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”老賢人”になれるかなぁー(自然周吾)

年老いて、耳が遠くなるということは、あまり細かいことを聞いて、心煩うなということである。
また、目が見えにくくなることは、あまり細かいことを観て、心煩うなということであろう。
したがって、記憶がすぐに思い出せないのは、古いことを思い出して、心煩うなということである。

つまり、歳をとることは、ゆったりと、長い目で、スローモーションで、物を感じることを期待さ れているのである。
知的な活動に、専念することを期待されているのである。賢老人の登場である。

自分の中に、そんな変動を認め、その動きにあった、生活リズムを作るのである。
社会の若手のみに、面倒を見てもらうのを期待するのではなく、自分で合った環境を選び創り、 自分よりも年長者に対して、手助けをすることだろう。

人は意味もなく、歳をとるのではない。歳をとらなくては出来ない、見えない、聞けない人間の文化 があるはずだ。
それを次世代に伝えるために、”老賢人”は存在するのである。

(05/07/22)