羽子板・破魔弓の由来


羽子板の由来
”コギ”または”コキ”とは古代の中国で”トンボ”のことを表す言葉でした。
羽根突きの羽の飛ぶ様が”トンボ”に似ていることから、
それを突いて遊ぶ板の羽子板は胡鬼板(こぎいた:こきいた)とも呼ばれました。
昔から、蚊が病気を介入することを認識していた人々は、
トンボが蚊を食べることから子供が蚊に刺されないという魔よけのまじないとして、
正月に羽根突きを行っていました。
室町時代の看聞日記という書物に永享4年(1432年)正月御所に於いて公喞、
女官のかたがたが、紅白に分かれて、羽根突きに興せられたと記録があります。
また、羽根突き遊びは”つくばね”という落葉樹の実を手で突いて遊んだのが始まりと言われています。
”つくばね”の実には4枚の大きな苞があり、羽根つきの羽根はこれを模しています。
”つくばね”は、”はごのこ・こぎのき”などとも呼ばれています。
羽子(はご)は羽子板の子という意味で、
”胡鬼(こぎ)の子””羽子(はご)の子”などと呼ばれることが一般的でしたが、
材料そのものの「つくばね」と呼ばれることもありました。
羽根の玉には”むくろじゅ”という落葉高木の種が用いられています。
黒くて堅い”むくろじゅ”の種は板にあたり澄みきったきれいな音が出るからです。
”むくろじ”は、”無患子”と書き”子供が患わ無い”という縁起の意味が強く含まれています。
江戸時代には、浮世絵・歌舞伎の発達にあわせ、歌舞伎役者の舞台姿や似顔絵が描かれるようになり、
今で言う人気役者のプロマイドのような役目も果たし、女子の間で大変人気のあるものとなりました。
また縁起物として商いの景気を跳ね(羽根)上げると言う意味で、
商売繁盛のお札代わりにも贈られるようになりました。
女児の初正月に、厄を跳ね除け、羽子板に仕立てた美人画の押絵のように美しく、
無事に育って欲しいとの願いを込めて飾るようになりました。


破魔弓の由来
昔、農耕が生活のすべてで、実りが生に直結していたころ、
人々が年の初めにその年の豊作を占い、勝負をあらそった競技に由来するといわれています。
また、弓には武勇を表し、邪気を退散させるという意味がありました。
そのような意味から神社などにかなり古くから色々な神事に使われていました。
宮中では皇子が誕生したときに魔除けとして鳴弦の儀式を行いました。
これを儀式射礼または大射といい、孝徳天皇の大化3年(647年)から行われ、
これに用いる的として藁縄で丸い的を作り、これを「はま」といいました。
後に「破魔」の字が当てられ、魔障を破り払うという意味で男児の正月の縁起の祝い物となりなりました。
これらの神事が庶民の間に広まり、現在のような装飾品として飾られるようになったのは、
鎌倉時代ころといわれています。
男児の初正月に、邪気を退散させ、勇ましく、健やかに育てとの願いを込めて飾るようになりました。