平成10年の水害の後整備された公園にあるだるま石の案内板


  住民に愛着を持たれていたのは確かです

だるま石


おそらくこの地に最初に定住した人たちのころから
すでに名前はあったのかもしれない
川の流れ
岩山
沼や林
便宜上のこともあれば
親しみを込めた愛称として
ごく個人的なものから
地名となるに至るまで
中には時の流れの中で変わっていくものもある
そうした名を持つものの中で
まさじいの思い入れの強いものの一つにだるま石がある
川幅20mほどの余笹川
その川は子供の頃のまさじいの夏そのものだった
朝から夕方まで魚を追って
一日中川に入り浸り
それがまさじいの夏だった

ある日
それはまさじい10才の頃の
水中メガネとモリで魚を追う
わくわくの日々の一日
出くわしたのだ
だるま石の横の
大人でも一抱えもある石が寄り集まった浅瀬
一瞬そこでかすかに動く魚の口を見た
石と石のわずかな隙間だった
ウナギだ
口が見えるところ以外に出入り口が見つからない
石を動かすには大きすぎた
膝をついて顔が出る程度の深さでも
潜らなければ何もできない
ねばった
時の過ぎるのも忘れ
少しずつ入り口を広げ追い詰めた
どれだけ時間がたったろう
とっくに昼が過ぎているのはわかっていた
今だから思う
今なら出来ないだろう
それほど夢中だった
そうして仕留めたウナギは50cmの
子供のまさじいにとってはまさに大物だった

昼をとうに過ぎたあせりと
大物を仕留めた高揚感と
ないまぜの気持ちにウナギを乗せ
家に向かった
やはり心配していた
遊び放題の毎日
昼ご飯がまともにならないのは夏休みの常だ
それでも腹っぺらしが昼に帰ってこなければ
やっぱり心配だろう
ウナギを見せた
母は驚いた
夕方、勤めから戻った父親は喜んだ
今まで川鱒を何本も上げているのだ
ふんどし一本
巨大なモリで那珂川の渕を自在に探ってきた
漁と
味わうことと
共に好きだった
それから酒が好きだった
ウナギをさばく
まな板にウナギを乗せ
頭を錐で固定してあっという間に切り身と骨と
部位が皿に盛られる
こうして父親の晩酌のつまみとなってしまった

「どこで獲ったんだい?」
それの返事が「だるま石」の横だった
部落の誰もが知っている「だるま石」
なぜそう呼ばれるようになったのだろう
形は丸みを帯びた饅頭のようだった
ただそれだけだ
だからそれから“だるま”の連想はできない
それが「だるま石」だった

平成10年8月
那須に雨が降った
半端な量じゃなかった
3日間で1200ミリ
多くのものが流された
そして余笹川の表情は一変した
たとえば転び石
象の2倍ほどもある大きな石だ
洪水のたびに転がるのが呼び名の由来だ
この石は洪水のたびに川を上る
災害をもたらさない程度の洪水なら上流側に転ぶのだ
ところが流された
「だるま石」もだ
もう一昔前のことだ
いまだに行方不明だ
だるま石が尻を上に向けていたらどんなだろう
それは新たな伝説の始まりだろうか
新しい名前を頂戴してご機嫌だったりして
それほどに人が川に親しむ時代は今は昔
今の若者に余笹川はどこへ行ったのだろう


川は豊穣だった
たとえば余笹川の中を歩く
小砂利が足に踏まれて動く
するとその中に隠れていたものが水に巻き上げられる
そこに小魚が群れ集う
小魚たちが我先に食事する
きれいな光景だった
プランクトンが、小魚が
豊穣の証明だった
そんなことを見てきただろう「だるま石」
だが大洪水は見ているだけでは済まなかった
消えてしまった
流されてしまった「だるま石」を見て
新たな名前を付ける誰かがいるだろうか
いつか
名なしでなくなるだけでいい
そうしたら
まさじいのようなささやかな思い出ができよう



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