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勝負は勝ちに拘るものだ(自然周吾)

勝負事は嫌いであると言う実体は、勝負に負けるのがいやであり、また、負けやすいからである。 激突する勝負よりは、『逃げるが勝』の戦法を得意とするのだろう。
勝負そのものは嫌いではない。というのは、スポーツは、全体的に好きである。スポーツは、勝敗が ある。負けてよいスポーツは無いだろう。
昔なら、負けは”死”を意味しただろう。だから、勝=生しか残らなかったのだろう。
勝たなければ、意味が無かったのである。

私は、負けず嫌いである。だから、勝負しないのである。『逃げるが勝』を採るのである。 勝=生に拘るのである。
勝てるもの、勝てそうなもの、にしか、挑戦しなくなってしまった。
負けた時の悔しさを味わいたくないからである。

ルールに則った勝つための工夫を練習・訓練して、試合(模擬)に臨むのである。
生きるということは、試合に”勝”続ける(『逃げるが勝』を含む。)ことなのだろう。
人生も同じだが、まずは、テニスでの”勝”を考えよう。

テニスで勝つには、個々の打法(確実なレターンと、正確な攻撃)と、コンビネーション戦術 の強化である。
ミスをしないで、ミスを誘う、攻撃型のチーム、を目指すのである。

(05/09/28)