『皇太子妃の問題』
                                                  
(2004.8.7)

目      次
 まえがき
1.  皇太子妃の常識
2.  宮内庁の役人
3.  皇太子の言動
4.  皇太子妃の無教養
5.  最大の責任は――皇太子妃の父親・小和田 恒 氏
6.  皇太子妃の将来

まえがき
  私は丁度この問題がマス・メデイアに登場する少し前(4月)、本ホーム・ページ『天皇・戦争・憲法』の『第一章 天皇』において、こういったことにつき、既に基本的には論じてあるので、重複する個所も少しあるが、「皇太子妃」の置かれた立場という視点に絞って、要点を述べることにしたい。
  この件は、「面白い」「可哀想」「興味ある話」などという段階ではなく、日本にとっては、大きな変化の徴候となるかも知れないと思われる。


1.  皇太子妃の常識
 皇室というものは――もともと、それが立派な事なのか、他愛もない事なのか(少なくとも現代では)、そして、その内容の真否も不確かだが――本来、“その家”、“その血”を、次代に伝えていくというのが、彼らの最大の仕事であり、使命であるというのは、古来の常識ともいうべきものであろう。 
 そのために、どこの王朝でも正規の妻・皇后の他に、多くの若い女性を回りに侍(はべ)らせて、何十人もの子供を生ませるのはごく普通のことであり、それが王朝発展の基礎であると考えられていた。もちろん帝王の遊興も理由の一つであることは言うまでもないが、幼児死亡率が何十%にも達していた時代としては、王統護持のためには必要な手段ではあったろう。唐の玄宗皇帝が「後宮の佳麗三千人」と謡われたのも――これは「白髪参千丈」的オーバーな表現であろうが、満更嘘ではないかも知れない。
 日本の天皇制も王朝なのだから例外ではありえない。昭和天皇までの124代の天皇のうち(歴史学上では、その存在自体を否定されている天皇も2〜30人はいるようだが)、お妾(めかけ)の数が20人を超える天皇が6人、最も多い天皇は、平安時代初期の第52代・嵯峨天皇の28人で、子供は50人に及んでいる。この数は、皇后、中宮、妃 以下、夫人、嬪(ひん)、典司、女御(にょご),更衣などの資格を与えられている者だけらしく、いわゆる“お手つき”を含めればもっと多くなるのであろう。天皇の生母には「不祥」「格無し」とか、「生母の出身」欄に「父不詳」「未詳」といった者が数名いるのも、その具体例と想像される。
 近代では、明治天皇には5人の侍妾がいたとされているようだが、戦前には、どこまで真実かは知らないけれど、小学生の間でも「明治天皇は16妃(きさき)」などと、得意げにしゃべる、ませた子供もいたもので、いずれにしても大正天皇は皇后の子供ではなく、いわば庶子である。 そして大正天皇以降、日本の近代化に伴い、公然たるお妾(めかけ)制度は廃止され、特に第二次大戦の敗戦後、アメリカ占領軍により、日本の民主化の一環として、皇族の数が大幅に削減させられて以後は、皇后、皇太子妃の重荷は著しく加重されたわけである。
 美智子皇后が、皇太子との結婚を躊躇したという雅子妃を説得するに際し、「皇室外交がどうの、こうの」などと語ったというが、美智子皇后が「出産」のことに触れなかったとしたら、独身の女性に対する配慮とも考えられるし、「当然過ぎる前提・常識」を省略しただけのことであり、または結婚を誘うときの常道である美辞麗句をならべた、という、これも世間一般にみられることで、格別珍しい話ではあるまい。


2.  宮内庁の役人
  私は基本的には、日本の役人は無能で非良心的だと考えているのだが、今回の事件に関して――細かい点は知らないから発言の資格はないが――総じて言えば、宮内庁の職員の姿勢は当然であろうと思われる。
  「皇室外交」などという空疎な(この件に就いては別途論ずる)無駄使いではなく、「出産」という皇太子妃としての基本任務の遂行を第一義的に重視し、これを妨げる恐れのある皇太子妃の外遊を差し控えさせようとしたのは、宮内庁がその職責を忠実に履行しようと努力していたものと認めることができる。いわば遊覧に類する外遊を頻繁に繰り返すことにより、流産したり、死産になったりすることこそ、宮内庁の重大な過失、職務怠慢と言わねばならない。


3.  皇太子の言動
  役人の書いたものを暗記してきて、ロボットのように一言一句をそのまま発言し、又は読み上げる慣習が定着していると思われる日本の皇室において、「外遊回数の不足」「皇太子妃の人格否定」といった不満を口にした皇太子の公言は、宮内庁の官僚にとっては、心外、不服どころか、怒りさえ覚えたであろうし、天皇・皇后にとっても、似たような感情に捉われたであろうと想像されないではない。天皇と皇太子の間が円満を欠いているという憶説も尤もである。
  しかしながら、皇太子は、自分達が何不自由なく悠々として生存し、一般国民とは並外れた贅沢な生活を享受し、2000人を超える役人を専従させ、莫大な経費(皇室費・約70億円、宮内庁費・約110億円,皇宮警察費・約90億円、計・約270億円、平成15年度)を消費している理由も知らないとは、これまた、その無教養を暴露したものと言うよりほかは無い。
  だが生れたときから、何一つ不自由したことは無く、物質的欲求不満という経験は皆無だし、自分の周囲は、すべて恭しく仕える大人ばかりであって、通常の人間が育つ環境――経済的だけでなく、あらゆることに対する不満足に始まり、困難、困窮、競争、挫折、嫉妬、失意、喧嘩口論、暴力、被制裁、(懸命な)努力、冒険、不安、絶望、死への願望等といったことを、全く、少なくとも殆ど経験したことなく育った人間が、また、人間は何のために生きるのか、人はいかにして生きるべきなのか、そもそも自分とは何なのか、といった、人間の本源に関する疑問を自らに課したことの無いものが、常識ある,賢明な、人情味豊かな、人格を形成することは決してありえない(もとより、いかなる原則にも万に一つ,億に一つの例外はあるが)。もしそうでないとしたら、教育学、社会環境論など人間形成に関係するあらゆる学問は否定されなければならないし、「艱難汝を玉にする」「玉磨かざれば光なし」といった、古来の庶民の教育観もすべて破棄しなければならないことになる。
  なお、「皇太子が、人生そのものを問題にするような深刻な思索をしたことは有りえない」と断言的口調で述べたが、これは間違いのない見解だと思う。もしそんな体験をしたなら、皇太子などをやってはおられない筈だ。
  だが、この事態を他方からみれば・・・・皇太子は宮内庁を相手に――と言うよりは、天皇・皇后を含む全皇居という絶対的環境に対して、妻に対する愛情を公然と吐露し、これに反抗した―― 覚悟を決めて挑戦したと言えるかもしれない。明治以前には、もちろんマス・メデイアと言ったものはないし、もともと天皇制の存在自体を知らない庶民が圧倒的であり、皇室内のごたごたなどは、一般国民にとっては、何の関係も関心もなかったであろうことは確実であるから、136年間の明治以降の天皇制としては最初のケースということになる。現在の天皇制は明治に始まったとする歴史観もあるようだが、その見地に立てば、天皇制にとって歴史上初めての出来事と言えよう。
  これをいかにして収拾するかは知りようも無いが、多分、役人得意の――問題を何となく引き伸ばし時を稼いで、その間、皇太子夫妻をなだめすかし、マス・メデイアには報道の“自粛”を要請し、何だかわけのわからんうちに沈静化させてしまおうということであろう。しかし、話はそれほど簡単には終わらず、今後の皇太子妃の男子出産の有無に大きく左右されるにしても、この発言をした皇太子、この問題を起こした皇太子妃は、基本的問題を究明されないまま、低俗な賛否の世論にさらされるだろうことだけは間違いあるまい。


4.  皇太子妃の無教養
  皇太子の発言によれば、同妃は束縛だらけの皇室内の環境に順応すべく、懸命に努力しているが、どうしても適応することが出来ず、それが「うつ病」の原因になっているとのことであるが、可哀相というよりは、これまた皇太子妃の無教養には驚かされる。皇太子妃は欧米諸国の事情に通じているそうだが、もう何百年にわたり、自由と民主主義が根付いている西欧における王室と、日本の王室――終戦間もなく、ごく普通の人間が「私は人間である」と、子供にとってさえ異様な、常識外の、世界の知識人が聞いたら、苦笑と侮蔑の対象でしかない発言を、別に不思議にも思わず、畏まって承り(うけたまわり)、特に問題にもしないし、記憶もしていない“準未開人たる日本人”を彼らと同列に扱い、日本の王朝も同じようなものと錯覚していたのであろう。
  皇太子妃は日本の皇室が“神”でなくなってから、まだ60年しか経っていない事実を充分認識しなければならない。平々凡々たる、いや、先ほど述べたように、何の苦労もせずに成人になったという決定的条件により、恐らく一般水準より低いと想定される――少なくとも,会ったことも、話したことも、その人の講演を聞いたことも、著書を読んだことも無い、要するに全く知らない人に、深々と頭を下げて敬意を表する行為が、如何に奇妙で、全く合理性を欠く無知の表明であるかを認識もできないのが、日本国民のかなりの部分を占めているのである。そこには自由と民主主義の基礎たる「自己に対する尊厳の自覚」は皆無と言わざるを得ない。そして、皇室を批判することは事実上タブーとされており、この点に限れば、戦前の日本、スターリン圧政下のソ連、毛沢東統治下の中国、そして今の北朝鮮と余り変わらない国だ、という見解も成り立つだろう。
  数年前、元首相が、「日本は神の国」などと誇らしげに公言するような国の王室では、普通の常識が通用しないのは当たり前とも言えるのであって、これを歴史的に研究するのは興味ある課題かもしれないが、ある日突然、その家族の一員として生活しなければならないのは、お伽の国と悪魔の国の混ざった所に連れてこられたようなもので、或いは一日中24時間、毎日、舞台の上でお芝居をさせられている芸人のようなものであって、近代的教養、知性を有する人ほど、そして、個性のある、自我の確立している人間にとっては、耐えられないのは当然過ぎる話である。
  日本が近代への第一歩を踏み出した明治時代、キリスト教徒であり社会主義者でもあった木下尚江は、「皇門を開放せよ。然して彼ら(天皇以下皇族)に平民の自由を与えよ」と、堂々と述べている。民主主義国家を自称する今の時代、これだけ勇気のある学者・論客は存在しない。彼はまた当時、華麗なる王朝であったトルコ帝国の皇帝を「錦衣の囚人」と呼んだが、これは「錦(にしき)の衣を着て、多くの女官に囲まれ贅沢三昧にふけつているが、その言動は厳しく制限されており、皇帝は牢獄につながれている囚人のようなものだ」という事実を意味し、この表現はそのまま現代日本の皇室にも当てはまる。近代化する以前の、或いは、民主主義の未熟な国の王朝としては珍しくもない話だが、皇太子妃はこんなことも知らなかったのであろうか。
  日本ではつい3〜40年前、現在の皇后がノイローゼ(なんと呼ぶのか正確には知らないが、現在の用語で言えば、「皇居内の新しい環境に耐えられないような状況に陥り」)、葉山だったかの別邸に一人で転地し、1〜2年間のうちに10年余も経過したように年をとったことも周知の事実ではないのか。
  それでも近年、「開かれた皇室」とか称して、日本の天皇制も少しは改善されてきたようだが、「うつ病」(含ノイローゼ)の程度が、美智子皇后>雅子妃へと、症状が悪化しているのは、年月の経過と共に、日本の女性が自我と個性を強化してきたのを表わしているものと、解釈することも出来る。この次の世代では、宮内庁の期待するような、教養ある女性が皇太子(に限らず、皇族)と結婚する可能性は限りなくゼロに近づくようになるだろう。そういう傾向を阻止しようとするなら、皇室が伝統とかと称し、尤もらしくやっている古代的、中世的色彩を徹底的に一掃して生まれ変わるよりほかは無い。
  しかし、いわゆる“開かれた皇室“――天皇以下皇族が一般国民に近い存在になったなら、その話を畏まって聞いたり、恭しくお辞儀をしたりするものは急速に減少するであろう。無知な国民というものは(それが現在、天皇制を支えている日本国民だが)、何かよく分らぬ、隠されている神秘性に憧れるものであって、ただの人と分った皇族に興味をもつ者はいない。要するに皇室というものは、何をしても――前に進もうと、飽くまで立ち止まろうとしようと――国民の批判を浴びるか、内部に混乱が起こるのは避け難いのであって、まさに明治以来の「神聖なる天皇」という虚構の「国民信仰」の残り火が、日本国民の中に民主主義が根付いていくに連れて、衰退消滅して行く過程、もしくはその徴候そのものである。
  もともと皇太子妃は法学部を卒業したと聞いたと思うが、皇族には日本国憲法第三章に規定された「国民の権利及び義務」は、一切認められていないことを知らなかったのなら、やはり不勉強の謗りを免れまい。外務省では珍しくない例だが、日本に関係する事項、いや、日本語もまともに書けない職員(しかも、いわゆるキヤリア・高級官僚及びその候補)もおり、それは公開された「外交文書」を一見すれば分る。
  それはさておき、この「皇族には一切の自由も権利も認められない」というのは、「憲法」にも「皇室典範」にもそのような規定は見られないが、日本国憲法第一四条には、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により・・・・差別されない」と明記されており、幾多の特権を有する皇族にはこの原則は適用することは出来ない。しかし日本政府としては、天皇・皇族の特権を認めなければ天皇制は存続し得ないから、「皇族は日本国民ではない。従って、国民と平等という原則は適用されない」という解釈により、皇族の特権を守っているのである。日本国民は日本国民ではない人間を、象徴として崇めるという奇妙なことを行なっているわけだ。
  従って皇族には基本的人権というものは存在しないのであって、憲法に列挙されている、「奴隷的拘束及び苦役からの自由」もなければ、「居住、移転、職業選択の自由」もないし、その他考えられる限りの自由――集会・結婚の自由・通信の秘密・言論・出版・学問・信教・思想・教育・・・・・個人の尊重・財産権・住居の不可侵・・・・・といったものに対する権利も一切存在しないのであって、「外遊の回数が少ない」「日常生活が束縛されている」などと言う段階ではない。皇太子妃はこんなことも知らないで皇太子と結婚したのなら、その無教養は甚だしいし、それこそ自己責任であって、文句を言えた筋合いのものではあるまい。もし知っていて結婚したのなら、皇太子妃という安穏且つ豪奢な生活と、国民の上に権威ぶれるタレント並みの満足感を得るために、 明治以来、日本国民が幾多の挫折を経ながらも、その獲得に努力してきた自由を、これら卑俗な楽しみと引き換えに、放棄したことになる。                         
この「自由」は明治以来、歴代の天皇が苛酷な弾圧により抹殺しようとしてきたものであり、その弾圧の意図と基盤は、人類の進歩に逆行し、人間の知性を蹂躙した「国体思想」であって、最終的に皇太子の祖父ヒロヒトの時代に、それは狂的段階にまで達し、「神聖なる天皇が世界を統治する」「神国は不敗」との夢想の下に、世界を相手に戦いに挑み惨敗して、240万の青年の屍を山野にさらし、国土を焦土と化せしめたのである。
だが他方、前近代的天皇制政府の崩壊と、アメリカの占領政策により、日本国民は有史以来、初めて「自由」を享受できるようになったことは、議論の余地の無い事実だ。皇太子妃は、この「数百万の国民の血を以てあがなった(購った)」現代日本における最高の幸いと誇りとも言うべき 「自由」を捨てて、未だに残存している「古き日本の象徴」――現代日本において、自由が最も欠如しているところ(家庭・環境・集団)を、自(みずか)ら選択してお嫁にいったのであるから、彼女には自国の現代史についても、一般教養人の常識も皆無と考えられても止むを得まい。


5.  最大の責任は皇太子妃の父親・小和田 恒氏
  しかしながら、皇太子妃を“無教養”とばかり責めるのは少し酷かもしれない。天皇や皇室に対して格別の関心を持っていないのは、日本国民の一般的傾向であるし、知識人の中にも、皇室の本質とか任務とか、その歴史といった、つまらぬ事?に勉学の時間を割いていられないと思う人は珍しくないだろう。特に先の大戦と全く関係の無い時代の若い人たちは然りである。もともと先の大戦や皇室に関しては、高・中学校ではなるべく教えないのが日本政府の方針と認められる。これを正確に知る国民が多くなれば、象徴とか称して残存している天皇制が、その責任を追及され危殆に瀕することは、ほぼ確実であるからだ。従って、皇太子妃に最大限好意的に解釈するならば、「私は皇室がこんなひどいところとは知らなかった」と思うのも、「無理はない」と少しは言えるかも知れない。
  しかし、皇太子妃自身にとって、また――どのくらいの人数がいるのか知りようも無いが――皇太子妃の同情者にとって許し難いのは、彼女の父親である小和田 恒氏であることは間違いない。彼は事務次官をはじめ、外務省の枢要なポストを歴任しており、皇室の事は、一般国民はもとより、高級官僚の中でも特にこれに通じている筈である。しかも、美智子皇后と同世代人の先輩として、普通の国民が宮中にお嫁にいったら、どんなひどい目に会うか、充分通じているに違いない。然るに自分の娘を皇太子のところに嫁がせるとは、その異常さには、これこそ、またまた驚きである。
  彼は前記のように、外務省で最高の職歴を経て、隠退したのだが、退官後半年ばかりで国連大使に返り咲き、そののちも、世界銀行総裁の顧問にも就任している。日本政府の推薦によるものと想像しても無理はあるまい。彼の行動は、「娘を皇太子、あるいはその可能性のある親王に嫁がせるのを、親族同士競い合い、争って、嫁にやった娘が男の子を産むことに成功した者は、やがて、摂政、関白の地位を獲得した平安時代以来の藤原氏の一族を思い出させる。こんなことは、それこそ、日本の皇室の歴史で千年も続いている“俗臭紛々たる”、“打算的な”、“うとましい”「伝統」なのであるから、小和田氏はその品性を疑われても止むを得ないだろう。


6.  皇太子妃の将来
  皇太子妃の「うつ病」がどの程度なのかは知る由も無いが、多くの国民の関心を引き、ここまで大きな社会的問題になってきたからには、二人の意志の固さ如何によっては、かなり重大化するかも知れない。
  最極端の場合は、皇太子夫妻が皇族を離脱するということである。しかし「皇室典範」には、皇太子及び同妃が皇族を辞めることに就いては全く規定が無い。そういうことは想像の圏外であったからであろう。そして万一そのような事態がおこったら、あらゆる圧力によって黙らせてしまうのが、恐らく日本の皇室の慣例なのであろう。
  だが皇室典範に規定が無いといっても、日本の法解釈のいい加減さから、防衛力を持つことは一切出来ないという憲法第九条でさえ、なにやらわけのわからぬ解釈を重ねて,たいていのことは出来るようになったのだから、まして、特に禁止条項の無いこの件は、その気にさえなれば、やれないことは無いに違いない。
  そうなれば、皇太子夫妻は、右寄りの思想の国民から多くの非難を浴びせかけられるであろうが、天皇制の廃止に至る――すなわち日本が真の民主主義を確立するための第一歩を踏み出した、栄光ある皇太子夫妻として、その名を永く日本の歴史に留めるに違いない。後に最高裁長官になった東大教授・横田喜三郎も、日本国憲法制定当時の東大法学部教授(憲法学)・宮沢俊義も、「象徴天皇制」は過渡的手段で、真の民主主義国家にするためには、天皇制を廃止しなければならない」と、その著書に明記している。これは当たり前のことで、強調するまでもないが。
  また、皇太子はその地位に留まるが、皇太子妃は断固離婚して東宮御所を跡にするという場合もありえよう。皇室典範には、「皇族に嫁いだ国民の女性が離婚したときは、皇族の身分を離れる」と決められているので、離婚さえすれば、直ぐにでも御所から出るのは容易である。しかし、皇太子の離婚は、口さがない一般国民の興味を引き、本格的皇室批判のきっかけとなる可能性もありうるので、天皇・皇后以下、宮内庁その他多くのの関係者が、あらゆる手段を用いてこれを阻止しようとするであろうから、実際にはなかなか難しいとも考えられる。戦前には、嫁が離婚を望んでも、これを許さないなどというのは珍しくも無いことで、“古き日本の象徴である”皇室も同様でありそうに思われる。「すべては皇太子妃の意志の強固さと、その実行力にかかっている」ということであろうか。
  私は皇太子妃が結婚前、ロンドンの街頭だったと思うが、マス・メデイアの記者に囲まれ、皇太子との結婚に就いて質問されたとき、毅然たる態度で、「私はそういうこととは一切関係はございません」と明確に答え、記者たちを後にして、颯爽と去っていく映像をたまたまテレビの画面で見て、「日本の女性にも、本格的に個性と自主性のある人が出てきたな」と、明るい印象を受けただけに、その後、「皇太子と結婚する」という新聞記事を読んだときには、些かがっかりしたものだった。彼女に対する職場、家庭その他内外からの圧力、それに前述した父親などに対する誘引策も、相当強かったのであろう。
  しかしながら、今となっては、飽くまで自己の生きるべき基本姿勢を崩さず、日本国にとって古代以来の残滓であり、民主主義進展の最大の障害である天皇一族から、すべての慰留策を拒否して去っていったなら、これまた輝かしき記念碑を日本の歴史の上に残すことになるだろう。ただ、その際は、「海外旅行が思うように出来なかったから」などと、子供じみたことを離婚の理由として挙げないように心から望みたい。
  イギリスのダイアナ妃の離婚は、男女問題の絡(から)みからであるが、日本の皇太子妃の離婚が,日本の皇室の古き“伝統”の牢獄からの決然たる脱出であるならば、それは日本の民主化に大きく貢献するだけでなく、中東はじめアジア各地に散在する、遅れている国の王室に対する改革の声が、それぞれの民衆のなかに呼び起こされ、それはやがて国民主権の共和国建設への運動につながっていく可能性も生ずるであろう。「皇室外交」などという「儀礼的ママゴト」とは、全くその次元を異にする大きな国際的貢献である。皇太子妃が結婚するに際して、「国際外交のために尽くしたい」と言ったのが真実であるならば、これこそまさに、その目的を実現する最適の機会というべきである。
  然して、何も宮内庁などという――官僚の職を選びながら、国民に奉仕するのではなく、“大ブルジョア”の周辺をウロウロしながら家事使用人に甘んじている――三流官庁との闘争ではなく、日本人の非合理性の根源であり、日本国民が真の自由主義を獲得することを妨げ、何よりも、内外に千万を超える人民を殺し、人々を限り無き悲嘆に暮れさせ、惨憺たる生活に陥れた責任者たる天皇制は、今日に至るまで国民に一言の謝罪も無く、悠々と生活を楽しみ、その破廉恥きわまる行為により、日本国民の道徳を堕落させた皇室に対し、皇太子妃が自らの体験に基づき、これを廃止する先鋒の役割を自任して、孤軍奮闘したならば、その美しき英姿は永く日本国民の感謝と感激の的となるであろう。
  これを決断実行する断固たる勇気と良心の強靭性を欠くのなら、この古い社会にどっぷりと浸(つ)かって、周囲からは、意地悪、嫌がらせ、悪口襍言、批判攻撃を一身に浴び、耐えがたい屈辱と自己嫌悪の、人間として最低の生活を送るより他はない。批判は宮中からばかりでなく、国民の中からも、「皇太子妃は、贅沢な生活とミ−ハ−に注目と羨望されることを選んで、自己の良心を捨てたのであって、こんなことなら最後まで黙っておればよかったのに」、あるいは「皇族のところに嫁にいき、嬉しそうにやっている無教養な女性のほうが、まだましだ」と言われることになろう。




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