![]() 昭和43年(1968)7月、親しい友と旅行から帰った翌日、驚くほどの血尿から私の病気が始まった。以来5年以上に及ぶ療養生活、その間、死の堺を彷徨った時もあったが、今ここに健康で生活できる幸せを心から感謝している。 |
■ 発 病![]() ベビーブームに生まれた私は、大学受験のために自分なりに精一杯勉学に励み、夜中の1時2時ごろにお腹が空くと夜食を食べ、しかも野菜嫌いの偏食で大食漢、そして塩辛い物好きな私の身体は、徐々に病人に近づいていったようだった。 大学は合格したものの、その頃の大学は、学園紛争の真っ最中、授業どころではありません。そんな大学に嫌気をさし、大学に行ったつもりで四年間自分に合う道を探そうといろんな仕事を経験をし、最後に病院へ入社。それはまさに私に合った楽しい仕事であった。 ところが、院内の健康診断の結果、タンパク尿を指摘され、すぐに良くなるだろうと安易な気持ちでいたのだが、鼻血は頻繁に出るようになり、ちょっと無理をすると息切れをおぼえ、立っているだけで体が重く、地面に沈み込みそうに感じるようになってきた。 ■ 血尿・タンパク尿・高血圧・入院 ![]() 翌日、早速病院に行き、診察してもらったのですが、トイレで採った尿を透明な容器に入れ、待合室を通って検査室に持っていくのだが、尿とは言い難い尿を運ぶ恥ずかしさは今でも忘れられない。 高タンパク尿、高血尿、最高血圧200mmHg以上、診断は亜急性腎炎、若年性高血圧ということでした。早々に入院し、無塩・低タンパクの食事療法、薬物療法(クロロキン、降圧剤、止血剤の注射など)を開始した。 漢方に切り替えてしばらくして検査した結果、血尿、タンパク尿などの検査数値は半分ぐらいまで減っており、漢方の効果に驚き、治るかもしれないという期待感からか、苦い漢方薬も苦痛でもなくなり、希望が湧いてきた。 しかし、それからは一進一退で、良くもならず、悪くもならない日々が続き、あせりのあまりいろんな治療法を模索するようになった。その中でも自分自身に合わない健康法、治療法とは知らず、無心で実行したため病状がかえって悪化したことも何度となくあり、一番悪かった時期は、体重43kg(発病前65kg)、血尿と毎日の大量の鼻血で体じゅうの血液が無くなりそうな状態となり、死を彷徨いかけたこともあり、死にたくはないけれど、夢も希望もない暗い毎日で死を覚悟した時もあった。 ”弱り目にたたり目”ではないけれど、私の身体は発病してから徐々に蝕まれ、血圧異常が長期間続いたため、心臓は肥大し、息切れがひどくなり、また、悪性の結膜炎、アレルギー性鼻炎、胃弱、肝臓障害、抜け毛、悪性の湿疹、水虫も悪化し、しかも重度の貧血のため、自宅のベッドから立ち上がることも出来ず、ただひたすら天井を見つめる毎日に精神的にも参ってしまった。 |
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