首里十二ヶ所巡り(十二支の寺回り)

思い返せば私が首里に住んでいた子供の頃、祖母に連れられて寺を回った記憶があります。
今も、首里の寺にはビンシーや果物を持って拝んでいる光景が見られます。
どうやら仏教とはあまり関係ないっぽい、そんな混沌とした雰囲気をかもし出す「十二ヶ所巡り」。
今までこの系統には手を出せませんでしたが、とうとう特集してみました。


概要


 「十二ヶ所巡り」とか「寺回り(テラマーイ)」などとも呼ばれる。十二支に対応したウカチミ(守り本尊)に基づいて、それぞれの仏像を祀っている寺を、生まれ年の守護仏として個人的に拝む。「十二ヶ所」といっても寺が12カ所あるわけではなく、複数の干支をもつウカチミが首里の5つの寺で祀られている。12というのは十二支からきているようだ。全てを回る人もいるが、自身のあるいは家族の干支の分だけ拝む。18世紀の資料から、この習俗がその当時には首里・那覇であったことがわかる。
 期日に定めはないが、旧暦12月は「シワスウガン」といって通常期よりも参拝者が多い。

 寺はいずれも臨済宗妙心寺派の寺院。那覇市内の伝統的な寺は首里は臨済宗、那覇は真言宗であるという。
1609年の薩摩の侵攻後、宗教統制が行われた結果だそう。ちなみに王家の菩提寺であった円覚寺は琉球臨済宗の総本山だった。
 

そもそも守り本尊(まもりほんぞん)とは 一覧対応表は以下の表のとおり。
 各人の生まれ年(十二支)によって守護してくれる仏さまが定まっているという信仰を「守り本尊」という。 生まれ年の干支によって、それぞれの守り本尊が割り当てられている。
 十二ヶ所巡りの守り本尊もこれと同じである。
  起源や発生などは不明だが、昭和の新時代に民間に流行しだしたこの俗信は、「私の守り本尊は○○菩薩」「私は○○如来」といったように日常の会話でも交わされたり、合わせ仏のような小さな仏像をお守りとして所持する人があったり、昭和52年には「三河十二支霊場」、その翌年には「武州寄居(ぶしゅうよりい)十二支守り本尊霊場」と「さぬき十二支霊場」が創設されるなど、今ではすっかり民間信仰として定着しているようです。
  丑寅年・辰巳年・未申年・戊亥年の守り本尊がダブって八尊となっているのは、中国で誕生した十二支が方位も示しており、守り本尊がその方位に基づいていることを表しています。(なお成亥年に八幡大菩薩を充てる説もるらしい)
十二支 守り本尊
千手観音
虚空蔵菩薩
虚空蔵菩薩
文殊菩薩
普賢菩薩
普賢菩薩
勢至菩薩
大日如来
大日如来
不動明王
阿弥陀如来
阿弥陀如来




巡検

とりあえず、まわってみなければ。

1月某日 決行。
首里といっても歩き回るのもイヤなので、何も知らない友達を「ドライブ」に誘って道連れにすることにした。

@ 首里観音堂 千手観音
  (慈眼院) 虚空蔵菩薩 丑・寅
    勢至菩薩
    普賢菩薩 辰・巳
以下訂正です(2005/4/8)。現在、普賢菩薩(辰、巳)は13年前万松院より首里観音堂に、文殊菩薩(卯)は、だるま寺にうつされたそうです。
首里観音堂の方から直々にご指摘を受けました。大変申し訳ございませんでした!(恥ずッ!!)

住所:那覇市首里山川町   大道バス亭より山下向け、最初の信号を斜め右へ坂を上りすぐ左手。 
仏像もたくさんあって豪華豪華。お客さんも多かった。

慈眼院と観音堂は本来別で、『琉球国由来記』などによると、1617年、琉球王朝の後の尚豊王が薩摩へ出向いたとき、父の尚久王が旅路の安全を祈願。そしてその祈願が叶った事に感謝し、翌年の1618年に観音堂を万歳嶺の中腹に、慈眼院を万歳嶺の南に創建された。沖縄戦で消失し、1952年に再建。「上り口説」に「旅の出立観音堂、千手観音伏拝で」と謡われており、旅の安全を祈願する拝所として有名。

 

A 万松院 (文殊菩薩
    (普賢菩薩 辰・巳
         
場所 : 那覇市首里当蔵町  首里龍潭通り バス停「万松院入口」から路地へ入る。
 ここは基本的に住職の方針で、テラマーイをはじめとする沖縄の民安信仰と仏教のお教えとは相容れないという理由から、ビンシーを持ち込んでのウガンをさせていない。普通に(?)参拝する分には自由だという。

  それでも、やはり参拝に来る人には卯・辰・巳年の生まれの人が多いらしく、お守りもこの3種類が特に多く並べられていた。
   

  

B だるま寺(西来院) 阿弥陀如来 戌・亥  
    文殊菩薩  
場所 : 那覇市首里赤田町 農協首里支店向かい側の路地から入る。 
1611年現在の首里儀保に創建。文献によって、現在地に移動したのは1873年以前とも明治中頃ともある。沖縄戦で消失したが、戦後すぐに再建された。

 自分も高校受験の際に神頼みに来たダルマ寺。
 受験の時期が近いだけあり、合格時願らしき若者が多数見られた。


 門には阿吽の仁王像。境内には弁天と稲荷神社、子宝・安産祈願の漢音と水子の地蔵が並ぶ。

 昔来た時より随分リフォームされてます。やたらと坊さんをたくさん見かけました。

 

C 安国寺 不動明王  
         
場所 : 那覇市首里寒川町 観音堂を過ぎた右手。首里高校の裏。 
1450〜56年頃に尚泰久王が父王の冥福と国家安泰のために創建された。全国に安国寺が置かれた時期があったことに関係するらしい。1674年に現在地に移転し、不動明王がおかれたらしい。


ここは本堂。至ってシンプルな内装。 でも、真新しい門は琉球石灰岩で、凄く豪華になってます。

告別式してました。

 

D 盛光寺 大日如来菩薩 未・申  
         
場所 : 儀保交差点より鳥堀向け50m程進んで「金城ベーカリー」手前の路地を左折。
創建年代、場所は不明だが、明治後期ごろに現在の儀保に移動し、それ以前は久米村にあったらしい。


以前は平屋だったのに、久々に行ったら寺の建物はえらく立派になってた。昔の、どっから見ても寺に見えない外観が好きだったのに。 掲示板にはテラマーイ用と思われる地図、お守り売り場には対応表が張られていて親切・・・。

「のーまんじゅう」を売っていることで有名な寺だったのに、のーまんじゅうを作ってた店がなくなって駐車場に!

番外
  新しく、波の上の護国寺では十二支の全部のウカチミを祀ってあるらしく、 一度に網羅できてスピーディ。
  今回は行かない。っていうか行きたくない。
 

拝む

 中高年層が目立つが、子供連れや夫婦など、男女問わず、ビンシーと果物を乗せた盆を机や畳において、拝んでいた。
 期日は定まっていないが、大体旧暦の12月に行うことから、その年の締めくくりとして、また来年に向けて、個人の家内安全や健康などを祈願しているようだ。

使った酒と米を捨てるために設置されている寺もあります。左から、さいせん箱、酒、米入れです。こうした容器を設けている寺もいくつかありますが・・・賽銭はいいが、あとは持って帰らないのか。
 
「本堂には重箱は持ち込まないでください」

 十二ヶ所巡りだけでなく、こうした沖縄の民間信仰による行為は、全ての寺で歓迎されてるとは必ずしも言い難い。十二ヶ所巡り目的の人のために情報を提供している所や黙認している所もあるが、やはり宗派の関係上、相容れ難い立場らしい。実際、重箱や果物などの供物などを本堂内で広げたり、拝んだ後に捨てる米や酒、塩などの始末にも迷惑するのだろうな。
 

 

お買い物

 どの寺でもや各種お守り等々が販売されていて、ついお土産気分でのぞきたくなります。
 中でも観音寺とダルマ寺の品揃えが豊富。やはりそれぞれの干支の関連商品が多く並べられているのがどの寺にも共通している。
 ノーマル版おみくじだけでなく、守り本尊対応のものや「花」「七福神」「恋」などのテーマに沿ったおみくじなどが大体100円程度で数種類ある。
  ちなみに自分は毘沙門天のお守りが入った小吉の籤を引きました。恋人運は「危ない人」だそうです。
 
 家内安全や健康祈願等々の定番お守りの他、フー札、干支のストラップ等等、どこで製造しているのかが気になる商品がいっぱい。
 
 

感想

 長年気になっていた十二ヶ所巡りだったが、一度に回れたことがとりあえずよかったと思う。別に目新しいことはないが、確認といったところだろうか。まじめに参拝する様子もなく寺内をウロウロするのは、人目もあえるし気が引けた。
 一緒に行ってくれた友達は、寺回りなんてものも知らないし、自分が寺の写真を撮ったり調べることが理解できないようだった(むしろ引かれたか・・・?)。こんな興味のないことに付き合わせてしまい、本当に申し訳ない事をしたと猛反省。山城饅頭を奢って差し上げねば!
 やはり、こんなこと(?)に興味があると、おかしな人として見られることも想像できないではない。うまく説明できないけど、説明しようとすればするほどドツボにはまるのでヤメヤメ。今回の巡検の結論として、誤解されるような万人受けしそうにない趣味趣向は、ひた隠しにしていこうと決意。そんな年明けです。
 


  
参考 沖縄タイムス社1983『沖縄大百科事典』
  沖縄の習俗研究会1986『門中拝所巡りの手引き』月刊沖縄社
  比嘉朝進1988『拝所回り200選』風土記社

 


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