BOOKS 4
今までに読んだ本についてのどうでもいいような独り言 第4章




加藤淳の本
ご存知ですか?加藤淳さん。多分、名前は知らなくても、見たことある人は多いのではないのでしょうか?
今を遡ることたっぷり10年前。TBSテレビでやってる『さんまのスーパーからくりTV』内でのとあるコーナーに出演して
有名になった方です。

当時、そのコーナー内での加藤さんの映像を見ていた視聴者の一人だったんですが、あまりにそのやりとりが凄過ぎて
その出演する部分だけを注視しながら見てました。そのメチャクチャ(褒め言葉)とも思える加藤さんの会話・思考のベースは
ドコから来るのだろう?と思いながら。
で、あるとき立ち寄った本屋の一角にこの加藤さんの本が山積みになっていたんで、興味半分で買ってみました。
元々「素人」である加藤さんに1冊まるまる任せてしまうのも凄いですが、内容はもっと凄くぶっ飛んでいた(褒め言葉)

加藤さんの仕事がデザイン・プロデューサーのせいか、会話内の語彙や例え話の例え方があまりに芸術的で、
本人の生真面目さも相まってか、会話の一言一言が物凄く浮世離れ感(褒め言葉)を生み出して、それがTVで見る
ある種の違和感・非日常感の元となってるのでしょうか?
本の中にはTV内で放送された内容の抜粋の他にも、加藤さん自身の半生の紹介や自作のエッセイなどもあったのですが、
それを読んで加藤さんへの理解が進んだ・・・・・・・というよりも、より謎が深まったような・・・・・不思議な本です。

本を読むことで、過去の事象や作者の知識・経験を知り、読者の見聞を広げる効用があると思います。
まあ、大体は自分の興味のあるジャンルや人物に偏向して本を読んでしまうと思いますが、そういった読み方をしたとしても
この本は読者の予想外の方面へ行ってしまう本のようです。



本の中にある文章は、この人でないと使いこなせない文章だと思う。





ナローポルシェの憂鬱
これは、著者が1973年製のポルシェ911を購入してからの様子を、日記のような感じの文章を綴った本です。
いかに憧れた911とは言え、40年も前の工業製品を今日製のモノと同一に扱えるわけもなく、ありがちなトラブルや操作ミスによる破壊、
あるいは事故などを起こしてからの復帰など、911の操作性とかのインプレッションというよりも維持管理についてのインプレッションが
著者の目線から書かれている読み物になっています。

題名には「ナローポルシェ」とありますが、これが「フェラーリ328」でも「02tii」でも「ロータスエラン」でも当てはまるコトでしょうし、
さらには「Z1」でも「マッハV」でも「RZ350」でも成り立つ(多分手に入れたらこんな感じの維持管理を必要とするだろうと想像する)でしょう。
やっぱり古いモノって大変ですよ。
しかし、この本の中にも書かれていますが、その専門のショップを訪ね、その車を長期間所有している人らと関係を持ち、
何とか上手くなろうとする情熱?は、やはり何事にも変えがたい経験でありロマンではないでしょうか。
本にも書かれているような『困難』をも乗り越えられないのであれば、こういった類の車は維持できないでしょう。
ただ買うだけでなく、買った後の維持の方が大変だったりすると、せっかくの魅力も半減しかねないことになるかも?
(だから、こんな車・バイクを買うときには、ちゃんとした店で買うのが一番良いと思っています)

逆説的に言えば、そんな困難でさえもこのような車・バイクの魅力かもしれない

ただ、これを読んでると自分のもっているGPXやK100RSでの出来事が、まるで些細なコトに思えてなりません。
「ポルシェってこんなにも(操作や維持管理が)大変なのか」って思いますから。読んでいて本当に憂鬱になります。



911ならギリギリで「964」あたりかなぁ。やっぱり「930」あたりはちょっと無理そう。
・・・・・・そんな想像すら出来ます。





貧乏真髄
この本のことを紹介するのは、とても難しいです。なぜなら、単純に「貧乏(=お金が無くても)でも生きていける」という内容ではないから。
著者は別に貧乏に成り下がったわけでなく、自分から「自分の自由な時間や行動のため」にわざと世間一般の生産活動から身を引いて、
必要最小限の衣食住で自分らしい生活を営めるか?という自分を使った実験体験のような生活を、この本に書き表してます。

身の回りを見渡して、「本当に必要なモノなのか?」「本当に必要なコトなのか?」、そんな何となく漂っている疑問は
誰でも多かれ少なかれ持っているのかもしれませんが、だからと言って、それをバッサリと捨て去り
(モノだけでなく、モノを置く空間も、モノを買うための生産活動の時間も含めて)、まるで世捨て人のような環境に身を置くってのは
簡単に出来るもんじゃありません。
しかし、ただ貧乏してるわけでなく、昔の生活から参考にした食生活や電気・ガス・水道の使い方などで
『自分の時間の対価で得たお金を必要以上に費やす生活』をも捨て去ってると言える。ただの貧乏生活ではありません。

自分で言えば、生活必需品とも思える衣類・電化製品はいざ知らず、必ずしも必要ではない(のかもしれない)本・CD・バイクなどは
そう簡単には捨て去ることは出来ません。特にバイクなんか3台持ってる必要があるの?などと周囲に諭されることもありますが、
やっぱり処分は出来ない。どれを取っても必要なんです、自分にとっては
こんな風に長年生活していると、だんだんとモノが増えてくし、それを捨ててくのは出来ないし、モノを維持するのにお金を必要で、
それに追い立てられるような生活になってる気がしてきます。
自分でも「これは要らないな」とか「もう捨てられるな」とかを思うことはあっても、やっぱり捨てられないんですよ。

ちょっと前に「断捨離」に関する本などが話題になりましたが、こっちの方が荒療治な内容なのかもしれない。
断捨離の方は読んだことないですが、多分にそういったことを想像してます。



エコな生活よりも、エコロジーな生活になってる。
全部じゃないけど、そんな生活のヒントになるのは多いと思います。





まとめて『ツーリング紀行』小説
せっかくの日曜に雨や雪(2014年2月の大雪はヒドかった)が降ったりすると、途端に行動が制限される=出かけてもつまらないので、
部屋に引き篭もって本棚の蔵書から適当に数冊の本を引っ張り出し、晴れた日に何処へ行こうかと妄想したりしてます。
今回はそんな時に読む本をご紹介。

ツーリングに出かける際に、バイク雑誌や旅行誌などを参考に行き先・行ってみたい観光地などをピックアップしていくんですが、
そういった『参考書』として個人のツーリング紀行をまとめた本なんかも良く読みます。
雑誌関係だと、どうしても広告宣伝を兼ねた内容になりがちだったりするんで、ネタ元になることはあってもリアリティを感じにくい気がします。
そこへいくと、こういった個人の体験記のようなカタチの本は、多少の脚色はあるでしょうがその記述内容にリアリティを感じやすく、
より一層の感情移入もするようになります。その一番の原因が、雑誌よりも内容に時間の経過・空間の流れなどがあることでしょうか?
行き先も大事ですが、そこへの移動内容も重要なツーリング構成要素ですから。

最近ではインターネットなどでツーリング中の様子をほぼリアルタイムでアップしてる人も居ますし、自分でもサイト内で
ツーリング紀行文集なんかをやってるんで、そういった所からの情報も有用なネタ元として重宝させてもらっています。
が、そういったデジタル媒体で見る内容とこういった旧態依然とした本で見るのとでは同じ文体でも何か違うんです。
古い人間なのか、何か本の方がありがたみを感じるんですよ。だから、本屋へ行くとこういった本を探してしまいます。



こういった本を読むと、自分の紀行文の内容ももっと充実させたいと思ったりします。
そのハードルは高い。