金七郎に関する古文書、参考資料
『長篠日記』には、鈴木金七郎が鳥居強右衛門と共に長篠城を脱出して岡崎への使者となったとの記載がある。しかし『四戦紀聞』『武徳大成紀』では、強右衛門に続き代二の使者として金七郎が記されている。また奥平家の系図や『三河物語』その他の古文書では、金七郎の記述を見つけることが出来ません。いずれにしても金七郎の記録は、使者の役目を果たし岡崎から帰路に着くまでの古文書しか無いようです。(信昌の四男、松平忠明が作手亀山城主となったとき天正の旧功(援軍要請)に対し200石を賜ったことを除く)
『長篠日記』(佐藤本の表紙)
佐藤本の一節1
佐藤本の一節2
『林本の一節』
長篠軍記の一節1
長篠軍記の一節2
鈴木家の子孫が書いた資料
新城歌舞伎で上演された台本