多良間の概要

多良間村概況

 宮古郡多良間村は、宮古島と石垣島とのほぼ中間点に位置し、平坦な地形で、多良間島(19.39km2)・水納島(2.153)の2島からなる。産業はサトウキビを中心とした農業、漁業、工業、商業からなっている。近年では肉用牛の飼育やヤギ汁の製品販売も行われている。お土産としても代表的なお菓子「ぱなぱんぴん」「うーやきがーす」の他に、基幹作物であるサトウキビを使った特産品作りも試みられている。

 

多良間の八月踊り概要

 この通称「八月踊り」は、「八月御願」とも呼ばれたらしく、『多良間村史』によると古くは「皆納祝」といわれ、豊年祭として一年の豊穣を祝うとともに、来年の豊作を祈願する。戦時中などは「踊り」は中止されても「御願」だけは行われていたという。起源は定かではないが、1637年に宮古・八重山に実施された人頭税制度下において、納税を祝ったものであるといわれる。演じられる組踊や女踊り・若衆踊りといった芸能は、時期は定かでないが、沖縄本島から伝播したものであり、島に残る組踊の台本の筆者年月日から、多良間島での組踊の上演は明治20年代からだと考えられている。

 毎年旧暦の87日に予行練習である「スクン」を行い、8日は字仲筋による「正日」で、9日は字塩川の「正日」で、双方の字の住民を招いて仲筋は「土原ウガン」、塩川は「ピトマタウガン」の舞台で芸能が演じられる。舞台芸能前の早朝に、仲筋は土原ウガンの後、運城御嶽・泊御嶽・多良間神社で、塩川は塩川御嶽・嶺間御嶽・普天間御嶽で祈願をする。仲筋は10日の「ワカレ」の日では各字の舞台で再演される。

 

 多良間島の2大年中行事ともいえる「スツウプナカ」と「八月踊り(ウガン)」はそれぞれ、「座」と呼ばれる組織により分業して実際に運営される。開催に関する話し合いは、各御嶽の代表者である二才頭によって行われ、ウガンの際などには「ツカサ」や二才頭が祭祀をとり行う。
 私が確認できた限りで、八月踊りに関する座は以下の通り。文献資料によっては仲筋と塩川で多少違いがあり、字長の下に「老人座」をおいている場合もある。

 

→多良間の八月踊りを観に行く