昭和43年(1968)7月、親しい友と旅行から帰った翌日、驚くほどの血尿から私の病気が始まった。以来5年以上に及ぶ療養生活、その間、死の堺を彷徨った時もあったが、今ここに健康で生活できる幸せを心から感謝している。


   発 病

私は、小さいころから体が弱く、二歳頃に急性腎炎、四歳頃は寄生虫のためガリガリに痩せ、だるく、いつもコタツで肘立てをしてじっと座っていた。それ以来、鼻血は出やすく、吹き出物、湿疹では悩まされ、高校の頃も顔色は蒼白く、すぐ風邪をひき、頻繁に学校を休んで寝込んでいた。

ベビーブームに生まれた私は、大学受験のために自分なりに精一杯勉学に励み、夜中の1時2時ごろにお腹が空くと夜食を食べ、しかも野菜嫌いの偏食で大食漢、そして塩辛い物好きな私の身体は、徐々に病人に近づいていったようだった。

大学は合格したものの、その頃の大学は、学園紛争の真っ最中、授業どころではありません。そんな大学に嫌気をさし、大学に行ったつもりで四年間自分に合う道を探そうといろんな仕事を経験をし、最後に病院へ入社。それはまさに私に合った楽しい仕事であった。

ところが、院内の健康診断の結果、タンパク尿を指摘され、すぐに良くなるだろうと安易な気持ちでいたのだが、鼻血は頻繁に出るようになり、ちょっと無理をすると息切れをおぼえ、立っているだけで体が重く、地面に沈み込みそうに感じるようになってきた。


 ■ 血尿・タンパク尿・高血圧・入院

体調がすぐれない7月のある日、友人たちと静岡に1泊の旅行に行ったのだが、電車の中で体が熱っぽくなり、だるく、大食漢の私が、その日は食欲が全くありません。苦痛な2日間が過ぎ、家に帰ってトイレに行ったところ、びっくりするような真っ赤なおしっこに唖然としてしまった。 

翌日、早速病院に行き、診察してもらったのですが、トイレで採った尿を透明な容器に入れ、待合室を通って検査室に持っていくのだが、尿とは言い難い尿を運ぶ恥ずかしさは今でも忘れられない。

高タンパク尿、高血尿、最高血圧200mmHg以上、診断は亜急性腎炎、若年性高血圧ということでした。早々に入院し、無塩・低タンパクの食事療法、薬物療法(クロロキン、降圧剤、止血剤の注射など)を開始した。

私自身病気というものは、病院へ入院して治療すれば必ず治るものだと信じていたが、一向に良くならず歯がゆい思いをし、しかも皆からは不名誉にも当時『青トウモロコシ』のあだ名まで頂戴し、不安とあせりを覚え始めた。
 

病室では、交通事故、ケガなどで瀕死の重症で入院する患者さんも、1、2ヶ月も過ぎるとすこぶる元気になり、次々と退院する姿を横目に、一向に良くならない内科患者は、羨ましい気持ちで、徐々に医療に不信、不安を覚えるようになっていた。

そんなある日、『腎臓病の治し方』という一冊の本を手にした。

その中には、病理、解剖的な説明は詳細にあったものの、納得できるような原因・治療法についてははっきり説明されておらず、また、予後の欄には、「腎臓病で6ヶ月を経過すると萎縮腎になり、腎臓が石のように硬く小さくなり、腎不全をおこし、死にいたることもある。良くなっても一生激しい仕事、スポーツは出来ない」といった病人からすれば夢も希望もない文章に愕然としてしまった。

そして、院長から「君の病気は不治の病で、タンパク尿はともかく、血尿の結果が良くなってこない。もし良かったら退院して、私が漢方薬を処方してあげるから自宅で療養したらどうかね」と言われ、この一言はあまりにもショックで、一生忘れることのできない言葉となり、また、漢方に興味を起こしたきっかけともなった。


■ あきらめ退院・漢方開始

入院して6ヶ月余り、あきらめて退院することにし、自宅で漢方薬を中心に療養することにしたのだが、薬を飲み、いわゆる現代医学的に栄養・滋養のあるものを食べていれば病気は良くなるだろうと、カステラ、ヤクルト、牛乳、チーズ、果物の缶詰など、食事内容については、塩分、タンパク質量の制限を除けば、何でも構わず摂っていた。

漢方に切り替えてしばらくして検査した結果、血尿、タンパク尿などの検査数値は半分ぐらいまで減っており、漢方の効果に驚き、治るかもしれないという期待感からか、苦い漢方薬も苦痛でもなくなり、希望が湧いてきた。

しかし、それからは一進一退で、良くもならず、悪くもならない日々が続き、あせりのあまりいろんな治療法を模索するようになった。その中でも自分自身に合わない健康法、治療法とは知らず、無心で実行したため病状がかえって悪化したことも何度となくあり、一番悪かった時期は、体重43kg(発病前65kg)、血尿と毎日の大量の鼻血で体じゅうの血液が無くなりそうな状態となり、死を彷徨いかけたこともあり、死にたくはないけれど、夢も希望もない暗い毎日で死を覚悟した時もあった。

”弱り目にたたり目”ではないけれど、私の身体は発病してから徐々に蝕まれ、血圧異常が長期間続いたため、心臓は肥大し、息切れがひどくなり、また、悪性の結膜炎、アレルギー性鼻炎、胃弱、肝臓障害、抜け毛、悪性の湿疹、水虫も悪化し、しかも重度の貧血のため、自宅のベッドから立ち上がることも出来ず、ただひたすら天井を見つめる毎日に精神的にも参ってしまった。

そんな時、往診にきた医師は血圧を測り、無言で帰ってしまったが、そのときなぜ元気づけるような言葉を言ってくれなかったのか? ”病は気から”というがやる気を起こさせる励ましの一言はどんな素晴らしい良薬よりも効果があったろうに・・・と痛感した。

その時から、医者(現代医療)にかかるのを止め、自分自身を実験台として他の医療を試してみようと決心した。

■ 病気治しの秘訣

因縁因果」と言う言葉がありますが、いろんな経験をして分かったことは、病気という結果があるかぎり、そこには必ず原因があリます。それを病理解剖的に追求するのではなく、本人の生活習慣や環境などに目を向けると原因が見えてきます。

病気に振り回されず、病人の生きる力(自然治癒力・免疫力)を高めてあげること。そのために、血液をサラサラにして、全身隈なく血液が流れようにしてあげれば、組織細胞が活性化し、健康度は高まり、病は自然に治っていきます。

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