晩年のタヌどん


 毛並みがぼろなのでついた名が“ボロ”の弟分と

 
 若いころは中々ハンサムでした

ああ、タヌどん


さて、血統から見たらあるいは由緒正しく
シャム、とかペルシャとか
タイやイランとは響きの違う
昔々のお伽噺につながる連続性を持っているのかもしれない
そう、タヌどんの事

それは、我が家で愛された猫の名前
石塀の上で丸くなって、じっとしたまま眼だけ動かし
だが何かを意識して見ているようでもない
時間をつぶしているようにも見えない
何かを狙っているようでもない
ただ眺めているように見える
それが彼のスタイル
我が家でタヌと呼ばれた野良猫のことである

夕ご飯の残り物の魚が目当て、ばかりでもない
近くにいるのに
けっして人に近づかない
これだけ人間の生活に寄り添って生き
これだけ野生に近いのはすごい
まさじいはつくずく感心してしまう

由緒を連想させるのは何かの裏付けがあるからではなく
ひとえにその容貌によるもので
一見たぬき
それがタヌと呼ばれるゆえん
石塀の上で丸まっていて
それでたぬきに見えるわけではない
ま、よく見れば顔だって猫だし
くりっとした大きな目は実に愛らしく
太めではあるがたぬきほど丸くもない
こげ茶と黒と
少し長めの毛並み
野良猫とはとても思えない
なかなかの貫録である

彼の体躯は、まず一般的な雄猫サイズだろう
だから貫録は年齢によるものかもしれない
おとなとしかわからない年齢ではあるが
まさじいは自分と大きくは変わらないと思っている
もっぱら容貌をもとに我が家でタヌと呼ばれた猫

彼がまさじいに強いインパクトを与えたのは
何といっても彼の大怪我だった
一度ならず怪我をしては目の前に現れる
いつも怪我をする場所は決まっている
のど元だ
そこを狙い狙われる
彼は野生の世界に生きてる
怪我は戦いの結果であり
果てしない戦いの中で今までずっと生きてきた
生きるか死ぬか、だ

そして大怪我をするたびに
我が家にやってくる
正確には解放されたままの納屋だが
そこで寝起きしているようだ
だからうちの猫、と言われることを拒むように
適度の距離を置いているんだろうか

こうして見ると
のんびりの塀の上がずいぶん違って見える
たび重なるすさまじい傷跡は
どうしてそこまでとまさじいを唸らせる
何事もなかったかのように
塀の上でじっとしているのは
やっぱり季節外れだからだ
穏やかな時間でもある
どうしてそこまでなのかをわからないわけじゃない
よって立つものを求めてと
まさか自覚してはいないだろうが
一言でいえば本能
これしかないのだろう

まんまるの目を見て
家族のみんながかわいいという
どうにかして抱きしめようとあの手この手
そんな人間を見てなんて思っているのか
どこまでも警戒するタヌどんだ
もっとも合理的な思いこそが本能なのかもしれない

夏の日のまさじいの定番は庭のテーブル
木陰でのビールと読書
当たり前のような顔をして
近くにタヌどんは丸くなってすわっている
チーズでもあればおすそわけ
だからと言ってそばに来てねだるわけじゃない
決して手を触れさせようとはしないのだ
うまいものを食べているのは一目瞭然
何といっても毛のつやがいい
かわいがられているのがうちだけじゃないとわかる
それこそ野良猫の中の野良猫

人間の目で見てかわいい、は
猫族の間でどういうことになるのか
雄の間ではすべては力
強いものがいい思いをする
そして概して体の大きいほうが強い
その意味ではタヌどんがはっきり有利とは言えない
だからなのだろう
よく怪我をしてくる
そして最近は大怪我が多い
やはりまさじいの年齢に近いのだろう
もう駄目かもしれない
そんな時もあった
何とか栄養を、と気配りもした
ひたすら傷をなめるタヌどん
いつか回復し
しばらく穏やかな姿を見かけるうち
また見かけなくなる
懲りずに遠征に出たのだろう
そして気が付けば長いこと見ていない

彼の一生はまさじいには計り知れない
どこかで朽ち果てようと
せい一杯を生きて
それが彼の一日であり一生だったのだろう
石塀の上ではまん丸の目をしていた
今思えば眠そうな顔を見たことがない
確実に安全な場所で眠って
起きている時はすべてに注意を払う
だったのかな

男として
まさじいはタヌどんを思う
めす猫の目にどう見えるかはわからない
もてていたのかどうかさえ分からない
遠征がどこまでの意味をもっていたのか
それもよくわからない
テリトリーがあったとして
それが食べ物に由来するのか
めす猫なのか
あるいはすべてを含む領土であったのか
概念としては家を守る
それがまさじいの理解の範ちゅうだ
だが、家族を持ち家族と暮らすというふうには見えない
それは野生としての生き方なのだろうか

写真に写ったタヌどん
その表情に安心感はない
かわいいと思うのは人間の一方的な見下し
タヌどんにとっては得をすることもあるが
だからと言ってそれを理解しているようにも思えない
うっかりお姉につかまり
やむなく抱っことなってそこに
相変わらず野生は消えない
わずかに、人間に危害を加えない程度の抵抗を示して
逃げる算段をする
だから彼を長く拘束することはできない

数々の思い出を残して
タヌどんは消えた
飼い猫ほど長くはなかった
つかず離れず家の近くで過ごすようになったのは
おとなになってからだった
ある日たぬきに似た猫が庭にいた
そんな始まりから家族になった
最後まで一方通行だった
彼がどうということではない
食べ物をあげたら食べた
かわいいね、うちの猫だね
そう人間が考えただけ
消えた今もみんなの思い出の中で生きている
タヌどんのしぐさが忘れられずにいる

いつでも真剣な丸い目で
人間のすぐそばにいた
まさじいは行く道を少しだけ一緒に歩いた
それが何だ、彼は言うだろうな


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