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やはり、市川塩浜のテニスからの帰り道である。京葉線沿線の木々の緑は鮮やかだ。が、 先端が赤みを帯びているのに出会う。『赤緑』という色があるのか、と疑問に思った。
また、教育会館の横の植木で、先端が枯れている、緑を見た。『枯緑』という色もあるのか。
自然界の色は、色相では表せない色があるのだ。
自分勝手に、想像する色があるのだ。色見本が数値化し統一化されていても、心象を表す色は
色相表とは、別にあるのだ。
思いつくまま、心象を表す”緑”を挙げてみる。
黄緑・青緑は、色相に合っている。赤緑、白緑・黒緑、明緑・暗緑、薄緑・濃緑・厚緑、透緑、
深緑・浅緑、茶緑・枯緑・生緑、若緑・更緑、水緑・土緑・空緑、そして究極の緑は、『光緑』
である。
どんなイメージが見えるだろうか。
『光緑』はどうやって、表現できるだろうか。
絵にするときは、『白緑』は、黄緑の新緑の幼葉の上に、白色を、筆で掃くのである。また、
赤を、掃けば、『赤緑』となる。
混ぜるのではなく、面(点)として、独立に、存在するのである。すなわち、『白緑』は、緑と
白が、混在してある。自然はおのおのの色が、混合されずに、混在してある。自然の描法は、
点描が最適だ。1枚1枚の葉が、自己の色彩を主張している。結果、全体は究極のモザイクだろう。
それは、デジタル画像に通じる。
『白緑』は色相独自の並存であるが、それとは別に、生物的”緑”は、どのように表現するのだろ
うか。
生物的”緑”とは、『枯緑』『生緑』『若緑』『更緑』と勝手に名づけているのだが、いづれも、
それぞれ、”緑”が、枯れた、生きている、若い、更けている、という色である。
『枯緑』は、先端が、茶系に変色していた。また、しおれていた。茶は年齢を感じさせる。しゃん
とした、背骨の立った、茶色もあるだろうが・・・。安易に茶色を使うのは気が進まない。
自然の配色には、全くの同色は存在しないのだろう。観る側の感情で色が、色々と変わってしまうのだ。
無心でなければ、自然の色を捕らえ、再現はできないだろう。それは、カウンセリングの技法にも通じる。