さらば、K1300S
こんな最後になるなんて





2017年5月28日、最後の雄姿。
この5分後くらいに事故に遭いました。


思い出したくもないし、このようにネタにするもの気が引けますが、書き残しておくべき事と思ってやってます。


いつもの日曜に、いつもの早朝ツーリングをやって、いつものように帰宅して休日出勤するはずだったのに、
そうはいかなくなった。
上の写真を撮って帰路の途中、居眠り運転の車がこっちの車線にはみ出して、正面衝突の事故を起されました。
念のために言っておくと、『100%相手が悪い』という過失割合です。こっちは真っ直ぐ走ってただけなので。

気が付くと救急車の中で、いろいろと身元を聞かれケガの処置を施され、運ばれた病院で緊急手術を受けて・・・。
そうやってる内に、両親がやってきて、事故相手の保険屋が来たり、多分自分の人生の中でも
一番大騒ぎになった一日になってしまいました。


事故で両肘部の骨折・右手首の骨折・背骨(胸骨?)にヒビ・腰骨にヒビ・その他全身に打ち身切り傷多数の身となり、
約1ヶ月の入院・・・・内2週間ほどは完全に寝たきり状態・・・・・をし、退院してから今でも週3回のリハビリに病院へ
通っています。それも退院当初は両腕がまともに動かず、足どりもおぼつかないくらいの状態だったから、
しばらくはタクシーを使用しての通院でした。
やっと最近(9月下旬)から徒歩と電車での通院にOKが出たくらい・・・・・・なんです。


     
左肘は骨折に加えて靭帯も損傷してました。
本当に正面衝突だったのにも関わらず、頭は無傷だったから
事故後でも普通に会話が出来ました。
それ相応に良いヘルメットを被っててよかった。


そんな状態でも自分の保険屋に事故の報告をして(使える保険はすべて使った)、事故を起した地域の警察へ
事情聴取と現場確認へ行ったり、知り合いの車修理工場に引き上げてもらったK1300Sの廃車手続きをしたりと
出来れば知らなくても良かった事を済ませて、現在に至るわけです。



K1300Sの壊れ方を見ると、相当に激しい衝突だったようです。
警察からも病院からも「死んでてもおかしくなかった」と言われました。


今(9月下旬)になってようやく多少の不自由があるものの日常生活がおくれるくらいまで回復しました。
しかし、バイクのある生活は戻ってくることはなさそうです。
事故で骨を折ったのと同時に、心も折れたようです。そして、それが今だ癒えてません。

事故に遭ってから両親に心配をかけ、実家の仕事(水道屋)や知り合いの業者にもいろいろと迷惑をかけたのに
またこの先「バイクに乗り続ける」と宣言するほどの強い意志と根性は持っていません。
それに、回復したと言っても両肘は元通りに動くところまで治っていなくて、両肘共に100%曲げたり
100%伸ばしたりなんて出来ないし(良いとこ98%位)、左手も不自由さがまだ残ってて
クラッチレバーを握る握力も戻ってない。

そういった理由を並べ立てるほどに、バイクへの情熱みたいのがすっかり消えかけてるみたいです。
6月から今まで、バイクの事を思い浮かべても何かワクワクした気分にならない。
もうちょっと体が治って、車でも運転できるようになったら(今はまだ運転できるまで治ってないから)、
また気持ちも変わるかもしれませんが、今んところはそんな気持ちで頭がいっぱいです。


そんな気持ちもありますが、この『K−バイクで行こう!』のそれぞれのページ部分はまだしばらく残しておきます。
バイクが無くなったとしても、このページ部分まで無くしてしまったら自分の過去の時間まで無くしてしまうような
気がするんで・・・・・・。

これからもサイトの更新は限りなく停滞します。が、しばらくは「地下に潜る」くらいの感覚でサイトを管理していきます。