妄想ウルトラマン80■
■第31話■怪獣の種飛んだ

を亡くし神経性心臓病で床に伏す母親に大好きな花々を見せれば病気が治ると信じ、少女・マリコは花を育てる。そんな少女の前に、巨大なタンポポの綿毛のようなものに乗って怪しい種が飛んできた。マリコは、大きくきれいな花を咲かせようと懸命に育てるが、その種は不気味な芽を出し、巨大化した。

花粉(毒ガス)を撒き散らし、ムチ状のツタを振り回して暴れ狂う植物もどき怪獣ゾラ。花壇の花々は枯れ果て、少女は泣き伏す。「もう病室を花で飾ることが出来ない。母の病気も治せない…」。

エイティは、マリコに気付かれないようにメディカルパワーで花を生き返らせるのだった。

Fテイストあふれる「中期UGM編」が終了し、「子供との交流編(便宜的に)」が始まる。矢的猛とマリコの出会い、母親の病気とマリコが花を育てるわけなど、オープニングテーマ前の導入部分で基本設定が丁寧に描かれている点は、評価に値するのではないか。マリコに励まされながらも物憂げな表情のままの母親のアップからオープニングテーマへ、といった流れも良い。
■誇張しているとはいえ、ゼンマイのような、幼虫が丸まっているような「不気味な芽」にはやや興ざめする。が、この「漫画的な世界」もまた「子供との交流編」の特色であることは確かだ。
■「一体、この芽は何だろう、何の芽なのだろう」「UGMが探知している反応とは、この芽から出ている異常なエネルギーではないのか。だとしたら、マリコに危険はないのだろうか」って、ナレーションが前面に出過ぎ。
■「怪獣のパワーが小さいうちに倒さなければ」といっておきながら、見るからに不気味な芽を「怪獣じゃないかも知れない」「有害じゃないかも知れない」として、マリコの情に流された(?)矢的猛に落ち度はなかったのだろうか。矢的猛が芽を調べる直前に、芽は小鳥を捕らえ食らっていたのだから、その痕跡ぐらいあったのではないか。というか、超人的能力で、その芽が怪獣であることに気付いてしまうのが「矢的猛」なのではないのか…。
■ゾラは植物もどき怪獣ながら、人型のシルエットであることが残念。というか、「もどき」だから人型でいいのか…。
■枯れ果てた花を見て泣き伏すマリコだが、すぐ近くに光の巨人が立っていることには興味なしか。
■花も生き返り、母親も元気になりそうな兆しを見せて、めでたしめでたし。これは『ウルトラマンT(タロウ)』が目指した「新しいおとぎ話」路線のストーリーといっていいだろう。「ウルトラマン先生」というオリジナルテーマが実質的に消滅した時点で、『ウルトラマン80』はかつてのシリーズの「いいとこ取り」が出来る「器」になったといえるのではないだろうか。『ウルトラセブン』的SFドラマもOK、『T』的人間ドラマもOK。結局のところ、これが『80』の魅力なのだと感じさせるに十分な、「子供との交流編」幕開けを飾る佳作だ。(2004/9/4)

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