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パリ・オペラ座バレエ『ジュエルズ』名古屋公演
2003年4月4日(金)愛知県芸術劇場大ホール

振付 ジョージ・バランシン
音楽 フォーレ「エメラルド」、ストラヴィンスキー「ルビー」、チャイコフスキー「ダイヤモンド」
舞台装置、衣装 クリスチャン・ラクロワ

関西フィルハーモニー管弦楽団 指揮 ポール・コネリー


地元名古屋では、95年以来8年ぶりのパリ・オペラ座バレエの公演。
その8年の間に、わたしは幸運にも東京で観たり、パリで観たりしていたので、すごく久し振り、という感じはさすがになかったのだが、地元にいながらにしてパリ・オペラ座を観られる、というのはやはりかなり特別なことだなと感慨深い。地元なだけにケ(日常的生活)な意識が強いのでそれに対するハレな意識も自ずと違ってくる。もちろん、バレエ公演を観るということ自体、自分にとってはハレなわけだが、パリ・オペラ座ともなれば、ハレ中のハレという感じである。
東京によくバレエを観に行っているのはどうなんだ、と言われれば、わたしにとって“東京に行くそしてバレエを観るそのことの全て”が非日常体験なので、パリにバレエを観に行くこととほとんど意識は一緒なのだ。
東京でも、日本の地にようこそいらしてくださいました、と思うけれども、地元だとさらに一層その思いは強くなる。ここまで、よくいらしてくださいました。ありがとうございます、という感じなのだ

さて今回の演目、バランシンの「ジュエルズ」に関してわたしは全くの知識無しで臨んだ。東京公演の舞台レポをよくお邪魔するバレエ・サイトで読むぐらい。音楽も聴かず。「水晶宮」(シンフォニー・イン・C)「テーマとヴァリエーション」と同列な作品かな、という程度の知識だ。ストーリーがないので、音楽とダンスを楽しめばいい、という点では観やすい演目ともいえる。しかし、逆にダンス自体を楽しめなければ全然のれない演目ともいえる。バランシンのこの種のバレエは、踊るダンサーの役に対する解釈の余地が、ほぼないといってもいい。ただひたすら音楽の持つエッセンスをダンスによって表現していくこと、そのことに腐心されなければならない。それがどれほど難しいことか、踊らない(じゃなくて踊れない)わたしには、想像を絶することのようにも思える。
「水晶宮」を初めて生の舞台で観たときは、うわー、こんなバレエもあるんだ!と目からうろこがボロボロ落ちたような気がしたものだった。それまでわたしの知っていたバレエは、物語のある古典と極々少数のいわゆるモダン・バレエといわれるものだけだったのだから。
クラシック・チュチュを着て、音楽のもつ様々な情感ととそれに合わせたダンスが延々と綴られる。そして最後には音楽が大団円を向かえ、ダンサー達も集結して、世にも華やかなフィナーレへと突き進む。物語りもないのに、ダンサーのステップもモダン・バレエほど特異なものでもないのに、それはなんと感動的だったことだろう。バランシン・バレエをそれ程たくさん観たわけではないので、えらそうなことは言えないが、この時わたしは彼のバレエを表現する上でよく使われる言葉、『音楽の視覚化』を体験し感動した。こういうバレエもあるのだな、とそれまでの自分にとってのバレエ鑑賞頭の数少なかった引き出しに、一つ真新しい引き出しが加わった瞬間でもあった。 
バランシン・バレエには正直いって、よくわからないというか苦手な作品もある。しかし音楽の視覚化バレエはそういうわけで大好きだ。それからバランシンにはちょっと個人的な意味(というかどうでもいい理由)で愛着がある。(この、どうでもいい理由はですね〜、わたしと生まれ月と日が一緒だ、ということを知ったから)彼個人の人となりを研究するほどの気力はないが、手軽なところで、山岸凉子の「黒鳥」がお勧め。

相変わらず前置き長いな(すみません)。パリ・オペラ座でバランシン・バレエを観るのは今回で、3作目ということになる(92年「水晶宮」、95年「放蕩息子」)。NYCBを別格とすれば、バランシン・バレエを踊るのに最適なバレエ団の筆頭はやはり、パリ・オペラ座ということになるだろう。正確なテクニック、音楽性、センス、どれが欠けてもバランシン・バレエにはならないだろうから。
チケット代が少々高くてもやっぱり行ってよかった〜と思える公演になると期待して、わたしは会場に向かったのだった。




エメラルド

ナタリー・リケ、クリストフ・デュケーヌ、エレオノーラ・アバニャート
ヤン・ブリタール・カルディナル、ドワノー、ティボー

幕上け、さすがに衣装が美しい。エメラルド色のロマンチック・チュチュ。フォーレの曲は穏やかで優しげ。へたをすると眠くなる危険性あり、とこれはいろんなところ(バレエ・サイトBBS)で目撃していたので、大丈夫だろうか、とちょっと心配したが、さすがに眠くなるということはなかった。

リケはすらりとしたプロポーションのなかなか美しいダンサー。衣装もよく似合っていた。しかしデュケーヌは、うーん、プログラムによるとスジェ歴10年のベテランのようだが、その体形は……。バレエ・ダンサーとして、かなりな疑問が残る。なので、男性は後ろの若手を観るようにした(すみません)。中でも前評判の高いティボーが、可愛いし(ふんわり黒巻き毛がラブリー)踊りもよかった。
曲も穏やかで振付自体も派手さがないけれども、純粋なクラシック作品ではあまり見かけないような、難しそうなステップが、ソロ・パートのところどころに散りばめられているような気がした。

そのソロ・パート、リケもアバニャートもそれぞれに見事だったが、わたしがより一層ひかれたのは、アバニャートのダンスだ。音楽も一番有名な曲だったから、それがいい方に転じたように思う。音楽が美しくて抒情的なのに、ダンスがいまひとつ、だったら全てが台無しになってしまう。しかしアバニャートは音楽の持つ抒情性を綺麗にすくい取って、自分のダンスのエッセンスへと吸収し、極々丁寧に表現していたように思う。

ブリタールについては、うーん、すみません、あまり印象無し。アバニャートを観るのに一生懸命だったようだ。「カサノヴァ」の壁を登っていく彼の方が印象的だったなあ(ってこれは踊りじゃないぞ)。
あと女性はいいのだが、男性の衣装、エメラルドは特に首が詰まっていて、なんだか損なような気がした。どうしても首が短く見えてしまう。

ラスト、全員が舞台上にそろうシーンはさすがに、美しくて圧巻だ。エメラルドはあんまり良い演目とは言えない、なんて聞いていたけれどそんなことは全然ないじゃないか、と思えたのでわたし的にはかなり満足。このあと、ルビー、ダイヤモンドと観て、この演目が一番、いかにもパリ・オペラ座的だなと思ったのだった。
NYCBに関しては映像でしかみたことがないから、えらそうなことは言えないが、NYCBより、絶対パリオペラ座の方が、エメラルドに向いていると思う。独特のエレガンスとか香気とかがこの演目には絶対必要で(それが感じられなければ、つまらないバレエになる危険性は大)、オペラ座の持つバレエ文化の長い歴史、誇り、愛情が結実してエメラルドの美学(わたしが感じるところの)を見事に表出していたと思う。


ルビー

クレールマリ・オスタ、マニュエル・ルグリ、カリン・アヴェルティ

幕開け、女王様(って役じゃないけれど)と4人の男の子達ダンサーのチェックに励むわたし(笑)。アヴェルティは美人ではあるけれど、他会場のキャスト、ジローやロンベールがもつ絶対的迫力は欠ける。なのでちょっと女王様度が低くて、残念ではあった。4人の男の子で注目したのは、ゴディオンとエメラルドから連続のティボー。ゴディオンは見た目と踊りの雰囲気が同じ感じ(っとティボーくんもそうだから、若いダンサーはみんなそんなものかな)しかし、ゴディオンはそれでもちょっと独特な端正さ。もっとじっくり観てみたかったけれど主役が登場しちゃうとそれどころではなくなった。残念ではある。

早い音楽で溌剌とした踊りは、無条件で観ていて楽しい。

そしてオスタ&ルグリ登場〜。オスタ、はは〜、それが問題の髪型か〜、と踊りよりも髪型に意識がいってしまったわたし。ちょっと、バレエにそれはどうよ?という感じがなくもなかったけれど、ルビーの雰囲気にはまあまああっているから、いいのかなというところ。普通にひっつめてティアラのせた方が、普通に可愛いと思うのだが、どうか。ルグリとのパ・ド・ドウ部分で、お互いの脚を絡めたりして、ちょっと色っぽい振付もあったりするので、そういう感じにしてみたのかなあ、と思うけれども、一歩間違えば下品ぎりぎりの境界線あたりだ。コケティッシュな振付もあくまで、コケティッシュそしてチャーミングにみえなくてはいけないわけで、下品になってはお終いだ。なのでああいう髪型は個性的ではあるけれど、損だなと思ってしまう。
髪型よりもダンスそれ自体で、表現することを大いに望むわたしだった。オスタは今回の踊りを観た限りでは、決して悪くなかったし、そういう表現が苦手なダンサーでもなさそうに思えた。

ルグリは、いや〜、変わってないですね〜。音楽そのものになりきるダンスは、昔から彼の得意中の得意なダンスだったけれど更に磨きがかかっているように思えた。そしてこれもいつも思うことだけれど、踊ること、それ自体を自分自身がこれ以上ないほど楽しんで踊ることが出来る、数少ないダンサーだなとまた今回も感じ入った。もちろん、演目にもよるけれども、幸いルビーは踊ることを純粋に楽しんでいい演目だ。いや、もしかしたらそれが肝心要な演目といえるかもしれない。ルグリは舞台に立つこと、音楽に合わせて踊ること、そして音楽に成りきることを心の底から楽しんでいる。そんな彼の踊りから、輝かしいオーラが舞台一面に巻き散り、どんどん拡散していくのは至極当然のことで、観ている自分もそのオーラに包まれて幸福な気分になった。
踊りを楽しむ、単純なことのようだが、それを彼のレベルでやることができるダンサーはそうそういない。
残念ながらわたしは彼のソロルを観ることはできなかったけれど、このルビーでキラキラと眩しいダンスを観られたことはよかったと思う。名古屋に来てくれて本当にありがとう、ルグリ。


ダイヤモンド

マリ=アニエス・ジロー、ジョゼ・マルティネス

白いクラシック・チュチュ。そしてチャイコフスキー。バランシンのロシア・バレエに対するオマージュが全面的に現れた作品。なのでBBSにも少し書いたが、ロシアバレエスキーのわたしには、少しばかり不利な作品だった。こういう風な見方をしたら絶対楽しめなくて損なので、やめた方がいいとわかっているのに。ダメですね〜。
ジローは映像にある「眠り」のリラの精よりは、随分としっとりとして指先まで神経が行き届いた踊りで、よかったと思う。ただやはり、彼女のクラシック(バランシンではあるけれど)は、あまりわたしの心に添わないのである(ファンの方、ごめんなさい)。
マルティネスは、さすがエトワール。どのポーズも美しく完璧。ちょっとだけ文句をいうなら着地の足音か。ルグリはほとんどしなかったのに、マルティネスはところどころ気になったのだった。

音楽の関西フィルハーモニー管弦楽団は、よくがんばっていたと思う。エメラルド、ルビーとも気になるようなところは全然なかった。ダイヤモンドもまあなかったのだけれど、これも一つだけ文句を言ってしまうと、フィナーレ部分でもうちょっと盛り上がったらなあ、ということ。
ロシアの管で聴いたらきっと、これでもかと盛り上げるんだろうなあ、とふと思ってしまうのだった。こういう音楽(フィナーレだし)、わたしは過剰なまでに鳴ってる方が好みなんだけれどなあ…。
で、踊りの方の全員舞台に揃ってのフィナーレも、音楽のせいもあるのかどうか、もうちょっとこう、かーっとくる高揚感が足りないというか、ああ、綺麗だな〜、さすがパリオペだな〜ぐらいで終わってしまったのが、少しばかり寂しいわたしであった。

とダイヤモンドに関してはどうしても辛めになってしまうのを許してください。 

では、最後に全体の感想、というか高いお値段に見合っていたか、ということなのですが(すみません、庶民な感想で)、ええっと、S席22000円は、やっぱり少しばかり高かったな…、ということなんでした。
エメラルドの男性キャストがもう少しよければ、もうちょっと評価アップかなあ、なーんてすみません。

しかしなんだかんだいって、次のパリ・オペラ座地元公演、何年後になるかはわかりませんが、その時も状況が許せば絶対行くと思います。その時をまた楽しみに待ちたいと思います。


カオル
2003/04/12 Sat

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