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映画『ソフィーの世界』をBSで放映していた。中で、ミケランジェロに遭遇したソフィーが、ノミ で作品を削っているミケランジェロに『どこで止められるのか』と聞くと、『石が止めてくれる』(正確なせりふではない?)と、応えている。
優れた(人を感動させる)作品は、本人が創造するのではなく、何かが、創造させるのではないか
と思う。つまり、彫刻では、石の中に、すでに完成品があり、作者は、周りの石を無意識で削り落とす。完成品は同じ材の石だが、周りの石より堅い”石”で出来ていて、のみでは通じない、した
がって、ミスはしようにも出来ない。
作者は、単に、石のなかから、完成品を、掘り出した、という心境である。
文章においても、手が、ひとりでに動いて、作文していく。結果として、優れた(人を感動させる) 作品が手元に出来る。作者の、筆跡で、何者かが、文章を書いたという心境ではないか。
掘った彫刻家も、書かされた作家も”天才”と、はやし立てられるが、その実態は、創ったのは自
分でない、という空しさが残る。真の天才は、そんな空しさを、充分理解しているのだ。
その辺の経緯が分からない彫刻家や作家は、すべてが自分の実力だと錯覚し、当然、一般人は、創
った人(彫刻家や作家)を、”天才”と誉め称えるだろう。
特に、天才と言える人の場合は、得てして、こんな経緯で登場するのではないだろうか。
もちろん、隠された完成『美』を、見通せる心眼を持っている。
しかし、見つけた後は、丁寧にその作業を進める。何かの意思に忠実に従う、素直さを持つ。
凡人でも、本当は、同じ経緯で、動いているのだろう。自分の意志で、身体を動かしていると錯覚
しているだけなのだろう。
身体の動くままに、身体を動かすことが、真に、”あるがまま”なのではないか。
最も生理的に合理的な、生き方なのではないか。