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『鳥が自由に飛ぶように、自由に行動できるか!』(自然周吾)

鳥のように自由でありたい、という言葉は美しい。自由の象徴として、心地よい言葉だ。
自由は気楽な感じがする。
しかし、鳥は、気楽に自由に飛ぶことを楽しんで、飛んでいるのだろうか。

鳥は生きるために、必死で飛んでいるのではないだろうか。
鳥は、餌場と住処との行き来以外に気楽に『自由に』飛来をしているのだろうか。
つまり遊びのために、危険を冒して、飛ぶことはあるのだろうか。
餌場が豊かであり、住処の森が保護されていれば、その範囲の中で飛んでいられる。
限られた範囲内で飛んでいることが、自由に飛んでいると言えるだろうか。

餌場も住処も安住の保証はない。どちらかに異変があった時、環境の変化に脅か された時、必死の覚悟で、新しい餌場・住処を探さざるを得ない。
そのとき、鳥は真に自由に飛ぶのである。
生きるために、危険を冒して、”自由”に飛ばざるを得ないのだ。
餌場が、住処が見つからなければ、その自由な飛来は死を意味している。
従来の環境から離れて、自由に飛ぶことは、必死に飛ぶことなのである。

自由に飛ぶことは、安全ではない。自由は、危険と正比例の関係にある。
鳥は生きるために、危険を冒して自由に飛んでいる。
自由に行動するとは、守られた環境の中で、適度な我慢をしつつ、自己を適応させての 行動ではあり得ない。
命がけの行動である。とてもとても今の私には出来そうもない。
制限という安全圏の中で、ぬくぬくと、生きているのに、『自由に』等と 安易に使っていることを改悛すべきである。

(05/02/06)