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”水”はすべての源(自然周吾)

突然だが、津波に襲われたら、どうしようと思った。そのとき、津波(波=水)に同化出来れば、いい のではと、考え、以下の文章が作成された。(ちょっと危ない気がするが、採用した。)

水はすばらしい!氷として、水として、水蒸気として、環境に合わせて、態を代えて存在する。 通温では、液体の水であるが、形あるものに保管される場合は、そのものの形に合わせて保管され、 熱せられれば、その熱を取り入れる。許容値を越えれば、態を代えて、水蒸気になり、冷やされれば、 氷となる。ほんに、自由自在だ。そんな水になりたい!と思う。

私の身体は、ほとんど水で出来ている。しからば、私はすでに、希望する”水”になっている。

水そのものは、生命維持に使用され、季候(環境)決定の主要素でもあり、水力、水蒸気圧としてエ ネルギーそのものでもある。あらゆるものには水が、関与している。
確かに、水の惑星、地球である。
あらゆる造形物は、ほとんど、”水”がからんで、造られている。紙も鉄も生成の工程で水を使って いる。

私の身体も、いずれは、水となって、地球を循環するだろう。 つまり私は、私であって、私ではない。
かって、ある物体を構成していた水が、分離され、混合され、そのわずかな部分が、また、私の身体 を含めた物体を構成した。
私の”水”だ、などと、区分することはできない。太古に造られた水が、永遠に循環して、今の、 この瞬間があるのだ。水は留まることなく、循環しているのだから。

水は、温度により、決まって変態するだけだ。そして、重力で低きに流れるが、器がなければ、単に 漂う。
つまり水は、環境により変態するが、その本質は、なんら変わらずに、永遠に存在する。

私は今、すべての物体の源は”水”だと確信した。そして、私自身も、すでに、どっぷりと、水に浸っ ている。永遠なる源に繋がっている。あるがままの姿は、水なのだ(?)。

(05/06/01)