シーミー(清明祭)

 4月も中旬に入り、シーミーのピークをむかえました。
この時期には毎週末、あちこちの墓で、掃除やビニールシートを敷いて
食事している風景がみられています。
遅ればせながら、シーミーについて簡単にまとめてみます。

  シーミーは旧盆、ジュウロクニチとともに祖先祭祀を代表する行事のひとつ。旧暦3月の清明の節に行なわれる。新暦の4月の中旬、週末に多く、その間にできなかったところはナガリシーミー(流れ清明)といって、旧暦5月に入ってから行う。
 一般的には家庭・親族規模の行事だが、集落単位でシーミーの日を決めて一斉に行うところもある。これをチュムラシーミーという。
 沖縄本島南部地域で比較的盛んに行われ、本島北部や宮古八重山など離島ではあまり行われていないといわれ、地域差がある。ついては、本島南部で一般的に認識されている「シーミー」について、以下記述することとする。
 
 門中やハラ、チュチョーデーなど呼び名や範囲は異なるが、それぞれの集団が親族の墓に集まる。行事にかかる費用は、ムートゥヤー(本家)によって各集団の構成する世帯から徴集されるサカティで賄われている。
 墓に重箱、酒、茶、線香、ウチカビなどを供える。
 祖先祭祀というだけでなく、親族間の親睦を深めて集団の結束を確認、固める役割の大きい行事として捉えられている。
 ウガンの後、墓前で重箱を広げて食べる。以前は三味線を弾いて歌うなど盛大に行われていたが、墓に親族が集まってを食事をしなくなったところも多い。
由来 
  中国の「清明節」
に由来する行事であると考えられる。
 もとは首里王府の行事だったものが、年中行事として士族を中心に普及したとされている。『球陽』には(1768年ごろの)「二月十二日、始メテ毎年清明ノ節、上、玉陵ニ シテ奉祭スルコトヲ定ム」(原漢文)とある。
 南部地域のような門中化が進んでいる地域で、特に盛んに行われている傾向にあるのもそのためのようだ。
 
 『沖縄大百科事典』(中巻)によると、「清明祭は神御清明と清明祭に区別され」、その門中やハラの「女性神役、および各家代表の男たちが集まって血縁集団とつながりの深いサチヌユーの墓、ナカヌユーの墓、按司墓、ノロ墓、タキ、イマメーの墓を巡拝した」。また「通常にいう清明祭は主としてトーシー墓を対象におこなう」[沖縄タイムス:1983:559]とある。
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 ちなみにウチの墓はモアイ墓で、複数のチュチョーデーが使っていて、一堂に会して行うことはないです。むしろチュチューデー内でも各家庭で行き、墓で重箱を食べることもしません。一般に、シーミーなど門中の行事が盛んだといわれる地域なのですが、簡略化されてます。もう一方の地元では、墓にも行かず仏壇に供えるだけで、たまにゴールデンウィークにやることもあります。したがって、自分は一般に言われるようなシーミーに参加したことがないないので、実は行事の詳しい内容がよくわからなかったりします。旧盆とかもそうですが、自分トコ以外の行事は案外知らないもんです。

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