神 様 に 導 か れ て
       
牧 師 柏 木 英 雄

 私がどのようにキリスト教信仰へと導かれたかをご紹介させていただきます。

 私の家庭は、キリスト教信仰とは全く無縁の家庭でした。家が旧家で、父が寺の檀家総代をしており、お坊さんが頻繁に家に出入りするような家でした。
 その私が、キリスト教の信仰に最初の関心を持つようになったきっかけはこんなことでした。

 私が小学生の頃(1950年代)、私の家には私の「はとこ」に当たる一家族が住んでいました。戦災で焼け出され、私の家に疎開をして、そのまま一緒に生活をしていたのです。
 その家族の中に、私より2歳年上の、私の姉と同じ年の「はとこ」が教会に通っていたのです。私自身も幼稚園までその教会の幼稚園に通っていたのですが、その人は、その後、小学校〜高校そして社会人になり、結婚後も(そして今日まで)教会に通っていたのです。
 その姉のような「はとこ」が(私は多少その人に憧れのようなものを抱いていたのかもしれません)、毎日曜日になると、私の家から教会に出かけて行くのです。
 その姿を見て、私は、子供心に「なぜ教会に行くのだろう。教会ってそんなにいいところなのかしら。いつか私も教会に行ってみたい。」そんな思いを抱いたことを、今でも鮮明に思い起こします。
 その思いが、図らずも私が20歳の時に、実現したのです。

 私は、希望の大学があり、一年浪人をしたのですが、希望の大学に入ることができなかったという挫折感のために、鬱々とした気持ちで大学生活を送っていました。こんなことでは、自分がダメになってしまう、何かしなければ、と考えて、大学の2年の春、キリスト教青年会(学生YMCA)というサークルに入りました。たまたま一人で夕方、大学のキャンパスを散歩していた時、キャンパスの外れの古ぼけた木造の小さなチャペルの中で、薄暗い電灯のもとで集会をしているのを見つけたのが、きっかけでした。
 この学Yに入ったことが、その後の私の今日に至る信仰の人生を決定することになったのです。不思議な神様の導きを思わされます。

 私が、学Yというキリスト教のサークルを選んだ理由の一つが、前述の小学校以来の記憶であり、もう一つは、私が大学受験で1年間浪人している間に影響を受けた、倉田百三という、明治の終わりから昭和初期にかけて活動した思想家・宗教家(その人の著作に、「出家とその弟子」「愛と認識との出発」「青春の息の後」などがあります)の存在がありました。
 倉田百三は、人間の誠実な愛の在り方を追求した人です。キリスト教的な(アガペーの)愛と、ギリシャ的な(エロスの愛)の違いを探求する人でした。一方で、アガペーの愛を追求しながら、他方において、エロスの愛を捨てきれないという、自我の矛盾に悩んだ人です。
 私は、その倉田百三という思索家の誠実な人柄に触れ、その人の考え方に傾倒しました。その影響から、私はキリスト教のサークルを選んだのです。
 このようにして、私は、キリスト教との結びつきを与えられ、やがて教会に通うようになったのです。

 いよいよ大学を卒業して、自分の将来を考えなければならない時になって、私は神学校へ行く決心をしたのです。

 こんな思いがありました。(今から考えれば、大変幼い、未熟な考えでしたが、神様はその未熟な考えをも用いて下さったのです。)このままでは自分が汚れて、だめな人間になってしまうという思いがしたのです。
 私の中には、一方には、真理探究的に、キリスト教の信仰のことをもっと知りたいという思いがありましたが、他方には、この世の快楽に埋没して生きてもいいではないかという思いがあり、その葛藤に悩みました。その心の葛藤の中で、私は神学校に行くことを決心をしたのです。この世の厳しい現実をまだ本当に生きたわけではなかったのですが。
 私の本当の問題は、神学校を卒業して、牧師として教会に仕えることになって、初めて明らかになったのです。

 私は「説教する」ことを恐れていました。私の中に、神様の「救い」についての確信がなかったのです。神学校を卒業してもそうでした。頭の中の理解としては分かるのですが、心の底から神様の救いがわかったという思いがありませんでした。そのために、説教することに自信がなかったのです。
 聖書の中に、主イエスの弟子たちが一晩中漁をして、一匹の魚も取れなかったという話がありますが、私も、一晩中、徹夜して、説教の準備をするのですが、その結果は惨憺たるものでした。自分の中に救いの確信がないのですから、聞く人に信仰の慰めを与えることができるはずがなかったのです。
 神学校を出て、すでに3年が経っていました。ある教会(浦賀教会)で、初めて主任牧師として一つの教会をまかされた時のことです。礼拝出席20人足らずの小さな教会でしたが、私は説教ができないという重荷に苦しみました。日曜日を迎えるのが苦痛でした。そして、日曜日は必ずやって来るのです。
 説教ができないという苦衷の中で、私は、新約聖書だけの小さな聖書を片手に、毎日のように、教会の周辺を散歩しました。朝も昼も夜も。
 浦賀教会の奥が谷戸になっていて、その奥を昇っていくと、山の尾根に出て、三浦海岸を眺めることができるのです。そのような所に上っては、一人静かに考え、祈る生活を繰り返しました。
 ある時私は、林の中で、地面にひざまずき、両手をついて、心から神様に祈りました。「神様、説教ができるようにしてください。私に力を与えて下さい」と心から祈りました。すがるように、祈りました。
 そう祈っている間に、不思議に心が温かくなり、主イエスが身近におられる感じを与えられました。
 その時、私は「ああ、このように祈っていけばよいのだ」と思いました。このように祈っていけば、私は主イエスと共に生きることができると思いました。
 それと共に私は、今までこのように神様の前に、本当に弱くなって、すがるように祈ることがなかった、と思いました。いつも頭の中の操作で生きてきたように思いました。神様を信じると言っても、本当に神様に祈ることをしてこなかった、と思いました。
 この時初めて、私は「心が砕かれる」経験をしたのです。常に自分の正しさを守り、そういう自分を(密かに)誇りながら生きて来ました。小さい時から自分の父親に批判的であった私は、自然にそういう心を身につけてしまったのです。その私の頑なな心が、初めて砕かれる経験を持ったのです。
 もっと早くに、そのような心をもって、神様の前に祈ることができたらよかったのですが、牧師になって、説教の苦労をして、初めてそのような経験を持つことができたのです。
 この経験を通して、初めて私は、牧師として生きていく自信を与えられました。そしてこの経験が、その後の、今日に至るまでの私の牧師としての歩みの支えになったのです。

 神様は、このように私を導かれたのです。そこに至るまで導いて下さった神は、その後は、そのような祈りに立ち帰るようにと、あらゆる機会を通して導いて下さったし、今も導いて下さるのです。 
 神様の導き方があると思います。神様は、私たちが一人の貧しい罪人として、謙遜に神の御前に立つことを求めておられるのです。そのようにして、一人ひとりを神の御子、救い主イエス・キリストの十字架と復活の恵みの中に生かそうとしておられるのです。
 

    柏木英雄牧師 略歴

1944年 神奈川県 生まれ

慶応大学法学部卒業後、
東京神学大学に編入学
1974年 東京神学大学修士課程修了後、

日本基督教団藤沢北教会、
日本基督教団浦賀教会、
日本基督教団大館教会、
日本基督教団茅ヶ崎教会、
日本基督教団仙台東一番丁教会を経て、

2007年より 日本基督教団鎌ヶ谷教会 主任担任教師