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通信資格習得機関と通信教育機関(放送大学)との違い(自然周吾)

通信教育による教育システムには、色々な利点が多く、結構な機関であると思う。
個人的に、無理した人間関係を持たなくても、教育を受けられるという点は、有効だろう。 が、これは、両刃の剣で、そのままでは社会生活の規範を習得できず、間違った個人主義(自分勝手 ー他の個を尊重できない)態勢を、矯正できない。

単なる専門の通信資格習得機関であれば、仕方がないで済まされるが、我が放送大学では、通信教育 による人間形成を目指す大学であるからにして、人間として最低の社会常識は身に付けて、卒業させ られなければならないだろう。
入学のきっかけとして、他人と関係することなく卒業単位が取れるを主とした、学生は多いだろう。 (放送大学の大きな売り物の1つである。)しかし、卒業までには、最低線の総合人間関係術は、 教え・学ばせなければならないと思う。

簡単にいえば、『親睦』センスの芽生えである。
親睦がいやで入学したのに、親睦を強制されると、嘆く人も多くいるだろう。
大学卒業資格に、社会生活適応の最低条件:他の個人を尊重する、すなわち、自分を大切に思う= 他人も大切に思う、という相互関係の存在を植付けなければ、欠陥者養成機関になってしまうだろう。
単なる通信資格習得機関であってはならない。通信による教育機関(大学)なのだから。

知識のみでなく、”躾も”放送大学には教育すべき義務があるだろう。
老賢者が多く集まる放送大学でこそ、若いコチコチな”個人主義者”を適当な”成人”に導くエネル ギーを内部に有する。
年代を超えた『学生間交流』が、それを助ける。老賢人が活躍する場が、ここにもある。

(05/08/14)