ひとり言企画 A「民俗芸能大会」

久しぶりにやります。
全文読み飛ばし可です。

第48回「九州地区民俗芸能大会」が沖縄県うるま市で平成18年10月29日に開催されました。
この大会は昭和34年の福岡県ではじまったもので、全国を5地区にわけ、ブロック内の各県が毎年持ち回りで開催されてきました。その前身は昭和25年に文部省主催の「全国民俗芸能大会」が東京で行われたことに始まり、同年に文化財保護法が施行されたことにも無関係ではないでしょう。沖縄県は本土復帰後昭和49年の第16回長崎大会からの参加で、沖縄での開催は平成10年の平良市以来になります。沖縄県からは「田場ティンベー・獅子舞」と「泡瀬の京太郎」が出演しました。

 大会の趣旨としては、普段は観られないような他地域の民俗芸能が一同に会し、鑑賞して民俗芸能への関心を高めたり理解を深めたりして、今後の保存と振興に寄与することを目指す・・・的なことらしいです。
 せっかくなので、一応観に行ってみました。

 芸能とはいえ、舞台向きのものとそうでないものってあります。神社の例大祭で踊られる演目などは、基本的に屋外なわけです。本大会では多くの演目で太鼓や鉦を使っていましたが、特に鉦の音がホールの反響して耳が痛かったです。会場にいた知人も「本来は外で見るもんだから、中でやるもんじゃないね」ともらしてました。私は現場第一主義な立場で民俗芸能大会を否定するつもりはないですが、現地で演じるものとは別物だという前提をもとにして観客は観ているわけです。現地で観ることに比べ、ライトに照らされた舞台を薄暗い観客席から長時間観るのは、正直なところ物足りなく感じました。だからこそ、舞台化するにあたっては、現地と全く同じに上演することは不可能にしても、その雰囲気に近づける演出もあるかもしれないし、同じ動作は省略するなど観客を飽きさせないような演出が必要が生じるのでしょう。大会で民俗芸能が上演されることで、演じる側も見る側にとっても新しい意味づけや効果は今日的なテーマとして重要です。しかしそう考えていても、現場第一主義なものの見方から抜け出せない自分がいることに気がつきます。

 民俗芸能大会は、それぞれの地域で年中行事のような決まった時期や場所、目的があって演じられていたものとは無関係に、舞台化のために演出が少なからず加えられています。したがって、こうした複数の民俗芸能を集めてホール会場などで上演するタイプの大会に対して、民俗芸能研究者は「本物」の民俗芸能とは別物と捉えて軽視していた観がありますが、笹原亮二が言うように、民俗芸能を巡る今日的な状況を考えるんであれば、このような大会形式の民俗芸能も、現地での上演と同じように調査研究の対象として捉えた議論は興味深かったです。1990年前後には民俗芸能の現状についての議論が盛んになった時期があったのですが、バブル崩壊後の不景気で全国各地の民俗芸能大会が下火になったのか、現状把握と問題点のあぶり出しも途中のままな気がします。(私の勉強不足だとも思いますが)
  しかし、私にはこの議論を深める技量を持ち合わせていません。現地での文脈とは離れてしまった民俗芸能の意味や、今後の民俗芸能の保存・伝承のあり方などに答えはあるのでしょうか。ただ、民俗芸能の大会化や舞台化だけでなく、民俗芸能と行政との関係に感じる何か引っかかりみたいなものは面白いと思います。

 話は戻りますが、私は今回の九州地区民俗芸能大会を観て、本当はいろいろ考えないといけないんでしょうけど、意気込みも脳ミソもないので、「泡瀬はどこでも出てくるよなぁ」とか「沖縄にいては滅多に観れないような(よく知らないけど)九州の芸能が観れてお得かなぁ」ってぐらいの感想しか出てきません。ダメな人です。
 それにしても残念だったのは、観客があまりにもいなかったこと。関係者と私の様な変わり者を入れても、出演者よりも少なかったのでは?ってぐらいにガラガラでした。文部省の調査官みたいな人とか県教育長も挨拶したイベントなのに、数日前にあった文部省主催のシンポジウムに広報も動員も割かれてしまったのでしょうか。私なんかが言うことではないですが、九州からわざわざ来ていただいた演者の皆さんは勿論、保存会に対しても、主催者である沖縄県としては申し訳なかったと思います。