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内から発する欲求のエネルギーを待つ(自然周吾)

海外旅行の話があった。以前ならば、格安だと、他に何も考えずに飛びついたと思う。
今回は、日程の都合上行けないので断ったけれど、”行動”について考えるきっかけとなった。

どうしても行きたいところがある。それで、日程は?費用は?・・・と、検討の結果、内容と 費用を比較し、安く・・・というのは分かる。が、単に安いから行こう、と言うのは、行くのを 我慢している。
(優雅でない生活とはこういうことなのだ。)

旅行した結果としては、どちらも同じかもしれないが、その動機は重要と思っている。
旅行(行動)も、その動機が『安いから』だけでは動かない。その行動は、『したいから』する、 のでなければ、『儲かるから』する、のと同じだと考える。
本当に『したい』ことは、なにか! 儲けたいという以前にある、動機を大切に思う。 儲かるから『する』、ということは、儲からなければ、『しない』ということで、ある。
その行動自体が『したい』のではない。

金に、絶対なる価値を置いて、行動の基準にすることは、分かりやすく、明快である。
しかし、金には、いくら得ても際限がない。足るを知る心は、金だけでは育たない。 確かに、経済的安定は必須である。が、儲かるを、唯一の基準にしては、物・心全体統合の安定は 得られない。
そこそこ儲かる仕事はあるだろうが、短期に巨額の儲けの裏には、必ず、何かの策があり、不当な 活動がある。そのことを忘れてはならない。

不当な儲け活動の結果、不当に損をした人の、恨みが残るだろう。
経済的仕組みの結果とか、法的に正当だとかの、表面のレベルでは納得しても、損をさせられたという 気持ちは残るだろう。

儲けより先に、良い仕事(むしろ損を覚悟の)をしたいということが、まず、望まれる。
儲けたい人ばかりの世界は、人間の住む世界ではないだろう。 昆虫だけの、シンプルな自己生存主義の世界になってしまうだろう。個人は生き残るが、文化は残らない。
そこそこの儲けで、人間は我慢して欲しいと思う。

私は、安いから行くのではなく、行きたいところに、安く行きたい、と思っている。(支出を抑えたい。)
今、行きたいところは、強いていうなら、ヨーロッパの1部のところである。
そこも、行けなければ、それでもいい、と思っている。すでに”枯れた世界”に入ってしまったのだろう。
もちろん、どんな海外旅行でも、私には大きな望みである。経済的生存をかけて、異文化を単に”観に”行 きたいだけなのである。

(05/08/11)