高橋真梨子 ニューヨークカーネギーホール公演 オフィシャルツアー』に参加した。

私にとっては海外旅行自体が2001年の真梨子さんのハワイツアー以来2回目である。真梨子さんのファンでなければ海外旅行など縁が無かったろうと思う。
 H.I.S.主催のこのツアー。A日程で申し込んだ「マリーズツアー」会員は6名、B日程が2名、独自に出掛けられた方が1名、お連れ様を含めて総勢12名の応援団である。


1029日(水) 『アメリカ本土に行くぞ!』

 私は14時ころ成田空港着の地元から出るバスで出掛けようと考えていたのだが、皆さんが1159分着のJR特急・成田エクスプレスを利用されると聞いてこれに合わせた。荷物は前もって空港に送付し身軽、便利になったものである。
 最近は電車のダイヤも安心出来るものではないので早めの9時に家を出た。池袋1033分発の成田エクスプレス19号に乗り、成田空港駅のホームに降り立つと6名が勢揃いである。
 このツアーは、1635分発ニューヨーク・ニューアーク空港行きコンチネンタル航空利用の第1陣と1825分発ニューヨーク・ケネディ(JFK)空港行きアメリカン航空利用の第2陣に分かれている。私は第2陣、同行のmansellさんと2名である。
 6名で昼食を済ませ、第1旅客ターミナルでchisatoさん、なおさん組、かずさん、TrueFieldさん組、4名の搭乗手続きに付き合い、出発が10分早まった第1陣の方々をセキュリティ・ゲートで「いってらっしゃい!」と見送った。

 私とmansellさんは、シャトルバスで第2旅客ターミナルへ移動、先に送っておいた荷物を引き取り1610分集合というツアーデスクに行った。「まだ早いけど」とスタッフが受付を済ませてくれ、ガラガラのチェックインカウンターへ。お陰で搭乗手続きも早々と済ますことが出来たのだが、ここで手にした航空券は二人とも「A」席で窓側に縦に並ぶことになる。代理店が割り振った席との事であるが横並びの席に変更して貰った。しかし、これが最後部の席で東南アジアの方々の団体に囲まれることになったのである。

 搭乗口ではコンサート会場でいつもお会いする方々も揃い、18時前に搭乗した。アメリカン航空のボーイング777の座席は、2-5-29列で国内便(3-4-3)より1席少ないが、ピッチは期待した程ではなく国内便と大差なかった。成田−ニューヨーク直行便は12時間超の行程でちょっと辛い。ともあれB-777の最後部の隅っこに収まり、さぁいざニューヨークへ出発である。アメリカン航空AA168便が1908分に滑走路を飛び立った。
 飛び立ってじきにひどい横揺れが始まり結構長い時間続いた。このままでは酔ってしまうが、何とか落ち着いてくれてやれやれである。

 各座席にはモニターがありオンデマンドで映画、ドラマ、音楽etc.楽しめるのだが当然英語で迫ってくる。とりあえず以前に吹き替えで観たことがある映画を楽しんだりした。
 機内食は3回あり、初めがメインでご飯にすき焼き風味の煮物と握りずし、パンにサラダとデザート。何ともバラエティに富んでいるメニューではある。味もまぁまぁ文句のつけようは無い。あとの2回は、パンと果物程度であった。
 やがて機内が消灯されニューヨークに着くまでこのままであったが、日本を夕刻に飛び立ち12時間後にアメリカの同日夕刻到着ということは、1日を1.5倍生きることになるので機内では4時間の仮眠をしようと決めていた。離陸して6時間後にはアラスカ上空で朝を迎え、その6時間後にはニューヨークの夕日を見ながら着陸するのである。
 ケネディ空港はマンハッタンから直線で南東およそ20km。イーストリバーを渡ったブルックリン側にあり、第1陣のコンチネンタル航空が使用するニューアーク空港は反対方向、ハドソン川対岸のニュージャージー州にあるが距離は同じようなものである。
 空港の上空を旋回するB777の窓からは、郊外の広々として綺麗に区画された町並みの紅葉が大変美しく見えた。30分ほど旋回を続け、アメリカのサマータイム1750分着陸。「やっと着いたか…」と腰を伸ばし入国審査の列に並ぶがこれが大変な時間を取られるのである。人差し指の指紋を機械で記録され、顔写真を撮られる。ここでは笑顔は禁止!「ニコリ」として、どうも注意された方があったようだ。
 この審査で引っかかり別部屋に連れ込まれたという方があって、全員がロビーに1時間も待たされホテルに着いたのは21時であった。

 滞在ホテルは『パークセントラル』で7th Ave./56th St.の交差点にあり、はす向かいにはコンサート会場となるカーネギーホールの建物がある。セントラルパークも徒歩5分と掛からない好立地なのである。
 mansellさんと喫煙出来る部屋を希望しようと言っていたのだが、なんと手回しの良いツアーでバスの中でキーが配られチェックインは必要ないという。「ニューヨークでは禁煙だね」と意を決したのだが、これが意外な方向へ。建物の中は何処に行っても禁煙なのだが、道路には結構吸殻入れがあり、歩きタバコのニューヨーカーも多い。このホテルの入口にも両サイドに吸殻入れがあり、大変お世話になる事になったのである。
 1陣の4名とロビーで待ち合わせ遅い食事に出掛けたのだが、思ったような店が見当たらずパスタ、サンドウィッチなどの店に落ち着いた。英語は堪能なのだが、普段使わないし歳も重ねてまるで話せなくなった…と皆さんの思いが一致した。本当かな〜。メニューを見せられてもどんなものが出てくるのか見当もつかない。日本のファミレスのように「写真が付いていればいいのにね」と取りあえずは生ビールを「シックス」注文した。
 私はパスタを注文したのだが、味は薄く量は2人前。とても食べきれる量ではない。なおさんはどうやって食べたものかと思うほどのサンドウィッチを4分の3残してしまった。

 翌日はオプショナルツアーでナイアガラの滝に出掛ける予定である。当初、4時半から7時の集合とパンフに書いてあったが、730分集合ということでまだまだ良かった良かった。ホテル前で一服して部屋に帰ったが、このホテルはバスのシャワーが壁に取り付けてある、よく映画で見るあれだ。トイレも洗浄トイレではなく、紙はアメリカ人仕様でとても丈夫に出来ている。洗面バスルームに排水口が無いのでシャワーの水がバスタブから出たら便器周りがびしょびしょになる。更に換気扇が無いので湯気がモクモクとなる。当然、部屋にも空調など見当たらない。素晴らしいホテルだ。つい日本のビジネスホテルと比べてしまう。



1030日(木) 『オプショナルツアー「ナイアガラの滝」に出発!』

 時差ボケのうえ寝不足なのだが6時に起きて準備万端、7時からの朝食ブッフェに出掛けて、そのまま730分にロビーに集合した。「ナイアガラの滝」オプショナルツアー参加者は35名程度で大型バスには余裕がある。A日程の6人で参加した。
 この日もケネディ空港の利用で国内便のjetBlueという航空会社であった。ケネディ空港の新しい5番ターミナルを使っている。ホテルからケネディ空港はバスで1時間弱。セキュリティゲートを通過してから「一服したいね」とmansellさんとウロウロしたが喫煙スペースは無い。ちゃんと通じたかは“?”だが、「タバコを吸える所はあるか?」と職員に聞くと「NONOOUTSIDE」との返事。仕方なくそのまま935分発のバッファロー行き9便、エアバスA320に乗り込んだのだが、航空券はプリントされたペラ紙であり、それも搭乗口で無造作に3分の1ほどを破りもがれるのであった。それよりアメリカでのセキュリティチェックの厳しさを思い知らされた。
 上着を脱がされ、ベストも脱げ、ベルトを抜かれ、靴を脱がされる。「ズボンも脱ぐのか?」とジェスチャーしたいほどだ。その反面、ライターはバッグに入れたままで問題ない。あぁこれぞアメリカだ!
 このA320型の飛行機は3-3シートで前席とのピッチは広く、この飛行機で東京から来られたらいいなぁと思ったほど快適であった。948分に離陸してバッファロー空港には1055分着。およそ500kmの行程で、東京-岡山ほどの距離である。
 バッファロー空港に到着し、いよいよナイアガラの滝に向かうのだが、その前にやっとの一服。空港の外に出て喫煙スペースに行くと丁度パトカーが止まっていた。まさかにでも逮捕されては困るので、ここでも通じたかは分からないが警官に「写真を撮ってもいいか?」と聞いて「フンフン」という許可を貰って撮ったのがこの1枚の写真。う〜ん!「これぞアメリカだ」


 NGSNIAGARA FALLS GUIDE SERVICE)の小型バスが迎えに来ており、早速乗り込んだのだが運転手は帰りまで何人か代わったがずっと女性であった。それが凄い運転をするのだ。一般の乗用車を追い越し、決して良い道路ではない所もお構い無しの運転であった。
 地元のガイドの方はとても好印象で、語尾がはっきりした発音でおもしろおかしく説明をしてくれた。
 ナイアガラの滝は、北米5大湖のエリー湖とオンタリオ湖の間にあり、エリー湖がおよそ九州、オンタリオ湖はおよそ四国の大きさである。ナイアガラの滝は、ゴートアイランド(ヤギ島)で二つに分かれ、アメリカ滝とカナダ滝となる。カナダ滝は「ホース・シュー・ホール」と言い、馬蹄形の滝という意味である。ナイアガラの滝は、水勢により年間1m余り上流に移動してきた歴史があり、現在は上流に水門を作って夜間や冬季のオフシーズンには水流を弱めて移動を1〜2cmに留めている。だが、落差が2m低いカナダ滝に90%の水が流れるため、上流の水門はカナダ領にしか無い。ということであった。

アメリカ・ニューヨーク州バッファロー近郊のナイアガラフォールズ市からカナダのナイアガラフォールズ市へは一応カナダの入国審査があり、国境の橋レインボーブリッジを渡ったところで全員バスから降りてパスポートを見せなければならない。だが、帰りのアメリカ入国審査は審査官がバスに乗り込んで来て笑顔を振り撒きながらパスポートを確認するだけである。このレインボーブリッジは当然、東京のものより遥か前からあるものだ。まずは、クイーンビクトリア公園でバスを降りアメリカ滝を正面から望む。カナダ滝も程近くに見えるのだがそちらはあとの楽しみとなる。
 そしてこの街では、シェラトンホテル13階レストランでのブッフェの昼食と散策で2時間を過ごすことに。









 バスを降りると丁度コカコーラの配送トレーラーが止まっていた。ニューヨーク市内でもトレーラーは何度と無く見掛けたが、やはりこれも「アメリカ!」である。ナイアガラのアメリカ滝をしばし楽しみ、昼食は6名揃ってビールでカンパイ!したのだがお皿に載っているのはパークセントラルの朝食と大差ない。海外旅行にカップヌードルやお茶漬けを持っていく心理が十分に理解出来るのである。
 簡単に食事を済ませ街を歩いた。ニューヨークの街にも言えるが日本ではお目に掛かれない原色の看板などが目につく。「Hard Rock CAFE」の前に行って写真を撮ったりしたが、カジノを体験する時間は無かった。

 このあとは、いよいよカナダ滝。テーブルロックというカナダ滝が落ちる脇から観光が出来る場所だ。バッファローからバスに乗ると、じきに水しぶきが見えるほどもの凄い滝で、快晴の天気に恵まれ到着時からずっと美しい虹が迎えてくれている。
 滝の直下を巡る船は冬季に入り惜しいことに数日前に終了していた。季節はまさに冬なのである。そこでまずは滝裏の観光である。日光の「華厳の滝」にもあるようなエレベータで降りるのだが、ぺらぺらな物ではあるがナイアガラの滝がプリントされたビニール合羽をくれる。洞窟のような通路を順路に従って歩くとまずは「滝の裏」を見る所に出るが、ただ水が流れ落ちているだけである。それが2箇所あり「なんだよぉ、合羽なんていらないじゃん。」と思うのだが、そのあと滝の横に出るとこれは凄い迫力である。更に一段下のデッキに出ると1枚の写真を撮るのにずぶ濡れになってしまう。










 あとは地上のテーブルロックでの観光を楽しむのだが、ナイアガラ川から滝となって落ちる所を脇から見ると飲み込まれそうな大迫力なのである。是非、一見の価値はある。
 ともあれ、前日は小雪が舞ったというナイアガラであるが絶好の好天気に恵まれ、ダウンコートの前をはだけて歩いて丁度良い気候であった。

 その後、下流の地平線を望む場所やナイアガラ川が「く」の字に曲がるワールプールで渦巻きが見られる場所などを案内され、最後はお決まりのみやげ物屋に案内される。ツアーではお決まりのコースであろう。ただ、カナダに入った入植者のそもそもの目的が「ビーバーの毛皮」と聞くとつい手が出てしまうのはしょうがない。カミさんにビーバーのマフラーをみやげにした。


 このツアーは帰りが遅くなるので夕食の弁当を手配してくれると言うが、この日の昼もワンプレート・ブッフェであり既に食傷ぎみ。断って、深夜にホテル近くのデリで買い物をして済ませることにした。
 帰りのjetBlueE-190型という知らない飛行機で、座席も2-2の小さいものであった。2000分発のケネディ空港行き131便は2030分にバッファロー空港を離陸、2145分に到着した。パークセントラル・ホテルに帰り着いたのは23時である。予定通り近くのデリに入り、パスタ、から揚げを量り売りで、ビーフジャーキーとバドワイザーの500ml2本を買って部屋に戻った。翌日は8時半に朝食を摂る約束であるが、シャワーを浴びて寝たのは2時過ぎである。



1031日(金) 『コンサート当日 ニューヨークを歩く』

 約束通り、8時前に起きて朝食会場に行った。やはり皆さん少しトーンが低い。9時過ぎに予定通り6名でホテルを出発してすぐ脇のブロードウェーを南下、2kmあまり散策してエンパイアステートビルに向かった。バスの屋根の上に乗って巡る観光もあるのだが、マンハッタンはビルだらけで日差しがなく座っていては寒そうである。行き交うイエローキャブや交差点のアベニュー/ストリートの表示盤は勿論、ドでかい看板を見て「アメリカだ!」と感激してしまうのである。


 エンパイアステートビルの入口は5th AVE.に面している。ビルに入りチケットを買うのに並んだが、まだ空いている時間帯で、帰りには五番街の歩道まで行列が出来ていた。その顔ぶれは東京タワーと同じでほとんどが地元・アメリカ人という感じである。
 竣工当時は世界恐慌の影響でオフィス部分は多くが空室のままで「エンプティー(空の)・ステート・ビルディング」と言われた時代があったそうだ。展望台は86階で19ドル。さらに最上階の102階にも15ドル出せば昇れるとあり、折角だからとチケット売り場で紙幣を出すと今は閉鎖しているとの返事で「OKOK」それならいいの。遠くリバティ島の自由の女神も見え、望台をぐるりとひと回りして地平線、水平線の眺望を楽しんだ。

 帰りは表通りの五番街を北上、有名ブティックの並ぶ街並みをブラブラと歩いた。丁度12時を回り、調べておいた日本の店で昼食を摂ることにしたのだが、その「らーめん居酒屋/めんちゃんこ亭」には既に行列が出来ており、お隣の空いていた日本食「鬼が島」に入った。生ビールに親子丼を注文したが、背中では金髪のおねえさん6名が日本酒を飲み海老天丼を美味しそうに食べていた。


 お腹も満足して、すぐ近くのカーネギーホールを訪ねた。日本でのコンサート会場で見るものの4倍はある真梨子さんのポスターに感動し記念写真。建物の中を覗いてみたが、入口のドアを入るとエンランスホールというものが無くチケット売り場があるだけで、両サイドにホールに通じる狭い階段があるだけの歴史を感じるものであった。


 次は、私のリクエストですぐ近くのセントラルパークへ。とは言っても東西800m×南北4000mという“ドでかい”公園である。
 お目当ては「The Dakota」。ダコタハウスともダコタアパートとも呼ばれるビートルズのジョン・レノンが住んでいて、アパートの前で銃殺されたその建物だ。アパートと言っても日本で言うところの「超高級マンション」である。現在もオノ・ヨーコさんがお住まいと聞いており、入口には警備員が配置され鉄の扉内には入れない。「ついに来ましたよ」という気持ちで記念写真を撮ってもらった。

 このダコタハウス前の入口からセントラルパークに入るとすぐに「ストロベリー・フィールズ」がある。タイルで描かれた円形のモザイク「イマジンの碑」があり、この日も賑わっていた。


 公園内には、2日後の112日(日)に控えたニューヨークマラソンのゴールが出来上がっており、準備も万端という感じである。ただ、お陰で真梨子さんとヘンリーさんが婚約を発表されたというレストラン「TAVERN ON THE GREEN」は、ランナーの荷物置き場となる大きなテントが前に出来ており入口にまでブルーシートが被さっていた。紅葉に感動しながらこれで一旦16時前にホテルに戻り休憩、夜のコンサートに臨むことにしたのだが、トータル10kmほど歩き回り「歩くのは平気」な私もさすがにちょっと疲れた。

 (コンサートの模様は2008「Swing Heart」ツアー日記をご覧ください。)

 コンサート終演後、近くのファミレスのような店で今夜は料理をシェア、分け合って楽しんだのである。



11月1日(土) 『ニューヨークツアー市内観光とディナークルーズに出発!』

 4日目は、バスに分乗しての市内観光と夜のディナークルーズである。0830分に集合して、日本人客向けに「4」を抜いた7号車までの6台での時間差出発となる。私とmansellさんは3号車。バスに乗ると「集合時間を守ってください」と何度となく注意があった。途中、何度もバスを降りて見学するのだが、バスを止められず約束の時間にまたバスを回して来るという場所もある。そんな中、やはり遅れる方もあって積み残して出発する場面もあったのだ。

 バスはホテルから昨日歩いたブロードウェーを通り、タイムズスクエア〜コリアンタウン〜ワシントンスクエア〜ウォールストリート〜バッテリーパーク〜グラウンドゼロなどを回って昼食はサウスストリートシーポートでのブッフェ、国連本部を最後に一旦ホテルに戻るコースである。
 元々はインディアンの通り道だったそうで、碁盤の目になっているマンハッタンの道路で唯一斜めに走っているのがブロードウェー。劇場街のタイムズスケア、お得な食事が出来るというコリアンタウン。バスを降りてワシントンスケア・パークの凱旋門はジョージ・ワシントンだ。証券街のウォールストリートでもバスを降りたが、証券取引所を覆うくらいの巨大星条旗に目を引かれた。これも「アメリカだ!」

 バッテリー・パークはマンハッタンで「自由の女神」に一番近い場所であるが、まだまだ遠くに霞んで見える。


 古いブルックリン橋を間近に見るサウスストリート・シーポートでの食事は今回もブッフェ・ランチで、ビールを一杯頼んで乾杯したが完全に食欲をそがれてしまう。更に普通に言うバイキングでは無くまさに「給食」だ。皿を持って並ぶと順番に乗せてくれるので皆さんが同じ“盛り”なのである。「ごはん」もあるにはあるが「ご飯」とは言えない一粒一粒が独立したパサパサなもので、これはノーサンキュー。
 この後は国連本部を見学して14時ころに一旦ホテルに戻り解散、なのだが
、ここでもディナークルーズに出発する1600分の集合時間を守るよう、うるさいくらいに言われた。乗船前に真梨子さんを囲んでの集合写真を撮ることになっており6台のバスが順番にホテルを出発しなければならない。「桟橋に真梨子さんを待たせて風邪を引かせたら大変」と何度も繰り返した。

 改めて「ディナークルーズ」に出発した。さすがに集合時間前に全員が揃って早めに出発出来た。のだが、
桟橋に到着して順番に写真を…というところで何と真梨子さんが遅れているらしい。大型バス6台分の200数十名が桟橋に2列に並んで待つことになったのである。ここでは隣の桟橋に空母が繋がれている。「あ〜アメリカだ!」
 20分ほど待たされたであろうか。真梨子さん、ヘンリーさんとヘンリーバンドのメンバーが揃って並び、その後ろに40名ほどが陣取るのだが、女性のパワーにはとてもかなわない。一番後ろで何とか顔と顔の間に顔を出そうとするのだが…、まともには写っていないだろうな。

 乗船口でワイングラスを取って乗船すると指定席は船のほぼ中央のテーブルで、ハワイでご一緒した4組のご夫婦と相席であった。12名テーブルで10名が知り合いということになり、向かいにふたつ空いた席に掛けられた2名は寂しそうである。話しかけると千葉からみえた親子さんだそうだ。お母さんが一人では寂しいと言うので一緒に来たと若いお嬢さんが話した。

 ディナークルーズの“ディナー”であるがこれもブッフェで、仕方なく「つまみ」になりそうな物を見繕ってビールの飲み放題に徹した。
 クルーズはハドソン川からのマンハッタンの夜景を十分に楽しめ、リバティ島の「自由の女神」前では停船してくれるのである。この船にはフロアの一番後ろに小さなステージが用意されている。真梨子さんは一番後ろのテーブルにステージに向いて掛けられており、私の席からもデッキへの出入りからも後ろ姿しか拝見出来なかった。最後には「皆さんをお見送りします」ということになっていたので、それが一番の楽しみであったのだが、「真梨子さんがお疲れ」ということでそれも無くなってしまった。なんと真梨子さんのお顔を拝見しないでディナークルーズは終わってしまったのだ。
(最大のガックリ)

 途中、ヘンリーバンド・メンバーが演奏をしていたようだが、それさえも人だかりで見えず、なんだか「ただのクルーズ」になってしまっていた。ただ、下船するときにたまたま小松崎さんと向かい合い「お疲れさま」と言うと「お〜っ!」と手を差し伸べ握手をしてくれた。これだけが唯一の嬉しい一幕であった。

 3時間のクルーズを楽しみバスでホテルに戻ったのは22時。さすがにこれから出掛けるというのは無しにして部屋に戻り明日の帰り支度をした。
 この夜はサマータイムが終わる日で、翌朝の時間は1時間遅くなるのでその分余計に寝られることになっている。この4日間、ハードスケジュールで毎日寝不足であったので嬉しいプレゼントである。もう少しゆっくりニューヨークを楽しめたらなぁと思ったツアーである。



112日(日) 『帰国します』

 帰りもホテルで第1陣を見送って0800分に集合し時間差で空港に向かった。空港では小物の「みやげ物」を見て、この日は朝食が無かったのでマクドナルドを見つけ利用した。店員に品名で注文して更にその番号も言ったのだが、何やら話しかけてくる。「ふ〜ん?は〜?」と言っていると「もういいわ」という感じで用意して差し出した。どうもアイスコーヒーに「ミルクとガムシロップはいるか?」と聞いていたようだ。サービス良くたっぷり入れてくれたようでコーヒー牛乳のようだ。日本ではこんなこと聞かれないぞと思いながらストローをしゃぶった。予期しないことを話しかけられると全然わけが分からない!

 帰りの飛行機AA-167便も行きと同じB-777で座席は「2-5-2」のど真ん中。mansellさんと、治郎さん追っかけ美女に挟まれて1150分に離陸した。14時間超を過ごし、何はともあれ成田空港に日本時間の15時30分ころ無事到着した。
 私の荷物がなかなか出て来ず、やっと手にして周りを見ると誰もいない。鍵は開けておくよう言われた荷物はどうやら開けられたようで変な具合に閉じていた。家までの配送を頼んでJR特急券を購入してホームに向かったところでmansellさんから「今どこ?」メール。どうも最後に逸れてしまった。

 なんとも強行軍のツアーであったが、ご参加の皆さんと4泊6日の旅を大いに楽しんだ。最後にH.I.S.の方々はじめ、THE MUSIXのスタッフの皆様のお陰と感謝いたします。

 また行きたいと思う「アメリカだ!」








35th anniversary
Mariko Takahashi with Henry Band

in NEW YORK
at CARNEGIE HALL 2008 〜again〜

NEW YORK ツアー日記