当日綱引きの前に,集落内の3ヶ所かでおもに安全を祈願する内容のウガミをします。
実は台風の中、ウガミを敢行したそうで、私は見に行けませんでした…。スミマセン、根性が足りなかったです。
現在、使われる綱は3週間ほど前に、潮平が使った綱(ウマチーと盆に引いた物らしい)を買い取り,公民館で保管しておきます。カヌチ棒は公民館に保管しているものを毎年使います。
稲作が行われている頃までは、各家庭から藁を集め、前日の夜、又は当日の朝から綱を集落の男の人が総出で作っていたそうで、現在使われている綱よりもっと大きかったということです。
五時頃、綱引きを行う道路に交通止めの看板を設置し,公民館から男の人達が綱を担いで運び,カヌチ棒や看板などは一足先にトラックで運ばれます。
綱の頭を向かい合わせて,中央線を引き、鉦を鳴らして人が集まるのを待ちます。
戦後少しまでは、旗頭や、シタク(「サムライ」の格好をした人達が雌雄両側の綱に乗る)があったそうです。
綱引き本番
ある程度人が集まると、綱を担ぎ、会場を一周させて向かい合わせ、カヌチ棒を入れ、合図と同時に引き始めます。
中央線から1,5メートル間隔で引かれた線まで引き寄せた方が勝ち。2回引くが、1回目に負けた方に、2回目は勝ちを譲るらしい。
今年は1回目に西が勝ちました。西が勝つと豊作になるといったような年占的な要素は、聞き取りした際には聞けませんでした。
綱引きの間には、男同士がぶつかり合うガーエーなどの示威行為があるのですが、真壁に特有なのがヘンハーという女の人による踊りです。「女のガーエー」と表現する話者のいたように、ガーエーのように東西向き合って、タオルなどを振りながら飛び跳ね、その踊りの優劣を競ったといいます。
しかし今年は参加者の不足から、ガーエーやヘンハー、カチャーシは古老の言うところの、「まね」するだけで終わりました。
綱引き終了後
綱引きが終わった綱は、ミミグチと呼ばれる頭の部分を少し切り取り、東西それぞれ決まった場所で燃やします。以前はもっと大きな綱を燃やし、その場を囲んで酒盛りが行われ、村芝居は戦後少しまで、相撲大会は青年会が活動していた時まで行われていたそうです。またかなり以前に棒術も行われていたらしいです。
残りの綱は今でもすぐに入札にかけられ、買い取られた後、肥やしにされるそうです。
私自身、真壁の綱引きを最後に見たのは10年ほど前になるのですが、(当時私が子供だったからかもしれませんが)随分と規模が小さくなっているようです。
この日は小学校の式典と悪天候が重なっていたのも、参加者が少なかった原因の一つだと思いますが、数名の方に聞いたり、見て感じた事として、どうも20代・30代の青年層の参加が少なく、関心が薄れてきているようです。
他部落では小学校に頼んで、綱引きの時に子供達に運動会などでやるエイサーを踊ってもらい、子供だけでなく父兄の参加を増やしている例もあるようですが、真壁に関しては、そういった事はしていません。
糸満市街で働きにでている人が増え、青年会も活動できない状態にあり、集落内に住んでいても、地域的なつながりは薄く、子供の通う学校を軸とした人間関係が主になっているようです。