、どこででも、『長』=リーダーシップばかりに固執してしまうのが、 ”老害”現象を表現してしまうことなのである。
特に小チーム活動では、この切替え(メンバーシップの方)が大切である。1人でもメンバーの中に ”老害”者が、居ると、困る。
役割活動が自動的に動かなくなるのである。まさか”船”が”山”に上るほどにはなるまいが、 目的地までは、到達できかねる。

柔らか頭の年配のリーダーは、老賢人として、メンバーでも有力な人材である。メンバーシップを 理解しているからだ。
頭の固い人材は、若者でも、”老害”者として敬遠である。

世間で見られるように、早く”老害”者を見つけ、サークルに残すなら、当該”老害”者を決定権の無い ”名誉”リーダーとして祭り挙げるしかない(それでも”老害”はなくならないが・・・)。
そして、もし本人がそれを喜んでいれば、それが”老害”者の”老害”者たる証であろう。

メンバーシップを演じられる年配者にこそ、老賢人の存在資格がある。

(05/11/09)
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