My Audio Life
  
オーディオの履歴 最終更新   2014/2/6
1968-1982
 
 何時、どんなきっかけでオーディオに興味を持ち始めたかのか、はっきりとした記憶はありません。
小学生のころ“子供の科学”なる理系少年向けの雑誌を親父から進められました。
もともと自然科学には興味があったので、少年マガジンとともに数少ない愛読書となりました。
その後は、当時のお決まり?のコースで“ラジオ技術”“無線と実験“と読み進んで行きました。
たまたま、家の近くで電気部品を扱っている店があり、雑誌に出ていたトランジスタアンプを組立ててみましたがそのアンプからは、ノイズさえも出てきませんでした。
 その後、通信販売でIC(東芝のTH9013Pだったような)を買い、ケースはアルミ版と木で作り、プリメインアンプなるものを組み立てました。
これが、最初のオーディオ用アンプの製作でした。
中学校までの通学路の途中に、粗大ゴミの回収会社があり、空き地に捨てられたテレビやラジオが山のように積んでありました。
そこは、私を含む悪童4人組の格好の遊び場となりました。 ポンコツテレビから使えそうな真空管やスピーカーを外して家に持ち帰えりました。
それらは、アンプや、ラジオや、当時流行っていた擬似4チャンネルシステムのスピーカーに変わっていきました。
それらの部品でST管の5球スーパーラジオやシングルアンプを作りました。 5球スーパーから地元の民放の声が出たときは思わず鳥肌が立ったのを覚えています。

 42シングルアンプは始めての自作真空管オーディオアンプでありました。
抵抗、コンデンサ以外はジャンク部品でしたが、ICアンプには無い良い雰囲気がありました。 そのころからアンプ作りに火が付いたのでした。 次に作ったのは、6V6のシングルアンプでした。 ちょうど、大学の受験の頃で、勉強もせずにアンプを作っていたら、親父の雷が落ちました。 しかし、半田ごてを離すことは無く、アンプは無事完成しました。
しかし、その後はさすがに大学入学まではおとなしくしていました。

 大学に入学したらまた、オーディオ熱が復活しました。
入ったサークルもアンプやコンピュータが飯より好きな連中の集まりでした。
学園祭のコンサートのPAも我々のサークルが担当していました。 そのPA機材はミキシングコンソール(今思うとコンソールなんていわれるような代物ではありませんでしたが...)をはじめとして全部手作りでありそれが自慢でした。 その代わり、コンサート中にスピーカーやアンプがぶっ飛ぶなんてことはざらで、出演者(デビュー直後の庄野真代さんなど)にはだいぶ迷惑をかけたことも事実であリます。

 その当時製作したのが50C−A10のシングルアンプであります。このアンプはその後2回ほど組み直しがなされ、十数年ほど前まで手元にあり元気に音を出していましたが、程なく埼玉県に嫁いでいってしまいました。
次に製作したのが金田式DCアンプです。 その頃、“無線と実験”誌に連載が始まり金田教の信者が次々と現れ始めました。 私も、熱心な信者の一人となりA級30Wをオリジナルのまま製作しました。 出てきた音には驚き感動しました。 今まで製作してきたICアンプと空管のアンプとは全く異質の音だったからです。 しかし、相変わらず真空管への興味減ることは無く、マッキントッシュC22のコピー(EQのみ)を組んだりしていました。

 プレーヤーはターンテーブルがデンオンのDP1000、アームがFRのFR54で、スピーカーはコーラルのフルレンジFLAT8を指定箱に入れていました。
このスピーカーの白いコーンは見事なまでに美しかったことが今でも印象に残っています。
学園祭の生録のためSONYの2トラ38を買ったのもこの頃です。

 スピーカーはFLAT8からコーラルのウーハーにALTECのドライバー806-8A+フォステクスのショートホーン+音響レンズを組み合わせたものに変更しました。

 会社に勤務するようになってからはコンピュータに感心が移ったため、オーディオへの投資ができなくなり、今までの機器の組みなおし程度にとどまるようになってしまいました。
ちょうどレコードからCDへの移行期で、しばらく経つとレコード店からレコードが消え、CDオンリーになってしまいました。
最初はマニアぶってレコードに固執していましたが、時代の流れにあっという間に流され、ついにCDプレーヤーの購入と相成りました。
暫くすると車に興味と金が移ってしまい、オーディオは停滞期に入ります。
そして、いつのまにかステレオで音楽を聞くことさえしなくなってしまいました。
   
1983-1999
  
 いつしか興味はコンピュータと車に移っていました。
その間は私のオーディオライフの氷河期のようなものでした。 興味が無くなったわけでもないのですが、小遣いや時間にも限りがあり、さすがの独身貴族も車と、コンピュータとオーディオでは実用的な車とコンピュータを取らざるをえなくなっていました。
この期間はわずかの機材の入れ替えがあったのみで、車の中でカセットを聴くくらいでした。
  
2000-2007
  
 西暦が2000年になった頃から突然コンピュータに対しての興味が減り始めてきました。
コンピュータの性能の驚くべき向上と価格の下落で、あっという間に通常使用するのには十分すぎるほどのマシンになってしまい、性能アップに対する感動が薄れてきてしまったのでした。
それと前後して世の中リサイクル時代に入り、家の周辺にリサイクルショップができ始めました。
そうすると、今まであちらこちらに眠っていたオーディオ製品の中古やジャンクがごろごろと店頭に並ぶようになってきました。
昔、欲しかったのだけれどとても高価で手が出なかったような機器が目に付きます。
そして一気にオーディオ熱が復活したのでありました。

 家庭を持ち、まして2人の子供までいる状況では趣味にお金をかける事は不可能です。
そういう境遇にとって中古品やジャンクはまさに宝の山であります。>
昔、雑誌に出ていた高級機が目の前にある!当時高価で買えなかったような機器が数百円から数千円で買える!
私にとって夢のようなことでした。
結局1年間でジャンクを中心に買い揃え、そこそこのシステムを組むことができました。

 主な機器はプリアンプ ONKYOのP309 パワーアンプ Lo-DのHMA-9500Uスピーカー ONKYO MONITOR2001 プレーヤー MICRO DQX1000 アーム SMEとSAECです。
当時の売価で計算したら結構な金額になってしまいますがHMA-9500Uがジャンクで2万円、MONITOR2001が5万円、その他は3千円から1万円程度でした。

 2004年にホームページを開設しました。
遊び心で開設したのですがありがたい事に多くのアクセスをいただきました。
ホームページで多くの方とメールのやり取りを行うこともできましたし、様々な部品や機器をご提供いただきました。
 
 
2008-2012
 
 暫くはジャンク品の修理が面白く、壊れた機器を買ってきては直していました。
何がきっかけかよく覚えていないのですが、ご無沙汰していた自作に興味が移り、金田式アンプの製作を再開いたしました。
その頃は金田式も様変わりしていたのですが、「金田式はA級アンプだ」との思いが強く、A級動作のパワーアンプを作り始めました。 最近金田式はバッテリー駆動が主流となり、電気を喰うA級アンプなどは存在すら忘れられています。
但し、バッテリードライブになってから部品点数が大幅に減り、製作費がかなり安くなりました。 また定電圧電源が不要なので発振の可能性も大幅に減少しました。
 
 この頃アンプの自作に移行した理由の一つにリサイクルショップに良いジャンク品が出てこなくなったことがありますね。
それになんといってもやはり自作がおもしろい。
しかし、自作にシフトしたおかげでHMA-9500Uも改造時に火を噴いてから部屋の隅に転がっていますし、LUXMANの真空管プリCL-35Uの改修も途中でストップする状態となりました。 かみさんからは邪魔だと言われるし、、、、、。
 
2013-現在
 
金田式アンプも近年回路が簡素化され部品代も以前に比べると格段に安くなり製作しやすくなりました。
また新作発表のサイクルも短くなり、特にこの1年は製作しているうちに新しいアンプが雑誌に載るようになりました。
そんなこともあり213、215、218のプリを立て続けに製作、209パワーもマルチ用の4チャンネルとしました。
金田式がひと段落したので2014年に入って10年近くお蔵入りしていたLUXの真空管プリアンプCL35Uの修理を終わらせました。 その後怒涛の勢いで同じくLUXの真空管パワーアンプA3700(KT88 PP)も改修を行いました。
そして、各機器の結合を行いシステムとして組み上げました。
スピーカーはMONITOR2001をメインに、MONITOR2001のウーハーとALTECのドライバーとスーパーツイーターのマルチアンプ駆動もできるようになりました。
とりあえずベースができましたので後は様々なお遊びが楽しめそうです。
それにPCオーディオにも足を踏み入れました。