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神経症と社会性?(老人の苦言)(自然周吾)

かって、若者は、他人の目に自分がどのように映っているかを、過剰に気にして、神経症になっていた。

ところが、最近は、他人の存在を無視して、自己中心の行動を繰り広げる。社会意識の欠如である。 直接迷惑なる行為を及ぼしていないと、主張する。こうして、神経症になることもなく、本人はすこ ぶる”健康”である。社会関係(人間関係)では悩まないのだから・・・。

しかし、である。 社会的動物としての人間が、社会性を無視すれば、”人”という個のままで、”人間”にはなれない。

電車内も1つの社会である。そこでの社会性を無視した行動(観た人に不快感を与える行動といえる) には、次のものが挙げられる。 ●手で抑えない大きなあくび(下品である)、●若い女性の化粧(トイレと同じに、他人には見せ るものではない)、●ドーナツ・パンをかじる(食事)(通勤通学等の車内は飲食の場に適さない)、 ●大声での会話・イヤホンから漏れる音(聞きたくない人もいる)、●優先シートの健常者独占 (空いているからもったいないというのは、自分勝手な解釈だ)、●携帯での通話(聞きたくない会話)、 ●ドア脇での若者の座り込み(邪魔になり、辛抱が足りないと見える)、・・・。

基本的に、人に不快感を与える行動は、行動自体が、直接他者に関与していなくても、見た目の上で も社会性に反するといえる。

人は、一人では生きられないのだから、周りには、相当な気を使って生きていくべきであろう。 神経症になる手前ぐらいまでは、他者に、社会に気を使わなくてはならない。 自分は、他者に、社会に、生かしてもらっているのだという意識を感じなければならない。

(05/07/15)