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油断-禁物(自己防衛機能強化)(自然周吾)

大事なことは、物事をいろいろな面から見ること、しかも色眼鏡でなく、事実をそのままで見ること、そして、判定すること、 といわれている。
しかし、いろんな面(立場)から、観ることは難しい。実際、多角度から観ることは、空間的にも移動しなければならず、難しい。
色眼鏡でなく、素直に観ることも、難しいが、決して出来ないことではない。
物事を判断して、即、決断を発言するのではなく、しばらくは黙ってじっと観察していることが、それを助ける手立てになる。

しかし、関係する対象人物そのものが、普通でない場合は、通常の方法は通用しない。
つまり、同じ土俵に上がれない人との交渉は、危険で、極力避けるべきであろう。

通常の生活環境では、常識で測れない人が、混在していることもある。その判定は、個々人で行い、それなりの対応をする。
だから、大学の敷地内での環境を考えると、大学関係者(教育に興味がある者)のみが存在するという前提を持つのは普通であろう。
ところが、いまは、その前提が成り立たないのである。

開かれた大学、放送大学は、以下の危険が満ちている。
すなわち、
@大学校内は、 守衛が入門をチェックしているのだから、学生証等のある人しかいない、と過信することの間違い。
A学生番号を、スラスラと記入するから、学生だと過信して、チェックもせず、除籍者を学生として運動場使用許可証を発行する?
B人懐こく、サークルメンバーの名前を表示して、そのメンバーと親しい人物だと過信させて、近づく危険人物が存在する。
作為のある危険人物を、校内にいれず、また、校内から排除することも出来ない。

放送大学は個々人の身辺を守れる大学になってはいない、という認識で、あらゆる状況を、油断なく、自己防衛すべきである。
危険な人物を特定して、個々にマークしておくことは有効である。(排除できないが、浮き上がらせて目立たせることは可能である。)

結局、危険人物の混在を許し、混在を分別できない組織であるという事実を認めて、各自が独自で自己存在(自存)を守らなければな らない。
放送大学校内は、これから益々、厳しい、危険な環境になってゆくだろう。

(06/03/03)
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