宜野湾の綱引き
沖縄本島中頭郡宜野湾市では大山と真志喜の両字でウマチー綱が行われている。旧暦6月15日のウマチーを過ぎて一番近い日曜日に行われるこの行事は、今年2004年は8月1日(日)にあたった。
昼に両字の綱打ちを見た後、夕方最初に大山を見てから真志喜に移動したため、真志喜の綱引き前の道ズネー等は把握しきれませんでした。なにぶん、両字のを少しだけ見させて頂いだけなので、情報不足な部分もありますが、ご容赦ください。
宜野湾の綱引き
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戦前まで宜野湾では多くの字で主に旧暦の6月15日のウマチー、中には25日のカシチーに綱引きが行われていた。戦後米軍基地に接収されて村落が移動したなどの理由から、現在まで続けられているのは大山と真志喜だけである。 | |
大山 | |
大山の綱引きは戦後復活して今年で42回目をむかえた。 集落はメーンダカリ(現在の1班から6班)とクシンダカリ(7班から12班)にわかれている。 メーが雄綱で旗頭の文字は「和気満堂」、クシは雌綱で旗頭の文字は「協力一致」。 | |
綱打ち | |
綱は毎年作られる。前の週から大山公民で綱打ちが始まる。 綱は金武町屋嘉から購入した藁で8本ヨリで直径50センチ程度、長さ35m。 かつてはメーが雄綱をムラヤで、クシが雌綱を平松の下でなっていたらしい。長さも45mあったが、現在は大山小学校のグラウンドで引くため、広さの関係上から短くされた。 | |
ウガン | |
午前中、区長らによって行われた。 ミスクヤマ→火ヌカン→イーグシク→チナヌカミ→メンダカリヒーガ→普天間宮 一年の五穀と安全を願う。神酒は作っていない。 | |
道ジュネー 旗頭をあげる → | |
綱引き 17:00 両綱がグラウンド脇に到着し、待機。 17:30 旗頭 両字の青年が綱の前で、旗頭を片手で頭上まで持ち 上げ支えて競う 18:00 アギエー 両綱を六尺棒で高く持ち上げ、頭を競り合わせて相 手を倒れさせるまで押し合う。今年はクシンダカ リが勝った。 綱引き メーンダカリがカヌチ棒を入れ、区長の合図と共に引 き合う。1回勝負で今年はメーンダカリ が勝った。 以前は綱引き終了後に綱の一部を海へ流したらしいが、現在は行われてないようだ。 | |
相撲 | |
現在では綱引き後、グラウンドの隅に砂を敷いて上で子供達による相撲大会が行われる。 今年は綱引き後、歌手を呼んで歌ってもらうことになっていたが、雨が降り出したために中断された。その後の経過は、私が真志喜に移動してしまったために不明。 | |
補足 昔は夜綱で午前3時4時までかかったという。 大山には綱引き歌が伝えられているが、高齢の人でなければ歌えないという。カセットテープに録音してある歌を公民館で流しているだけで、現在は歌われてはいない。 対抗意識が強かった頃は、綱引きが間近になると、お互いで相手が負けるようにという意味を込めた歌を道で大声で歌ったり、拝所で祈ったりしたという。綱引き中、集落の成員以外の人が引いているのが見つかると、松明の火をつけたという。 また、引く場所の高低差のためか、昔はクシが必ずアギエーで勝利していたという。 | |
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真志喜 | |
メーが雄綱、クシが雌綱を担当しているが、最近ではメー、クシ関係なく参加しているという。 旗頭には笹がつけられ、メーが片刃の矛で文字は「躍進」、クシが三つ又の矛で文字は「豊年」。 | |
綱打ち | |
前の週から児童公園で綱打ちが行われる。 毎年、一方の綱を新しく作り、もう一方は去年からの綱を利用している。 | |
ウガン | |
朝8時前に行った。 (森川公園内) ウンサクムイ→ウタキ | |
綱引き コンベンション通りで婦人会の踊りや子供のエイサーのメーモーイが行われる。 アギエー(右写真)が2回勝負で行われる。今年は引き分けた。 綱も2回引くが、2回目は引き手が雌雄入れ替わって引いた。こちらも引き分けた。 |