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ムソルグスキー記念
レニングラード国立バレエ団 公演観劇記
白鳥の湖
2001年1月18日(木)
アクトシティ浜松
音楽/P・I・チャイコフスキー
振付/M・プティパ、L・イワノフ
改定演出/N・ボヤルチコフ
指揮/セルゲイ・ホリコフ
管弦楽/
レニングラード国立歌劇場管弦楽団
  • オデット/オディール・・スヴェトラーナ・ザハロワ
  • ジークフリート・・・・・・ファルフ・ルジマートフ
  • ロットバルト・・・・・・・イーゴリ・ソロビヨフ 

レニングラード国立(マールイ劇場)バレエの来日公演は今回でなんと11回目なのだそうです。11回と一口に言うのは簡単ですが、11年間連続というのは並大抵なことじゃないです。スゴイです。
しかし、正直に告白してしまうと、最初の頃(91年)はソ連も崩壊したし、資金集めに毎年日本に来てるんだよなあ、あんまり自分のところにスターがいないから、フランスとかからダンサー呼んで、なんかお気楽だよなあ、とか失礼なことを思っていました。
なので、11回中見たのは3回(今年、去年、95年)に留まっておりますが、ここ2回見た印象は、マールイバレエってなかなか良いバレエ団だったのねということでした。もともとがロシアバレエ好きなので、印象が悪いわけはないのですが、歴史的に華やかなスターをたくさん出しているキーロフに比べると、いまひとつ地味なイメージがあるのは、しかたのないところではあります。
しかしここもキーロフと一緒で、ワガノワバレエ学校の卒業生トップクラスが入ってくることに、間違いはないわけですし、滅多なことではレベルが下がるということはないわけです。
わたしは実は、マールイの「白鳥」を見るのは初めてなのでした。去年は「海賊」、95年は「ジゼル」でした。
(映像で出ているルジマートフのも見ていないというファンにあるまじきわたし、ビデオはなかなか買う気になれなくて…。ビデオで出ているバレエの映像、早くみんなDVDにならないかなあ)
見る前にパンフレットも読んでいなかったので、全くの前知識無しで、舞台を見ました。

一幕一場

「白鳥」は始まってすぐ、王子さまが舞台に出てくるのでうれしいですね!
久し振りに見るルジマートフの王子さま姿に、目が釘づけでした。白タイツ姿が美しいです。もちろん、アリやソロルのハーレムパンツも似合いますが、白タイツも格別なものがあります。腰から脚へのラインや大腿筋の付き具合(笑)とか、本当にうっとり〜です。もちろん、そんな細かいことだけではなくて、全体のたたずまいがまた、美しいのです。

「白鳥の湖」というのは、よく言われることですが、王妃さまは存在しても王さまはいない。父性というものが存在していなくて、それゆえに母と息子の結びつきが強調されたりする舞台も結構あったりします。何故父親が存在しないのか、昔ダンスマガジンでそんな記事を読んだ気もしますが忘れてしまったので、だめなんですが、「白鳥の湖」の王子の成年式は、「眠り」のオーロラ姫の16歳の誕生日ほど、一点の曇りもなく晴れやか〜という感じはあまりしません。
男性と女性の違いも大きいのかもしれません。ジークフリートはこの日から、程なくしてお嫁さんをもらって一国の城主としての重責を否応なく背負わされるわけなのですから。
で、ルジマートフのジークフリートですが、彼独特の憂いを含んだたたずまいは、そんな王子に生まれついてしまったものの哀しさや孤独感が滲みでていて、やはり、他の凡百な王子さまに比べると、内包しているものの深さを感じてしまうのです。
踊っているわけでもなくただ立って、歩いて、仲間と杯をかわしているだけなのですが、わたしにはそんな風に見えてしまう。明朗快活な王子さま(もちろんそういう王子さまもありだし、わたしも嫌いではないのですが)が好きな人は、このルジマートフの王子さまは、ちょっと大人びてい過ぎてるし、内証的すぎて、なんだかなあとか思ってしまうかもしれません。もちろんお祝い事なのだから、全く楽しそうじゃない、ってわけではないのですが、控えめな微笑みの裏についそんなものを感じてしまうわけです。

マールイの「白鳥」では道化は存在しません。それから、成年式にお妃さまから贈られる、弓矢もありません。なので、全体のトーンがしっとりと落ちついていて、このルジマートフの憂いが勝った王子となんともよく合っていました。
去年のキーロフの公演では、ルジマートフは故障もあって結局「白鳥の湖」を踊らず終いだったわけですが、キーロフバージョンだったら、どうだったかしら? とちょっと興味があります。
一幕ももっと華やかだし、なんといってもハッピーエンドですからね。
さてでは、王子さま以外のことも少し(笑)。トロワですが、さすが、マールイ、その辺はもうばっちりです。わたしの好きなキーロフ版(というのかどうなのかわかりませんが)だし。
それから、この一幕一場の最後、宴の終わりを告げるちょっと物悲しい旋律がわたしは大好きなのですが、オケももちろん素晴らしくて、ニ場への期待をいやがうえにも盛り上がらせてくれたのでした。

一幕ニ場

弓矢をプレゼントされなかった王子は何故森に迷い込むのだろう? と疑問に思ってパンフレットを見直したら、「王子は白鳥狩に誘われて…」とあったので、えっ? そうなの? とちょっと不思議に思いました。もうこうなったら(どうなったらだ?笑)、

”仲間も去っていってしまったし、森にでも散策に行こうか…、近々各国の姫君達を招いた舞踏会が開かれるというし…、そう、それはただの舞踏会ではなくて、そこから妃になる人を選ばなければいけないという…、ああ、自分の立場もわかってはいるが気が重い……。”(長いっすね、笑)

ってなルジ王子でわたしとしては、全然オッケーなんですけど〜、って感じですね。
かくて、ふらりと森にやってきた王子の前に、ちょうど白鳥から人間の姿にもどった娘達がサーっと通りすぎていきます。ここはキーロフのような白鳥のお人形を使ったりしない、美しい娘達が、幻のように目の前を通り過ぎていく、それに誘われるように森の奥深くに迷い込む王子。というわけで、こう考えれば、弓矢は全く必要ないですね。というか、この演出はかなりわたしの好みでありました。

さて、ザハロワのオデット登場。ザハロワのオデットはわたしは幸いにして二回目なのですが、前回より近い席で見ることができたせいもあってか、今回は体調的にもベストでほんの1ヶ月の期間であってもどんどんバレリーナとして成長しているのか、まあ、いろいろ理由はあるのでしょうが、本当になんというか、なんというか…、もう言葉がないです…。ってそれでは感想にならないので、なんとか書くことにしますが、もう本当に美しい…、バレエという美しいものをどんどん、どんどん、研ぎ澄ましていったら、こういう風になりましたという美さなのです。どこか別世界に連れていってくれる、という言葉はよく使いますが、本当に真の意味で別世界を形作っている、としか思えないです。
白鳥のアダージョを見て、あんなにもゾクゾクしたのは、本当に初めてでした。文字通り鳥肌が立つほど美しい、そんなオデットです。その肢体が完璧である、ということももちろんあるでしょうが、それだけじゃない、全ての振りにオデットとしての情感が漂うのです。自分の悲劇的な運命と、それから、今日会ったばかりの王子にひかれ恋をし、恐れながらも、自分の運命を託していくところ、そんな気高いながらもひたむきで、美しいオデットの心をも感じることができました。

ルジマートフとの相性も、本当によくって、何故こんなに美しいの〜〜と何度も、胸の内で叫んでました。身長的な相性からいうと、ルジマートフはザハロワには若干低いかな、とも思うのですが、見ているうちにそんな心配はどこかに吹っ飛びます。二人の身体がぴったり寄り添った時の一体感が、本当に素晴らしい。「白鳥」のアダージョは特に、オデットが王子にその身を預けたり、もたれかかったりする振付が多いのですが、その度に見てるわたしは、陶然となりました。
コールドもなんの問題もありません。白いバレエを思いきり堪能しました。

ニ幕

前回のザハロワのオディールは、病上がりのせいか踊りの端々がちょっと荒っぽかったのが気になったのですが、今回は全くそんなこともなく、完璧なオディールでした。そう、美しく完璧な誘惑者。王子がオディールとオデットを間違えて愛を誓う、というのがまあ、一般的ではありますが、全然性格違うだろうにどうして? と自分が小さい頃は思ってました。今でも、そう思わないわけではないですが、ザハロワのオディールのように抗いがたい魅力を持った女性が目の前に現れて誘惑するわけなのだから、それに負けてしまったとしても、もうどうしようもない、そういう運命だったのだ、と思うしかないです。
それほど、ザハロワのオディールは(オディールも)美しかったです。目線や微笑みがオディールの場合重要だと思いますが、どれも小気味よく決まってました。
ルジマートフのバリエーションですが、もうさんざん同じ事を言ってるので、またかってな感じですが、やっぱり美しい。鋭さは確かに昔ほどないでしょう。でもやっぱり、ポーズの美さや全体の雰囲気はルジマートフにしかないものですし、わたしはそれを見る度に、幸福な気持になります。

ディヴェルティスマンはキーロフに比べると、ちょっと大人しやかかな、と思いました。ちょっと迫力に欠けるかなって感じです。キーロフのディヴェルティスマンはほんっと素晴らしいですもんね。

三幕

オディールに愛を誓ってしまった王子は、もう二度とオデットと幸せになることはできない、それがもう大前提にあって、マールイ版はロットバルトが絶対的な力を持っています。この絶対的な力に何で対抗したらいいのか、となるともう自らの命を投げ出すしかないわけで、オデットと王子はお互いの変わらぬ愛を確かめあって、二人湖に身を投げます。

ここに至るまでが、また美しいのです。オデットと王子が寄り添う、でもロットバルトによって引き裂かれる、真中にコールドの白鳥達をはさんで、舞台の端と端で互いの姿を求め合う二人。舞台奥の湖の前でやっと一緒になれた、と思ったとたんに身を投げてしまうというなんと儚く、潔い愛の形でしょう。この悲劇版はパンフレットによると、プティパの原案メモから再現されたそうですが、この悲劇がまた、ザハロワとルジマートフによく合っているのです。ハッピーエンドも悪くないですが、死をもって成就する愛、どこまでも自分達二人だけの愛の世界を貫くというちょっとナルシスティックな感じでもあるこのラストは、ザハロワとルジマートフの二人の作り出す世界と本当によく合っています。

二人とも死んでしまうのだから、オデットこそが、ジークフリートにとっては宿命の女なわけでザハロワのオデットはまさしくそれ程美しいのです。
この悲劇版を見てしまったから、キーロフのハッピーエンド版は、この二人がやると、違和感があるかもしれない、っていうか私はあんまり、ハッピーエンドのこの二人の「白鳥」は見たくないかもと思いました。でも実際、見る機会があったらきっと見ちゃうでしょうけど(笑)。


新幹線に乗って浜松まで行って、本当によかったです。隣りに座っていた多分地元の方が、終演後「本当にきれいだったね〜」と言っていたのが、なんか自分のことのように嬉しかったです。
こういう舞台がこれからどれだけ見られるのだろうか? と考えるとちょっと寂しくなりますが、これからも自分のできうる範囲で、ルジマートフを見ていきたいです。

★カオル

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