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レニングラード国立バレエ 華麗なるクラシック・バレエハイライト 2001年

最近夏も恒例になっているマールイの来日公演。ルジマートフゲストもやはり恒例ですね。こんな暑い盛りに、日本にきて踊ってくれてありがとう!
東京公演はAプロ、Bプロに分れてますが、内容的には重なっている演目も多かったです。全体を眺めてみると、プログラムにもう一工夫欲しいな、というのが正直なところですが(目新しくないパ・ド・ドウが大半)、ゲストのファンなわたしは、ま、いっか〜とつい甘くなってしまうのでした。
以下に書かれる感想はルジ演目と他のダンサーの演目とでは、熱の入れ方が多分全然違っていると思いますので、そのあたりご了承くださいませ。


◆Aプログラム 7月24日(火) 新宿文化センター◆
◎第1部◎
「パキータ」より
音楽/ミンクス  振付/プティパ

ディアナ・ヴィシニョーワ
ファルフ・ルジマトフ
レニングラード国立バレエ

ロシア・バレエの様式美を堪能するにはうってつけの作品。映像はやっぱりキーロフ・バレエのものが好きです。「パキータ」はワガノワダンサーじゃないとあまり見たくないなと思う演目の一つなのですが、レニングラード国立なので、それは大丈夫。群舞のチュチュ姿もきれいだし、踊りも上手いです。
さて曲が進んで、群舞の後ろからヴィシニョーワ登場。ヴィシニョーワは去年のキーロフの公演で「バヤデルカ」を見て以来でしたが、久し振りに見て、うーん、なんかまた一層痩せた? って感じでちょっと痛々しい風情。しかしまあ、踊り始めるとそんな印象はどこかに吹っ飛びました。本当にテクニックは素晴らしい。最初ポアントで長いこと身じろぎもせずに立っている場面があって、その姿には貫禄や威厳のようなものが、溢れていてよかったです。あの若さで貫禄が出せるってのはさすが。今のキーロフをしょって立ってるだけのことはあります。
そして、ヴィシニョーワが上手に行き、群舞が斜めに並んだところで、下手よりルジマートフ登場! ちょっともったいをつけた足取りは、まさに待ってました! という感じです。そして舞台に一歩脚を踏み出し、ヴィシニョーワの方をひたと見据え、この上なく美しいルルベでポーズをとる…、この時、舞台に向けられる観客の視線は、全てルジマートフに集められたのではないか? 少なくとも強力ヴィシニョーワファン以外の観客の眼はルジマートフを見ていたはずで、それは間違えようのない事実だと思います。
そしてそんな芸当を派手なポーズ、もしくはテクニックを見せるわけでもなく、やってしまえるルジマートフはやはり稀有なダンサーだ! と、うたれたように思うわたし。(ただ、かかとを上げて立ってるだけなんだから)そんなことは、もうとうにわかってはいたけれど何度思わされても、その感覚は飽きるということがない、何度でも味わいたい思いです。
それと同時に、最初の一ポーズで、見ているこちらの期待の、早くも上をいってしまっているのかも、と気がついて、わたしはびっくりしてしまう。じゃあ、この後は一体どうなるの? どこまでやってくれるの? という、ゾクゾクするような感じ。この、何をやってくれるのか、わからない、予想もつかない、というところがルジマートフのバレエの醍醐味の一つなのかもしれません。
で、何をやってくれたのか? というと、マルガリータ・クリークとの映像にもある、『立膝キメポーズ3連発』なのだった。この見得キリが正しいクラシック・バレエの規範からは多分逸脱してるんだろうな、というのはルジマートフ自身もわかってるとは思うのですが、彼は観客が何を求めてるかもよくわかっていて(もしくは無意識?)、見ているこちらはまんまと熱狂させられてしまうのです。(ま、それを望んでるんだけどね)
クラシック・バレエをあんな風に自分の踊りたいように踊って、なおかつ、やっぱり美しい! と思わせるのはもしかしたらそうとう難しいことなのではないか、とルジマートフのこういう演目を見るとしみじみ思います。そういう意味では、あからさまに熱狂的であっていいクラシック・バレエ代表「ドン・キホーテ」を来年早々、ルジマートフで見ることができるのは、本当に喜ぶべきことではあります。屈託のないバジルをどんな風に踊るのかしら? いやあ、今から楽しみで仕方ないです。最近全幕は屈託のある役ばかり見てましたからね(笑)。
で、「パキータ」に戻りますが、全く不満がなかったというわけでもないのです。どこがかというと、ヴィシニョーワと踊るところなんですねえ。同じポーズをとってシンクロするところ、わたしの大好きなシーンでもあるのですが、確かにきれいでいいのですが、はっと胸をつかれて、目の覚めるような鮮烈な感じがあまりしてこなかったは、どうしてなのか?うーん…。ヴィシニョーワは「カルメン」ではあんなにも、キラキラ輝いていたのに、どうして「パキータ」では、キラキラ度が弱冠落ちてしまうのか? 振付が別物だから、単純に比較してしまってはいけないのかもしれないですが、「パキータ」でもそういう風に踊れないはずはないと思うんですけどね。
パ・ド・ドウ部分で、1+1=2以上の舞台をルジマートフファンとしては、どうしても期待してしまうわけで、こういう抜粋演目では無いものねだりなのかもしれないけれど、少しでも多くそういう舞台が見たい気もちは止められないのでした。

「白鳥の湖」より白鳥のグラン・アダージョ
音楽/チャイコフスキー
振付/プティパ&イワノフ

エルビラ・ハビブリナ
ドミトリー・ルダチェンコ

一番最近見た生舞台のオデットはザハロワだから、これは分が悪い。全幕舞台と比べちゃいけないと思いつつも、どうしてもザハロワのオデットが思い出されるわけです。でも、それがなかったとしても、ハビブリナのこの日のオデットはちょっと冴えなかったような気がします。

「ゴパック」
音楽/ソロヴィヨフ=セドイ
振付/ザハロフ
マイレン・トレウバエフ
バレエ・コンサート向き演目。観客も楽しんでるからいいっちゃいいんだけどな、うう、でもだけどな〜って感じ。これが上手く踊れたから、だからどうよ? って感じでもあるしな…。

「白鳥の湖」より黒鳥のグラン・パ・ド・ドウ
音楽/チャイコフスキー
振付/プティパ&イワノフ

オクサーナ・シェスタコワ
ドミトリー・シャドルーヒン

 シェスタコワのオディールは、3日連続で見たわけです。で、東京公演の二日間、ヴァリエーションのピルエットがどうしても上手く決まってなかったので、岐阜で見た時は、今日こそ決めて欲しいの〜、とはらはらしておりましたが、無事決まってほんとよかった。こういう、コンサート形式の舞台は、パ・ド・ドウそれだけだからアダージョやコーダがよくても、ヴァリエーションでつっかかると、どうも印象が悪くなっちゃう。シェスタコワのオディールは視線の使い方とか、全体の雰囲気など、悪くなかったので、ヴァリエーションの出来の悪さがほんとに、惜しいって感じなのでした。岐阜はよかったよかった。東京でも、出来ていれば…、と思うのですが、それはきっとシェスタコワが一番そう思ってるだろうなあ。
シャドルーヒンはちょっと情な系の顔が、「白鳥」の王子によく合ってました。

「ドン・キホーテ」よりグラン・パ・ド・ドウ
音楽/ミンクス
振付/プティパ

オクサーナ・クチュルク
ミハイル・シヴァコフ
レニングラード国立バレエ

クチュルク、かわいらしいバレリーナですね。テクニックも非常に安定していて、安心して見ていられました。一つ、文句を言うとしたら、グラン・フェッテについて、なのですが、クチュルクはもともと左回りの人なのかな? 左に回るグラン・フェッテは初めて見たので、新鮮な感じはしたのですが、どうも回り方がぎこちなくて、なんかなあ…と思ってしまいました。(いや、ちゃんと32回以上はきちんと回ってるんですけどね)わたしは左も回れるのよ! ということでの左回りなのだとしたら、うーん…って感じ。グラン・フェッテには余裕が欲しいわたしだった。その点、「黒鳥」のシェスタコワはよかったです。
シヴァコフのバジルは、まあ、こんな風かな、というところ。バジルにしては、控え目かなあ。テクニックは悪くないのでもうちょっと、前にくる感じがあってもいいのにと思います。

◎第2部◎
「ばらの精」
音楽/ウェーバー&ベルリオーズ
振付/フォーキン

ロマン・ミハリョフ
アナスターシャ・ロマチェンコワ

「ばらの精」って難しい演目だなあとつくづく思うわけです。これは、ただジャンプが人より高く飛べるから、とかそんな単純な理由で踊っちゃだめなような気がします。ミハリョフはばらの精には、見えませんでした。やたらに元気がいいし。ジャンプがたくさんあるからって、元気よく踊ればいいってもんじゃないよなあ、「ばらの精」の場合。ニジンスキーの有名な写真の、あの妖しい微笑み、あの感じが踊りに出せてこそのばらの精ってもんです。
ロマチェンコワももっと、こう初々しい感じが欲しかったです。夢見る少女でいて欲しいのよ〜。

「眠れる森の美女」よりグラン・パ・ド・ドウ
音楽/チャイコフスキー
振付/プティパ

イリーナ・ペレン
ドミトリー・リシンスキー

今回、ペレンのオーロラ姫が見られたことは、嬉しいことでした。容姿もスタイルもバッチリオーロラだし、美しいワガノワ・ラインはオーロラを踊ると一層際立ちます。
リシンスキーは、美術の時間のデッサン用石膏像のような顔立ちをしていて、スタイルもなかなかです。彼は珍しくキーロフからマールイに移籍したのですね。キーロフでは多分ちょっと身長が足りないのかもしれない。(でもって、王子さまは踊らせてもらえないのかも)せっかくマールイで王子さまを踊るのだから、もおちょっと体力つけてね、って感じでした。ペレンと並んだ感じも悪くなかったのだが、いかんせんヴァリエーションとかで体力不足が見えてしまったのでした。しかし、この過酷な夏の日本巡業で、最後には体力がつくかもしれません。期待しとります。

「スポーツのワルツ」
音楽/ショスタコーヴィチ
振付/シードロフ
ドミトリー・ルダチェンコ
マイレン・トレウバエフ
むー、なんと言っていいのやら…。音楽ショスタコーヴィチなんだよなあ…。これってバレエ? とつい突っ込みたくなるのよね。やっぱ、スポーツってこと?

「ジゼル」第2幕
音楽/アダン
振付/J.コラリ&ペロー

ジゼル…ディアナ・ヴィシニョーワ
アルブレヒト…ファルフ・ルジマトフ
ミルタ…オルガ・ポリョフコ
ヒラリオン…ミハイル・シヴァコフ
レニングラード国立バレエ

ルジマートフというのは、どうしてこうも踊ること、舞台で表現すること、に一生懸命なんだろう、とふと思うのです。もちろんバレエダンサーという芸術家であるのなら、どんな舞台にでも全身全霊を傾けて臨むのが、あたりまえなわけで、観客であるわたしはそれを堪能しに行くのだから、何の文句もあろうはずもないのですが。まあ、多分最近のルジマートフは踊る演目も選んでいるし、一つ一つの舞台を若い頃に比べて、すごく大事に精魂込めてやっているから余計そう思うのでしょう。しかし、時にそれは見ていて、つらい、という感覚も呼び起こすのは確かです。
さて、ルジマートフのアルブレヒトですが、2幕の抜粋であれだけ情感を込めて、踊ることができるというのは、なんか脅威的ですらあります。1幕もあってジゼルの死を目の当たりにしてきたのならともかく、いきなり百合を抱えてのシーンから始まっているのに、舞台全体を完全に「ジゼル」世界に染め上げることができるのは、ルジマートフの力技でしょう。
今回のルジマートフのアルブレヒトは、ジゼルがちゃんと見えていないような感じでした。気配だけはなんとかわかるという風情で、ヴィシニョーワのジゼルと視線が絡み合うことは、ほとんどないようでした。喪失してしまったものの大きさ、に自分自身恐れおののいているようでした。そう、それがね、見ていて胸が苦しくなってくる感じなんですよね〜。(陳腐な表現ではあるが)
対するヴィシニョーワのジゼルは、いつも言っててまた同じことになってしまうのですが、テクニックは素晴らしい、しかし、その先が…、となるのですねえ。白のバレエの情感って難しいバレリーナには、とことん難しいのかしら。うーん。ルジマートフの創り出す世界とあまり噛み合っていないというか、アルブレヒトに対する思いが伝わってこないというか…。確かに冷たく美しいウィリではありましたが。でもジゼルってそれだけでは駄目なような気がする。ヴィシニョーワには2幕のみ、ってのはさらに難しいのかもしれない、せめて1幕の村娘から踊っていれば、また変わっていたかも、という気が少しします。
いずれにせよ、「ジゼル」はやっぱり、全幕見たいのじゃ〜〜! ってことですね(笑)。ルジマートフ、「ジゼル」は踊り納めってことはないだろうな、それが心配〜。


◆Bプログラム◆
7月25日(水) 新宿文化センター ** 7月26日(木) 長良川国際会議場

Aプロと重なっている演目については、追加コメントのみになります。

◎第1部◎
「ドン・キホーテ」よりグラン・パ
音楽/ミンクス  振付/プティパ

レニングラード国立バレエ
7/25 オクサーナ・クチュルク&ミハイル・シヴァコフ
7/26 神谷俊江&ミハイル・シヴァコフ

岐阜会場の神谷俊江さんですが、もうちょっとお稽古してきてほしかったかな、という気がしました。う〜ん…。

「ジゼル」第2幕より パ・ド・ドウ
音楽/アダン
振付/J.コラリ&ペロー

エルビラ・ハビブリナ
ドミトリー・リシンスキー

ハビブリナはオデットより、ジゼルの方がずっとよかったです。しっとりと美しかった。ハビブリナの舞台を見ると、短いパ・ド・ドウ部分だけでも、十分ジゼルになることも可能なのだ、ということもわかって、白のバレエの奥深さをしみじみ思うのでした。
リシンスキー、Bプロは二つ踊っててさらに、お疲れ気味。(いや、こちらの方が、「眠り」より先なのだが)踊りはきれいなので、がんばって欲しいです。

「ゴパック」
音楽/ソロヴィヨフ=セドイ
振付/ザハロフ
マイレン・トレウバエフ

「白鳥の湖」より黒鳥のグラン・パ・ド・ドウ
音楽/チャイコフスキー
振付/プティパ&イワノフ
オクサーナ・シェスタコワ
ドミトリー・シャドルーヒン

「パキータ」より
音楽/ミンクス  振付/プティパ
ディアナ・ヴィシニョーワ
ファルフ・ルジマトフ
レニングラード国立バレエ
最終日の岐阜公演のルジは、さらにはじけていたような(笑)。

◎第2部◎
「眠れる森の美女」よりグラン・パ・ド・ドウ
音楽/チャイコフスキー
振付/プティパ
イリーナ・ペレン
ドミトリー・リシンスキー

「騎兵隊の休息」より
音楽/アルンシェイマー
振付/プティパ&グーセフ
オクサーナ・クチュルク
ロマン・ミハリョフ
わたしは、初めて見る演目でした。オーストリアの片田舎が舞台、恋人達の牧歌的な楽しいパ・ド・ドウということで、こういっちゃなんですが、クチュルク、ミハリョフともこの演目は、ばっちりとお互いのニンにあっておりました。ミハリョフはやっぱり、これが本領でしょうという感じ。クチュルクは今回、「ドン・キ」とこれで村娘しか見ることができませんでしたが、違う感じのものも見てみたいです。うーん、でもこういうのが、合ってるのかな。いや、でも美人さんなので、お姫さま系もいけると思う。
楽しそうなバレエなので、全幕(といっても1幕物)を見てみたいです。

「カルメン」
音楽/ビゼー&シチェドリン
振付/ベリスキー
ディアナ・ヴィシニョーワ
ヴィシニョーワはやっぱりこれでしょう! どうだ! と言わんばかりの圧倒的な、輝き。スピード感。鞭のようにしなって、ラインを描く肢体。うーん、素晴らしいです。キーロフの他のバレリーナは、きっと誰もこんな風には踊れないでしょう。そういう意味でも、ヴィシニョーワは非常に個性的だし、その部分をもっと伸ばしていって欲しいなあ、と思うわけです。
『鞭のように』という形容を自分でなにげに使っておいて、今ちょっと思ったのですが、誰あろうルジマートフの踊りもよくそういう風に、形容されたりしておりますね。うん、だからそのあたりをこの二人に、シンクロさせたり、火花散らせたりするバレエを誰か作ってくれないかなあ、ってもそんなの作れるのはベジャールぐらいしかいなさそうだが。
ルジマートフ、ヴィシニョーワ両者の持つ、クラシック・バレエのラインから明らかにはずれたところで輝く魅力、というのを最大限に生かすバレエができたら、そりゃもう、すごいものになるでしょう。見てみたいよ〜。

「スポーツのワルツ」
音楽/ショスタコーヴィチ
振付/シードロフ
7/25 ドミトリー・ルダチェンコ
    マイレン・トレウバエフ
7/26 ドミトリー・ルダチェンコ
    ミハイル・シヴァコフ
26日、トレウバエフは「ゴパック」でどうも脚を痛めたような感じでした。なので、シヴァコフでしたが、ダンサーが変わったから、どうか、という演目じゃないしな、これ(笑)。誰が踊ってもなあ…(苦笑)

「アダージェット 〜ソネット〜」
音楽/マーラー
振付/ドルグーシン
ファルフ・ルジマトフ
すぐれた役者が、脚本家の意図を遥かに超えた人物像を、実際に演技することで、創り出してしまう、ということがありますが、ルジマートフのこの作品も同じことが言えるのではないかと思います。一体ルジマートフ以外の誰が、この作品を踊ってああまで何かを訴えることができるでありましょう。
舞台の上で一人、スポットライトを浴びて踊るという行為、そのだけのことが、何故これほどまでに、見ている者の感情を揺さぶるのか。それはきっとルジマートフが自分の全てをその舞台に捧げて踊っているからだ、と使い古されたフレーズで、しみじみと思うのです。ルジマートフというダンサーはそういう意味では、不器用な芸術家だな、と思います。物語があり、役柄のあるものは、とことんその役になりきることを考えて踊るし、物語がなく、踊りだけのものは、ただひたすら、自分の全てを舞台に捧げてしまう…。どちらもまさに正攻法、直球勝負。そこにはなんのてらいもない。しかし一体どれだけのダンサーが、魂のレベルでそんなことができるでしょう。結局、踊りの神さまに魅入られたダンサーのみが、可能なことのような気がします。
踊りの神さまに魅入られている、ということは多分ダンサーにとって、幸福なことには違いないだろうけれども、全身全霊を舞台に捧げ尽くさなければならないのだから、その大変さは、わたしなんかの想像を遥かに絶するのだろうな、という気がします。
「アダージェット 〜ソネット〜」は今回初めて生の舞台を見ましたが、見ている間中、いろんな相反する気分が自分の中にありました。一番大きなのは、そんなに何もかもさらして踊らなくてもいいのに、と思う反面、そういう踊りを見ることをやっぱり望んでいるのだ、という気持でしょう。
この作品は具体的な振付においては、ほとんど見るべきところはないのですが、一つ好きなところは、両手を後ろにひっぱられるようにして、舞台の奥に背中を見せて歩いて行き、そして、その後ゆっくりと顔を正面に向けるところです。何かひっぱられるものから逃れるように、もしくは重い何かをひきずるように、苦悶の足取りで舞台の奥へいき、ふっとこちらを見たという風情で振り返る……、その振り向いた顔はほとんど無垢な少年のような表情をしていて、そのしんとした一瞬に見ているこちらの魂は、鷲掴みにされる。それではやっぱり、そうして全てをさらして踊るという行為は、ダンサーにとって浄化をもたらすのだろうか? そうであるのならば、ああ、よかったとほっとするような、でもどこか胸がしめつけられるような、せつない気分にさせられる…。そう、ここでもまた、相反する気分を味わうことになるわけで、そんなほかでは決して味わうことができない感情をもたらすルジマートフは、自分にとって特別なのだなあと何度も確認することになるのです。
しかし、こういうものを見ると、最早ルジマートフにとって、具体的な振付け、などというものはそれほど必要がないのかもしれない、と極端なことを思ってしまう。必要なのは美しい音楽と音楽に感応するルジマートフの肢体だけ。実際それだけあれば観客としては、十分堪能できるでしょう。しかし、それだからこそ、ルジマートフの持っているもの全てを生かしきる振付作品ができたら…、と思わないわけにはいかないのも事実です。そんな奇蹟をいつか目の当たりにできたら、と願わずにはいられません。

カオル



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