弓の歴史と楠見弓の経歴


 弓は太古にあっては、自然木の丸木弓が用いられたが、平安朝の頃、伏竹の弓が案出された。さらに、室町時代には伏竹弓に内竹を添えた三枚竹の弓が現れ鎌倉時代の末期には四方竹の弓を作る者が出てきた。而して徳川時代となり、その構造も著しく巧妙となり、内竹の間に竹木片の籤を入れて作られ、或は竹籤を入れて作られた。亦は籤をこがして弾性を加え、側木を添えるなど漸次改良を加えられて今日使用されている更に現代の弓が完成されるに至った。

弓の○古は狩猟や戦場で用いられたので雨露時や、寒暑に堪える様専ら塗弓を用いられた。尚今日的弓として用いられる白木弓は近来に至って発達したのである。其の籤を合せ、側木や内竹外竹を作るには鰾を用いる。鰾は寒暑、湿気により硬軟となるので夏期や梅雨期には破損を慮り白木弓を使用せず塗弓を用いるのが安全である。而して九州(薩摩弓)に於て製作する弓は特種な製法によって作られた鰾を使用するので四季を通じて使用することが出来る。しかし、以上のようであれば弓は常に湿気を○り○いを防ぐ為、常に布片をを以て叮嚀に拭くことを怠ってはならない。それは弓道家としての嗜みであり、大切な心掛であるという事を学び聞き伝えております。

 

楠見弓の経歴

楠見家は弓師として島津藩に抱えられ、都城と鹿児島に弓師として2軒残りました。
昔も時代の流れには勝てず、戦場用として外国より火縄銃等が入ったため、弓の使用が段々少なくなり、弓をあまり使用しなくなりました。それで各地に存在する弓師や矢師は弓及び矢を製作する必要が自然少なくなり、商売を目的とした商人としての弓師は自然に消滅せざるを得なかったのですが、島津藩では弓師は武士として抱えられ、その為島津藩の尊い○顧のお蔭を以て専門的な弓師として今日まで持続できたのであります。
亦島津藩は弓師の扱いを武士として待遇し特権を与えられた為、弓の製作に専念することが出来、今日美術的実用的なスポーツに適応する弓ができる様になりました。弓師として楠見家が今日まで存続するのは弓師となる前は島津候の弓師範であったため、後日弓師として名誉ある師範の名を汚さぬ様弓の製作に改良と研究を重ねたからです。