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シルヴィ・ギエム プロデュース 三つの愛の物語
2003年6月9日(月) フェスティバルホール(大阪)

三人姉妹

振付:マクミラン 音楽:チャイコフスキー

マーシャ:シルヴィ・ギエム
イリーナ:エマニュエラ・モンタナーリ
オリガ:ニコラ・トラナ
ヴェルシーニン中佐:マッシモ・ムッル
クルイギン:アンソニー・ダウエル
ソリョーヌイ船長:アンドレア・ヴォルピンテスタ
トゥーゼンバッハ:ルーク・ヘイドン
ナターシャ:二コール・ランズリー
アンドレイ・プロゾロフ:マシュー・エンディコット
チェブトイキン医師:クリストファー・ニュートン
アンフィーサ:シモーナ・キエザ
ピアノ演奏:フィリップ・ギャモン

「三人姉妹」は実は随分昔に蜷川の芝居を見たことがあるのだった。ほとんど原作に忠実な(多分、実は原作読んでません〜、爆)長いお芝居だったということは良く覚えている。
バレエは2000年バレエフェスでギエム&ニコラで観ている(マーシャとヴェルシーニン中佐のパ・ド・ドウ部分)のだが、しかしなにせこういう作品なので抜粋されてもあまりピンとこなかったというのが当時の感想だった。
でやっと今回ちゃんと観ることができて嬉しいのだった。三人姉妹のわたしの目的はもちろんギエム。なにせ今年はバレエフェスティバルもパスしてしまったので、当分ギエムを観る機会はないのだ。彼女のクラシックははっきり言って苦手なわたしだが、こういう作品はたくさん観たいと思うのだった。(「ル・パルク」を踊るというのはどうなったのかな、単なる噂だったのかな、すごーく観てみたいんですけど)

で、マーシャである。髪をきっちりと結い上げてサーモンピンクのあっさりとしたドレス姿はいかにも人妻風で美しい。やっぱりちょっと猫背だなあと思うけれども現実的な役なのでかえってそれがいいかも。オリガ(長女)イリーナ(三女)と同じ振付を踊る時は、かなり抑えた踊りをしていたようにみえた。それでもギエムの周りの空間が他の二人よりも大きく、そしてギエムの色に染まっていくのを目の当たりにした。やはりギエムのダンスはすごい。

ムッルのヴェルシーニン中佐はマーシャを愛することにそれ程ためらいがないようにみえた。美しいひとが冴えない教師と結婚していること自体が理不尽で、そのひとを愛することは罪ではないのだ、というような明るさ。マクミランもそれほど原作にはとらわれていないとしてこのバレエを振付けたようなので、ムッルのひたむきな感じはそれはそれでよかった。何よりストレートにマーシャへの愛が伝わってくる。

マーシャのだんな、冴えない教師であるところのダウエルは、本当に冴えない男になっていた。わざとぶかっこうに振付られたダンス。このクルイギンはマーシャが道ならぬ恋をしているのを知ってか知らずか、臆面もなくマーシャに取りすがる。みっともないのは百も承知、そうしないことには本当にマーシャが自分の元を去っていくのではないかと恐れている。こういう役柄を往年のロイヤルバレエのこの上ないプリンスにしてダンスールノーブルのダウエルがやるのだから、おかしみの中にも哀愁があり味わいが深い。

マーシャとヴェルシーニン中佐の最後のパ・ド・ドウ。ここではギエムは自分の踊りをもちろん抑えない。ドレスの裾を翻して苦も無くふんわりと高く上がる脚のラインは本当にうっとりするほど綺麗だ。クラシック・チュチュでこれをやられても美しいと思ったことがなかったが、こういう衣装でこういう役柄でなら、ああ、ギエムのマーシャはそうすることで自分の感情の迸りを表現するのだと納得がいく。差し伸ばされた腕も美しく雄弁だ。最後になるだろう愛しい人との逢瀬を派手な振付がそれほどない中で、静かなしかし熱い炎が燃え上がるように表現していくギエムは素晴らしい。ムッルも良くそれに応えていたと思う。しかし二人で作り上げる世界、ということになると「マルグリットとアルマン」でのコープの方が数段上だったように思われる。

ギエムでこれだけのものをみせられると、他のダンサーでこの作品を観てもなかなか納得いかないだろうなあ、と思った。でも一人候補、もうちょっと年をとったザハロワで観てみたいなどと思ってしまうわたしだった。



カルメン

振付:アロンソ 音楽:ビゼー/シチェドリン

カルメン:斎藤友佳理
ホセ:首藤康之
エスカミリオ:高岸直樹
ツニガ:後藤春雄
運命(牛):遠藤千春

通常バージョンと違い特別ハイライト版だそうである。と自信が全くないのは、眠ってしまったからなのだった(爆)。多分カルメンとホセの二人に焦点が当たっているとは思う。
2001年にインペリアル・ロシア・バレエで観た時にも思ったのだけれど、全体的にどうしても古臭さを感じてしまう作品。そこにいかに新味を吹き込めるかというのもダンサーの力量のうちだと思うのだが、斉藤さんのダンスと役作りからは残念ながら伝わってくるものがなかった。首藤さんのダンスのストイックな感じはよかった。



マルグリットとアルマン

振付:アシュトン 音楽:リスト

マルグリット:シルヴィ・ギエム
アルマン:ジョナサン・コープ
アルマンの父:アンソニー・ダウエル
公爵:クリストファー・ニュートン
ピアノ演奏:フィリップ・ギャモン

衣装はセシル・ビートン。30年代から「ヴォーグ」誌でファッション写真を撮り続け、ファッション写真の第一人者的な人。デザイン自体もしていたとは全く知らなかった。マルグリットの衣装はAラインがとてもきれい。華やかな赤、清楚な白、悲劇を予感させる黒、とどのドレスもシーンとぴったりあっていてよかった。

物語は「椿姫」の主要なシーンをマルグリットの回想形式でつないだという感じ。
冒頭、病に倒れ誰にも省みられず一人ベッドに横たわるマルグリット。思い出すのはひたすらアルマンのこと。舞台は変わり、社交界でのマルグリットとアルマンの出会い。その後田舎での二人の甘い暮し、アルマンの父が、息子とは別れてくれないかとやってくる場面。再び社交界、誤解からマルグリットを罵倒するアルマン。最後マルグリットが死に至る場面(ここが冒頭の場面と時間的に繋がる)。

一般的な「椿姫」の物語の印象は「あわれな美しい娼婦の悲劇」というところであるだろうが、ギエムがやるとそこに「知性」というものが加わる。高級娼婦なのだから馬鹿では務まらないとは思うけれど、ギエムのマルグリットはこういう境遇ではあるけれど、意思が強く、男に頼らなければ生きていけないという感じではまったくない。それでギエムがこういう女性を創造する(古典とか)と、その先の弱さ表現が今までは今ひとつな感じなわけだったけれど今回は違っていた。

リストの流麗なピアノ曲に沿うようにしっとりと作られたダンス。すごく見所があるというわけではないけれど、ダンサーが演技するのを妨げない上品な振付。

このアシュトンの振付にのってギエムがみせてくれたのは、意思の強い女だからこそ、その裏側に持っているはかなさや弱さだった。決して自分に起こった悲劇を強調することのないしかしだからこそ観る者を圧倒する弱さ。厳格なアルマンの父に諭されて別れる決意を悲痛な思いでするマルグリットも美しかったし、アルマンに手ひどい仕打ちを受けてなすすべもないマルグリットの失意も美しかった。

しかし最後のシーンではそんなマルグリットも激情を迸らせる。悔恨にさいなまれているアルマンもまた自分の激情のままに彼女と踊る。感情表現のすべてをダンスであらわすバレエの素晴らしさは、ここに極まる感じだ。芝居なら病の床に伏せっている愛しいひとと実際踊るようなことは絶対にない、傍らで見守る彼の心がどれだけ激しく渦巻いていようとも。しかしバレエはそれが可能だ。それが許されている。アルマンは死に瀕しているマルグリットの肉体を激しくかき抱き、高く持ち上げ自分の激情のありったけをダンスにする。マルグリットはアルマンのダンスに全て応えることはできないけれど、その踊りはアルマンが再び自分のところに戻ってきた歓喜と死ななければならない我が身の悲しみに引き裂かれて、やはりこの上なく美しいのだった

ギエムとコープのパートナーシップは非常に素晴らしかった。コープは久し振りにみたけれど、素晴らしいスタイルとダイナミックでありながらどこか繊細な雰囲気がアルマンにぴったりだった。最後のシーンも無駄な感情表現がなくシンプルであるがゆえにダイレクトに心に響いた。それからコープと踊るギエムは、なんと綺麗なことか。身体的条件や表現方法がもしかして一番ギエムにあってるダンサーなのではないかと今回の公演を観て思った。

あとはアルマンの父役のダウエル。息子への思い、マルグリットの思いそれぞれを複雑に滲ませた演技は圧巻だった。

「三人姉妹」「マルグリットとアルマン」ともに非常に完成度の高い舞台で、観ることができたわたしは大満足なのだった。ギエム、ありがとう〜〜。またこういう舞台を持ってきてね!
2003/06/13 Fri カオル