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日記のお部屋


<1999.05.01〜1999.05.31>
 

  1999.05.01

 今日から5月・・・、なんか4月は慌しくてあっという間に終わってしまった(日記の更新が(爆))。

今日は、「しまなみ海道」(西瀬戸自動車道)の開通日である、なんでも、皇族が来ている関係で昨日から交差点という
交差点に制服警官と私服警官が並んでいて、市内が走りにくいったらありゃしない。しかも、ヘリコプターがブンブン飛び回ってうるさいし・・・。ゆっくり昼寝もできないではないか・・・。そーいえば、昔、毎日しまなみ海道の一部の橋を渡っていた事を思い出した・・・。ほんとは、わしのバイクは、自動車専用道を通らねばならんのだが、通行料が高いので、125cc以下のバイクと自転車・歩行者が通る方の橋(同じ橋で上が自動車専用・下が歩行者となっていたのだ)を渡っていたのよね、料金は料金箱に自主的にというのであったので、毎回「気持ち」(爆)を入れてました。しかも、監視カメラがあるのでナンバープレートをわざと荷物で隠して、料金も料金箱に入れたフリしていたという・・・。最初の数回はこうしていたのだけど、時間がかかるのと、気を使わねばならんので、結局は自動車専用道に切り替えたけどね。そういうこともあったなと・・・。他にもネタ的には、「新婚さんいらっしゃい」に出ても十分行けるネタもあるんだけど、まぁ、それはヨシとしよう(笑)
まぁ、そんなこんなで、とうとう四国と繋がってしまったのであった・・・。
 ちなみに、しまなみ海道のに関係する島や付近の島はほとんどどんなとこでも案内できるので、行く機会が有る時は相談してくれれば、良いとこ教えてあげます(笑)
 あと、傘下の土地というと、安浦・安芸津・竹原・三原・本郷・福山・神辺・沼隈とかね・・・。
 

  1999.05.02

 今日は、この間、注文していた洗濯機が納品になった。
この洗濯機なんというか、乾燥重量で106Kgもあるとてつもなく重たい洗濯機なのである。大きさは、そこらへんに売ってる洗濯機とぜんぜん変わらないというか、むしろコンパクトなのだが、なぜか重たい・・・。というのも、日本で一般的なパルセータ(羽根)を回して渦巻き水流を作って洗う方式ではなく、セサミストリートや奥様は魔女でおなじみのアメリカで主流となっている、ドラム式(大きな缶をまわして、つられて回った洗濯物が下に落ちる時の叩き洗いを利用した洗濯方式)なのである。日本だとクリーニング店の洗濯機がドラム式を採用しているのだ。で、なぜこんなものを買ってしまったかというと、この洗濯機、洗濯だけでなく乾燥までしてしまうという優れものなのであった。ウチでは、2馬力で家計を支えているので、平日の昼間は洗濯ができない。今までは、夜に洗濯して、夜中に乾燥機で乾燥させているのでその作業が面倒なのでなんとかしたいという願いと、電気が時間帯別電灯という契約をしているため(午前8時から午後23時までは、通常の電気料金の1割増となっているが、その代わり23時から翌8時までは、1/3程度と安くなっている)、出来るだけ安い時間帯で全部をしたいということで、購入が決まったのであった。しかも、使う水道水の量も少なくて済むと言うなんともありがたい洗濯機なのである。しかも、タイマーがついているので、夕方にセットしても、洗濯開始は電気代が安い時間帯ということもできるようになって、嬉しいかぎりなのだ。さすがに、重量に比例するかのように高かったのであるが、労力&ランニングコスト削減ということで、とても良い買い物であった。さて、この件でトラブルが早速発生してしまったので、それもついでに書いておこう。このドラム式、洗剤を選ぶのである・・・。普通の洗剤では泡立ちすぎて使えないので、ドラム式専用もしくは、泡立ちの少ない既製品をしようすることとなっている。早速、洗剤を買うことになり、ディスカウント薬局に行って洗剤を買ってきたのだが、これが後のトラブルとなるのであった。洗剤も2種類有って、粉末タイプと液体タイプがある。粉末だと水温が低いと解けにくいので、洗剤投入口に残ってしまうだろうから液体にしようということで液体洗剤を買ってきたのだが、この判断がまずかった。説明書を読んでいると、液体洗剤と液体漂白剤は併用ができないと書いてあるではないか・・・。うちは、漂白剤は液体を使っていたので、大バッティングである・・・。レシート片手に薬局に返品に行ったのは他でもない・・・。説明書はしっかり読みましょうというオチになってしまったのであった・・・(T_T)。
 

  1999.05.03

 そろそろ、ホムペの大更新をしようと思った矢先に、娘が風邪でダウン・・・。熱を計ってみると39.6℃、その割には元気なので、それほど大変ではないんだけど、一応、病院へ・・・。休日なので当番医をたずねて行くことになったのだが、大変な事に・・・。当番医の病院は「キッタカクリニック」、嫁は場所を知っているというので任せていたのだが、最初に着いた「橘クリニック」、当番医のはずだから開いているはずなのに、入り口はカギが掛かっていたのだ。どうもおかしいということで、次の「キッタカクリニック」へ・・・。今度は「きったかクリニック」だった。嫁も慌てていたのか、すっかり場所を勘違いしていたらしい。一言何々町の「キッタカクリニック」でワシに教えてくれてたら早かったのに(^^;)。しかし、漢字とひらがな・・・、紛らわしいですわな(涙)
 

  1999.05.04

 今日も引き続き、娘の面倒を見ることに、風邪をひいていたのは、娘だけではなかったのだ・・・(^^;)
風邪引きを2人も抱えて、オイラは看護士を1日することとなった。今は、やっと2人とも寝たので日記だけでも書いておこうということで、今書いてます(笑)
 

  1999.05.05

 いよいよ、連休も今日でおしまいなのだが、相変わらず看護士生活(^^;) もしかして、これからの連休ってこうなのかしらん(T_T)
 

  1999.05.06〜1999.05.07

 連休も開けて今日から仕事。いよいよ提出期限の迫った書類の仕上げだ・・・。まさに自分が担当している都市の未来を決めてしまうような仕事なので、結構大変なのだ。もし、間違った事すると、そのときは大事になってしまうのよね〜。ということで、バリバリと仕事をしていたら、PHSが鳴った「誰だろう?」と表示を見ると嫁からだった。「どしたん?」と聞くと「入院せにゃいけんようになった」とのお返事・・・。またか・・・(^^;)ということで、また、嫁が入院してしまったのであった。病名と言うかなんで入院かというと、「切迫早産の恐れがあるため」なのよね。この間から、自宅で安静にしていなさいということで、仕事休んでいたんだけど、それでは間に合わなかったようで・・・。第一子の時と同じ事になってしまったのでありました。またデカイのが生まれるんだろうか?(笑)<ちなみに第一子は4028gだったのだ。安静を保つための入院なので特に心配は無い(逆に家にいる方が心配なんよね)ので、気は楽なのだが、つらいのは本人(痛いとかいうのではなく、ただじっとして寝ていなくてはならないという苦痛および、暇をどうやってつぶすかという悩み(笑))なんだけど、ワシもちょっと困るのが、風邪をひいている娘の面倒を見ないといけないこと。嫁も元気なら、交代しながら面倒がみれるんだが1人だとつらいのだ。風邪をひいて咳き込んで不機嫌になって、泣きつづけたり、咳き込んで起きたりするので、家事ができないのよのね。だもんで、まずは娘といっしょに寝て、オイラは午前2時過ぎに起床、それから洗濯したり、食器を洗ったりして、風呂に入ったりしていると、午前4時がくる。それから、朝の支度(娘の服を用意したり、自分の用意したり、朝刊を読んだりしていると5時、それからまた寝て午前7時に起床。で、朝飯食わせて、娘の祖祖父の家にあずけてから、出勤・・・。で、夕方7時くらいに帰ってから病院へ、着替えを届けたりしてから、娘を夕方に祖祖父から連れ帰ってくれる娘の祖母の家に行って、娘をつれて帰ってから寝るという生活がしばらく続くのであろう(^^;)
 

  1999.05.08

 今日は、土曜日なので、朝ゆっくりと寝た(午前9時まで)。それから、飯作って娘と食べて、娘を小児科へ連れていった。行き付けの小児科なので、話は早い、症状を話して、風邪薬を出してもらう(特に咳止め)。それから、平日に用意できなかった、暇つぶしの道具(病院での暇つぶしの帝王と言えば「クロスワードパズルや、ロジックパズルの本」を買って見舞いに言った。久々の娘との対面に喜んでいたが、娘は病室に飽きてしまいダダをこね始めた。勝手知ったる我が病院みたいなとこ(前回も切迫早産予防で入院して、出産で入院して、次は脳梗塞手入院してで、年間3ヶ月は入院していた)なので、産婦人科待合のおもちゃをおいてある部屋に連れていって遊ばせたのであった。なんのために連れてきてやったのか<娘よ(^^;) 昼寝もせずに遊んでいたので、流石に夕方になって、眠たくなったのかダダをこね始めたので、家に連れて帰ることにした。「帰ろう」というと「帰らん!」と言って、ワシに手を振ってバイバイするので、そのまま帰ったろうかと思ったのだか、大部屋なので迷惑が掛かるからそうはいかない、泣く娘を担いで(抱っこでもおんぶでもない)で、帰る事にした。担いで帰るときに「かーちゃんにバイバイは?」というと「せん(広島弁でしないの意味)」という。そのくせ、他の患者さんからバイバイされると、しっかりバイバイしていた。さすがに、眠くても、病室が退屈でも、かーちゃんと解れるのは寂しいのらしい(^_^)。明日も同じ事になるのだろうか・・・。今日は、新兵器を導入して、寝入りを調整してみたら、大当たりで簡単に寝てくれた。これで、少しは楽になりそうだ・・・。
 (子供が風邪をひいていて、寝入りばなに咳き込んで困っている方への新兵器)
遠慮なしに風呂に入れる(もちろん熱が平熱の時に限る)。湯冷めしないうちに布団に寝かしつけ、肩まで布団をかけて寒い季節は室温で、暑い季節はうちわや扇風機で強制冷却する。これで、咳き込まないで寝てくれるのだ。自分が風邪をひいて咳き込むときを思い出して欲しい。体が温まってくると、のどのあたりがムズムズしてきたかと思うと、ゴホゴホと始まる、だから冷やしてそうさせないと・・・。ただし、体が冷えると困るので頭だけ・・・。
 そろそろワシも寝るとしよう・・・。
 

  1999.05.09

 朝8時に娘に起こされる。眠いのだが仕方なく起きて、朝飯を作ってやる。いろいろと忙しかったこともあって、バイクにガソリンを入れていなかったので、車のガソリンを満杯にするついでに、ガソリン缶に30リットルほど買いに行った。ついでに、ガソリンスタンド近くのイズミYoumeTownに、昼飯の買出しに出かけた。娘には好物のおにぎりを買ってやり、いざ自分の弁当をと思ったのだが、これと言って良いものがない。なんで、こんなんに500円もださにゃならんのじゃというものばっかりであったため、自分のは買わずに帰った。病院に行く途中に「ほっかほっか亭」にでも寄って、牛めし弁当でもと思っていたのだが、結局寄らずに昼飯抜きにした(^^;)。そろそろ、6時になるので、病院食の時間である、腹減ったぁ〜。今日は、これくらいにしておこう。
 

  1999.05.14

 またまた、娘が熱を出す。今日は仕事を休んで病院へ連れていくことにした。熱は39℃、とりあえず座薬を入れて楽にしてから病院へ行く。帰ってからもアイスノンを敷いてしばらく休ませたが、薬が切れるとまた、39℃になったため、再び座薬のお世話になる。夜に入っても熱が高いので、今夜は徹夜で見張りをすることとした。とりあえず、ぐずらずに寝たので、のんびりBBSの未読処理&Res.書きをしながら様子を見ることにした。たまに、寝返りを打ってアイスノンから外れるので、それを修正するのが今夜の仕事だ。熱をたまに計ると、37℃台まで戻ったので、とりあえず安心。
 

  1999.05.15

 翌朝を迎えたが、やはり熱は下がらない。37℃台で落ち着いている。とりあえず薬を飲ませて、様子を見ることとした。本人は、全く熱が出ているのが解っていないように機嫌が良いので、祖母に預かってもらい、嫁の所に行くことにした。今日の病院での仕事は、家計簿の照合なのである。心配してた通り会計が合わない。とりあえず、出し忘れたレシート類が無いかを家に帰って確認することで、折り合いがついたのであった。しかーし、眠い・・・。
 

  1999.05.16

 今日は娘もいつもよりは高いが熱も下がった(36.8℃)、今日は地区の清掃作業があるので、祖母に連れて帰ってもらい、自分は清掃作業に出ていったのであった(公園や道路の草刈が主)。それが終わってから、家事をすませ(ごみの整理や掃除)、飯食ってから嫁のとこにいったのであった。で、嫁はと言うと、泣いていた。何が不安なのか聞いてみると、お腹が痛いのと、腰が痛いのが不安(早く出てくるんではないか)らしい。腹が痛いのは、昨日ワシが食ってた「カラムーチョ」を横取りしたからで、腰が痛いのは、寝てるか座っていて、あまり立たないからだと説教して、とりあえず腰を揉んでやったら、不安は解決したらしい、普通に戻った・・・。こういうケアも入院患者には必要なのだ(いづれわが身の人はよーく覚えておくように(笑))。
 

  1999.05.17

 どうも今日で娘もリカバリー完了のようで、熱も平熱だし、元気に遊びまくっていたらしい。とりあえず一安心である。ワシはまだまだ忙しいが・・・。
 

  1999.05.25

 ということで、ほんまに忙しくなってしまい、日記どころではなかったらしい。というこれを書いているのも、日曜の早朝に思い出しながらであったので、5/29までは、思い出し日記である(笑)。
 今日は、朝からなんか騒がしいと思ったら、別の課のトラブルでいろいろと騒がしいみたいであった。まさかそれが自分の身に降りかかってくるとは思ってもいなかった・・・。昼過ぎに一報が入り、据え付けていた機械が、爆発炎上したとの連絡。原因をつきとめるために、その機械を設置した経緯や、その他もろもろの検討してするように上司から言われた。とはいえ、いくらワシの担当区域とは言え、今年の2月で全く別の世界から転勤してきたオイラにはそんなことは解るはずもなく、前任者や別区域の担当をしている先輩ととも、過去の経緯の洗い出しとかをすることになった。その他もろもろの技術計算は自分で出来るのでしたのだが・・・。(ここからは解る人にはわかる言葉となる)。
要は、線路上に設置したSSC(スタコン)が突如爆発炎上した。そこで、なんで、そこにSSCを設置したか、高調波は無かったのか、特殊負荷は関係なかったのかなどを計算・検討をしろということだったのだ。
で、この検討などで、5/28までいろいろと資料を作成する羽目となったのであった。後の日記にはもう書かん(笑)
 

  1999.05.26

 毎日、嫁のところに顔を出しているのだが、周りの患者の影響か気弱になっているようなので一喝を入れた。
お腹の張り具合や、赤ん坊の心音を調べるモニターを取り付けるのだが、赤ん坊の心音が弱くなったりするので医者が心配していると言う。それを聞いて本人も気弱になっていたようだ・・・。しかし、よくよく話を聞いているとどうも話がおかしいのだ、どうも、モニターするために機械を取り付けるとモニターされたくないのか、モニターの取りつけ場所から逃げるらしい。心音はマイクで拾っているので、当然その場所を離れれば、心音は弱くなって当然だわね(笑) しかも、そうでないときはしっかりとお腹の中で暴れまくっているらしい。で、病気にしろ、怪我にしろ一番大切なのは本人の心がけ・・・。だもんで、「おめーが気弱になってどないするんじゃ、ダメなら本人が自ら出てくるわい」と怒ってやった。母体が安定しなきゃどうにもならないって事を忘れていたようだ。こういう一喝もお仕事なので心当たりの人は覚えておくように(笑)
 


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