半世紀も前に使われたヤスを見つけ出した

えびすこ

 
「さあ、行くぞ」
その一言で歩きはじめた
小学校に上がっていたろうか
そんな昔の話だ
50年以上前と言うことだ
それなのに鮮やかに覚えている
何でだろう
ひとつには楽しかったから
ひとつには珍しいことだったから
そんな気がする
ドジョウをとりに行くのだ
季節は冬
親父と二人歩き出した
親父の手にはスコップ
自分はバケツを持って
向かうは“しもっぱら”
文字にすれば“下原”だ
飛び地のたんぼがあった
集落の田んぼが連なる中で一番川下にあたる場所だ
だから当然のように湿地だ
そして水路ではあちこち水が湧いていた
葦がたくさん生えていたし
水路の底はオレンジ色が目だった
鉄分が多かったのだ
その場所は夏にはとんぼがたくさんいた
イモリもたくさんいた
地元では“アカハラ”と言った
背中はサンショウウオのようなのに
腹の部分は鮮やかなオレンジ色だ
耕地が整備された今
水路はU字構だ
全ては消えてしまった

1キロほどの距離も
親父の後について歩くには遠かった
そうやって着いたところで
さて何をするのかも知らなかった
「ドジョウをとりに行くぞ」
そう言われてついてきた
寒い
そんな時期に来たことがなかった
たどり着いた水路の幅は1mほど
長さにして100mもなく
沼のように水がよどんでいる場所
その両岸を音を立てて歩く
それからおもむろに水路を跨いだ親父
スコップを水路に入れた
と思うと水底の泥をすくい上げて
足元の土手にその泥を広げた
その泥を更にスコップの裏で伸ばした
すると泥の中にドジョウがいっぱい!

それからは夢中だった
泥だらけになって捕まえた
悪戦苦闘して
捕まえたドジョウをバケツに入れた
みるみるうちにバケツは
ドジョウでウジャウジャになった
楽しかった
それだけ
なぜかそれだけを鮮明に覚えている

今思えば“えびすこ”だったのかも知れない
我が家は新宅だったし
“えびす講”をどれだけ意識していたかは
知る由もない
捕まえたドジョウをどうしたのかも
記憶にない
家には仏壇も何もなかったのだから
それにしても
ドジョウの獲り方は理にかなっている
そして子供だったまさじいには
感動ものだった
スコップだけでドジョウを獲るなんて
想像もしていなかった

その頃の親父は20代後半
魚をとることが好きな親父だった
那珂川の渕に素潜り
大きな鱒を大型の5本ヤスでしとめる
そんな武勇伝を何度となく聞かされた
自然は豊かだった
魚を突き刺すモリをヤスと言った
5本ヤス
子供心にその大きさには圧倒された
親父の
夢中になって魚を追っていた時期だ
冬にもいくつもの漁があった

若い親父のイメージなど
どこをどう探しても出てこない

今、まさじいの中に広がる風景は
一人持ち去ってしまうにはもったいない
そんな素敵なものだった


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